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寡黙な子どもと野外ライブに行った話

先日友人から聞いた話。

某野外ライブに、一緒に行く予定だった人が行けなくなった。それで急遽、息子(専門学校生)を誘った。

ライブは開始早々総立ち、飛んだり跳ねたり、みんなで手を振ったり、とよくある光景だったのだけれど、息子は一度も肩から上に手をあげることはなかった、と。
じーっと立っていて、小さな拍手は時々していたそうだ。

身長180㎝なので、その姿は結構周りから浮いていたらしい。

しかし、彼の感想は「今日は楽しかった」だったのだと。楽しんでいるのかいないのか、さっぱり伝わらない様子だったが、楽しかったらしい。
友人曰く
「それがあの子なのよねえ、こんなふうに思えるようになってよかった」。

彼は寡黙な子どもだった。
中学高校とテニスをしていたが、非常に淡々とプレーして、勝っても負けても感情はあまり見えない。
応援のしがいがない…やる気があるのか?と親として不満に思い始めていた頃、我が家の次男の不登校の話を思い出して考え直すようになったのだそうだ。

私が「不登校」を通じて得た教訓。
「この子にはこの子のペースがあるはず。だから親が勝手に焦らない。」
「親の期待する姿を見せないからといって、子どもに不満を持つのはおかしいよね…」
そういう話を友人にしたのだと思う。

スポーツをする時に、ガッツをむき出しにしてやる子ばかりではない、派手なパフォーマンスなんか絶対したくない子だっているはずだ。
あの子はあの子なりのやり方で、テニスを楽しんでいるのだろう。
そんな風に思うようにしていたら、テニスだけでなくいろいろな面で、以前の自分なら怒っていたであろうことも、気にならなくなった、と。

彼は親から締め付けられることなく、淡々とした(彼にとってはそれが心地いい)テニス生活を送ることができた。

我が家の不登校体験が、こんなところで役立っていたとは嬉しいことだ。

さらに友人曰く
「そのライブ会場で彼と同じようにぼーっと立っているだけの少年がいてね、ああ、あの子も同じタイプなのかなあと嬉しくなったよ」

願わくばその見知らぬ少年も、締め付けられない環境にいてくれますように。

2018年 09月 18日

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