6月こそ、そこそこで
追い立てられる日々を過ごして、もう6月。
一年の半分が終わってしまうと、気づいた6月。
10年前の手紙に励まされ、
昨日の自分に背中を押され、
日々をこなしての6月だから、
よくやってるよと思ってはいるが、
もっと何かできたんじゃないかと
漠然と焦る気持ちがノックする。
3キロはダイエットできただろうな…とか
また、読まなかったなぁ、あの本…とか
子どもの写真データが溜まっていく…とか
すごく小さなことだけど、
もっと何かできたんじゃないかの反動は、
これらに手を付けなかったところに起因する。
つけたけど中途半端とか。
すべて、「一年も半分まできたし」の言葉が頭についてしまう。
目に見える結果が欲しいのかもしれない。
それは、昇進?給料アップ?高い評価?スリムなワタクシ?
前に進むことも大切だけど、
上って高くなる評価を人から欲しいのか、ワタクシよ。
この6か月何もできていなかったわけじゃないはず。
自分で自分の通知表をつけよう。
健康面→風邪もひかず日々、生きていました。気合と根性のみ。
評価:すごい&えらい!
仕事面→ベストは尽くした。迷惑かけていることも自覚している。
評価:すごい&えらい!
家事面→うまく手を抜くことができている。足の踏み場はある。
評価:すごい&えらい!
家庭面→猛省はある。しかし、子どもは縦にも横にも大きくなっている。
評価:十分すごい&えらい!
総合面→情緒不安定な日があっても、いまnote書いてるから。
評価:いうことなし!
6月だからって、焦らない。
そして、今が一番疲れが出るとき。
祝日もなく、季節のイベントもなく
暑くジメジメした日が多くなる、6月。
6月だから、そこそこにいく。
ワタクシには、このスタンスがいい。
調子のいいときには、張り切ってしまうから。
何かを始めるときには、そこそこと思ってスタートする。
やっと折り返し地点、ゴールはまだまだ先だから。いつがゴールかもわからない。
自分にかける声は「そこそこに」で。
けれど、6月を楽しむためにこれだけはやり終えた。
夏のビーズ刺繍。
あおがきれい。
空のように、海のように、水のように。
よい6月を。
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