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高齢者ドライバー

高齢者の事故が増えている!

近年、突然事故が増えたみたいに報道されているが、団塊の世代が高齢者になったため高齢人口が増え、必然的にその年代の方の事故が、高齢者ドライバーの事故としてカウントされるようになっただけなのだ

運転せざるを得ない生活の事情がある

食品、生活用品を売る店は郊外に店舗を構え、定期的に行かなければいけない医者も、近くにはない

タクシーは高い!

バスは乗降が大変で、尚且つ目的地からバス停までが遠い!

そうなるとやはり車に乗って行くしかない!

という事になる…

運転をせざるを得ないなら、まずは自分を知ることが大事

年を取ると、いろいろな所に老化が出てくる

それは全ての人に起こる事であり仕方ない事…

それなのに

老眼は認めない
補聴器はつけたくない
杖や歩行器は年寄りが使う物
私はまだ若い…

そんな感情に囚われている人がとても多い

しかし今の自分をしっかりと知り、受け入れ、順応しなければならないのだ

高齢者ばかりではない!

「あ〜年を取ったぁ〜」と日常思う事あれば、もう老化が始まった合図

若い頃とどう変わったのか…
老化は進む一方なのだ

運転は
  →認知→判断→操作→
の繰り返し

見るのに時間がかかれば、判断が遅れ、判断に時間がかかれば、操作が遅れる

加齢によって目が悪くなれば、見るのに時間がかかる

どうしよう… なんて考えている時間も車は動いている

筋肉が痩せてしまえば、ブレーキを踏む力も弱くなる

あっ!と思った時の瞬発力も衰える

なのに自分だけは大丈夫という自信は、何処から来るのだろう?

高齢者だけの話ではない!年々誰もが年取る

年齢に応じた運転方法に変えていかないと、事故の確率は年々上がっていくのだ

前にも投稿したが、車は便利な乗り物ではなく、指1本で何人もの人を殺すことが出来る殺人兵器なのだ

それを忘れて便利だけで運転しては、包丁を振り回して走ってる無差別殺人犯と同じ

そうならないためには、自分の衰えをしっかりと自覚しなければならない

そして時には免許返納という判断も必要になる

私は運転が嫌いだ
仕事をやめるのと同時に運転もためたいと思っているほどだ
最近は私自身も運転に衰えを感じ、怖いと思う事が増えてきている

認知→判断→操作→

運転は難しい

アクセルとブレーキを踏み間違えた!!

なんて言う便利な言葉を、平気に使って欲しくない

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