見出し画像

手段を目的と錯覚しがち

はい、またもや随分と時間が空きました。
忘れてないです。このnoteの存在。いつも心と頭の片隅に君は存在していたよ。

で、またその続かない事とかを書き出すと以前書いた記事と一緒になるので、その記事を引用することで自分を見つめなおすのは割愛。

noteは続いていないが、やってみよう、やりたいと思っていたエッセンスは一歩目を形にすることができた。

しかし、その一歩目が形になったことで満足して、二歩目を形にするための「手段」を「二歩目」と錯覚してしまい、手段を達成することに躍起になって何だかよくわからない方向に進み始めてしまった。

例えるならば、スポーツをやっていて、大会で優勝するために練習をしているのに、練習することが目的となってしまい「今日も2時間充実した練習ができたな~」と練習がうまくいくことに達成感を覚えてしまう状態。

本来の目的は何か、なぜそれをやるのか
目的は何か、それは手段なのか目的なのか

これを意識していけば目指している方向を見失わないはず。
そこに向かうまでの道は色々あってもいいけど、気が付いたら「あれ、どうしてこっちに向かってるの?」ということは避けたいと思う。

目指しているところは遥か彼方だけど、遥か彼方だから色んな経路で行ける。辿り着くまでの手段が沢山あるってことは、それだけ選ぶ楽しさや挑戦する楽しさもあるはず。

目的を達成するために、手段は楽しんでいきたいと思う


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?