終活ってどうよ
[SSD]※ 私がnoteを始めたきっかけは、いわゆる「終活」の一環でした。
とはいえ、この記事で私は「終活」という表現は敢えて使っていません。
人生には様々な節目があり、就職や結婚、転勤や転職、定年退職や年金受給などなど・・・その時々に、それ以前の暮らし方を見直さなくてはならないことがあります。その一つとして「終活」があると思うのですが、「終わり=死ぬこと」を前提としているニュアンスを含んでいる気がしてならなくて、めちゃくちゃ違和感を感じていたのです。
実際に平均寿命や健康年齢を鑑みると、今の自分の年齢からすれば残り10年だったり20年だったりする訳で、そりゃもう人生の最終章だろうというのも分かります。
とはいえ今私は生きています。お偉い哲学者や高貴な宗教家でもないかぎり、死ぬことを前提に生きてる人など、一体どこにいるのでしょうか。
こんな記事が終活サイトにありました。
ある程度の年齢になったら、将来の不安を減らし、これからのことを考えるきっかけとして終活しようと推奨しています。そしてそれが何より「今をより良く生きることに繋がる」と。
でもこれって、どんな年齢のどんな節目でも大切なことですよね。
最近、とある占いに詳しい方とお話をしていたら「占いは自分の将来の指針になる」と言われました。「(自虐的に) 終活を始めているのに将来なんて」と言ったら「棚卸しは必要よ」と。
そうか棚卸しだ!。
人生の棚卸し・・・これなら腑に落ちます。
この年齢になっての人生の棚卸しが結果的に「終活」になるかもしれませんが、また次の棚卸しの機会があるかもしれない・・・未来を感じます。
そもそも「終活」って何なのかと自分の感覚と違和感のない意味合いを考えていたら、こんなことを思いました。
「死ぬこと」を前提とした暮らしなんてまっぴらです。
※ SSDとは・・・こちらで語っています。
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