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人前に立つと泣いていた私が、今取材の仕事をしている不思議さ

「人見知り」とは、人に言ってはいけない言葉。そう、教わった。なぜなら、そう言うことで、相手に「私は人見知りだから、あなたが配慮してくださいね」と、相手に気をつかわせることになるからだそう。

では、私の場合は何て言おう。小さい頃から、人前でしゃべるのも、行動するのも苦手だった。
幼稚園のとき。
モジモジしすぎて、親が来るお遊戯会も目立たないような動きしかできなかった。
注目を浴びれば浴びるほど、すぐ泣きそうになった。
顔が真っ赤になり、声を絞り出そうとしても、小さい声しか出ない。

何でこうなるのだろう……。自意識過剰すぎるのだろうか。
皆は自分ばかり見ているのではないのに、自分が集中的に見られている感じがした。
皆の目が集まると、自分が攻撃されているような気がしたのだろうか。
自分のやること、なすことに、完璧さを求められているとでも思ったのだろうか。
その頃のことを言語化するのは難しい。理由はないけれど、そういう性質だったとしか言えない。

もう、何十年も前のことなのに、小学校の入学式のこともよく覚えている。
初めて教室に入るときに、高学年のお姉さんが手を引いて、自分の机まで連れて行ってくれる。私は、そのお姉さんが聞き取れないほどの、小さな声で自分の名前を言った。
席に着くと、隣に誰が座っているかを、皆の前でお互いに紹介する。
自分の名前が机の上に貼ってあった。
今から考えるといじわるだけど、隣の子に見られないように私は自分の名前を手で隠した。

授業では、先生に当てられて黒板の前で小さな声で発表していた私。もう、人前に出たくなくて、いつも泣きそうになりながら。
今から考えると、よく不登校にならなかったものだ。

そんな私が、地元のお店を取材する仕事をしている。今でも勇気を出していることは変わらない。しかし、勇気の出し方が昔とはだいぶ違う。年を重ねて、だいぶ図々しくなってきた。

人間、自分がどんなふうになるかなんて、わからないものである。
今でも、口下手でしどろもどろ。取材に行くのは私にとって、勇気を出さなければならないもの。でも、好奇心で人の話を聞きたい欲があるのだ。伝えたい欲も。

「言葉」を使う仕事に出会って、どんどん変化していく私。続ければ、もうちょっとマシになるだろうか。
あの頃の私が今の私を見たら、びっくりするだろうな。

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