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一筋縄ではいかなけりゃ二筋、三筋?


子どもは1歳半頃から、自我が目覚めてなんでもイヤイヤ、ギャーギャー泣く…が始まります。
どこの親も頭を抱える時期です。

私は3人の子どもの親なので、さすがに三番目ともなると、こんなもんだ…と余裕があるはずでした。
しかし我が家の末っ子は、幼き頃よりとにかく曲者でありました。

気に入ったものと気に入らないものの区別が明確。
こだわりの強さは筋金入り。
お気に召さねば、どんな懐柔策も通用せず。
何より、「子どもってこんなことを喜ぶよね」が全く通用せず。
2人育てた経験値がほとんど役に立たず。
どうなってんだこりゃ…

当時は発達について特に知識もなく、図書館は遠く、ネットもない時代で調べようもない私がバイブルとしていたのは、毛利子来さんの本でした。

何度も何度も読んでいました。

そこで語られているのは、一貫して「子どもをひとりの人間として、親とは別の人格として尊重する」ということ。
毛利さんのソフトな語り口、和田誠さんのシンプルなどこか力の抜けるイラストに触れているうちに、私のこころは落ち着いていきました。

「幼い子が『わがまま』をする様は、いっけん『自分勝手』、いい調子のようでいて、どこかつらそうな印象を与えます。〜中略〜それは、おそらく、赤ちゃんのときの自他区別のないこんとんとした状態から、この世の中に自分の位置をしだいにつくってゆかなければならない時期に入って、もがきあがいている姿なのでしょう。」

「どんなばあいにも、子どもには自由を。自由は『わがまま』を乗り越えるものです。」

こういった文章を読んでいて思ったことが、
「この子は曲者だ、一筋縄ではいかない、と思っていたけれど、その考えかたそのものがおかしいのだ」
ということでした。

私は彼を、縄で縛って引っ張っていこうと考えていたのだ、と思い至ったのでした。
一筋縄で無理なら二筋、三筋だ、などと考えていては大変だ。
「こういう子なんだもんね」と自由にやらせておこう、と見ていたら気持ちは楽になりました。
(正直に言えば、体力的には大変になりましたが)

そうこうしていたら、頑固者で、妙なこだわりが多くて、子どもらしかったり、らしくなかったり、かなりおもしろい子どもになっていました。

不登校になったけどね。
でもそれは、彼の良さからの抵抗であったわけで。

上の2人も、もちろんそれぞれおもしろい子どもでしたよ。
みんなもうすっかりいい大人になりました。

子どもは親とは別の生き物で、なるようになるもんだね、ということです。

2018年 04月 26日

『赤ちゃんのいる暮らし』『幼い子のいる暮らし』
(1990)筑摩書房
~新版がちくま文庫から出ているようです~


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