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嫌な仕事を我慢した方がよいかしなくともよいか?我慢できるか出来ないか?

仕事に費やしている時間、約8時間勤務だとすると1日の1/3、1週間,1か月で考えれば約1/4の時間を費やしている。

寝ている時間も1日約8時間だとすると、仕事もしていなくて寝てもいない自由に使える時間は、1日の1/3、月で数えると42%が自由に使える時間である。

実際計算してみたら、確かに仕事に費やす時間も多いけど、仕事以外に費やせる時間も結構あることが判明した。

よく嫌な仕事をし続けている人に対して
「仕事に費やす時間は人生の多くの時間をしめるので、嫌なことに時間を費やしているのはもったいない!」

だからやりたいことや、好きなことが出来る仕事を見つけよう!

みたいな言葉をよく見るけど、、

寝てる時以外の全ての時間を心地良くハッピーに過ごすことを全員が叶えることは難しいと思う。

仕事を『生活するためのお金を貰うためのもの』と捉えている人も沢山いる。そう捉えざるを得ない状況の人が沢山いる。

誰だって楽しく仕事が出来るならそれに越したことはない。でも『仕事=楽しい』を追い求め続けて、みんながみんな生きていけるとは限らない。

それを追い求めるには先立つもの(=衣食住の安定)が必要。だから先立つものがないと『仕事=生きるためのお金を貰うところ』と捉えるしかなくなってしまう。

20代の頃であれば「いやいや、もっと可能性信じて、先のことなんて考えずに突き進もうぜ!人生はチャレンジだ」
と思っていいと思う。実際私もその考えで、安定を捨てて、やりたいことへ飛んでいったから。

でも歳を重ねた今は、現実も色々突きつけられて、昔みたいに羽ばたく勇気が持てない。
だから『仕事は生活費を貰うところ』になってしまっている。
『人生一生チャレンジ』はなかなか普通に出来ないことだから、キラキラした憧れの言葉として目立っているのであろう。

美輪明宏さんが「お給料は我慢料」といっていた。仕事は辛いものである。でも生きて行くためにはお給料が必要だから、仕事は辛くても我慢しなくてはいけない。だからお給料は我慢した分の対価である、ということであった。

この言葉で大事なのは"我慢"の程度だと思う。

本当に精神を病んでしまうぐらいの我慢や、身体が壊れてしまうぐらいの過酷な状況の我慢であれば、「お給料のためだから我慢せねば…」は違うであろう。

ここでいう"我慢"は『我慢が可能な我慢』なのだと思う。

その我慢の意味を踏まえて、この「お給料は我慢料」と言い聞かせていいのは、冒頭に書いたように

「仕事は嫌なことばっかりだけど、好きなことする時間もまあまああるし」という人や

「辛いことも多いけど、このお給料があるから趣味にお金つぎ込めるしな」

と思える人なのだと思う。

こういう人達が、一時の感情の高ぶりで「こんな会社もう辞めてやる…!」と思った時に気持ちや心を落ち着かせるために唱える呪文なんだと思う。一時の感情で早まらないための呪文。

私も毎日毎日嫌なことばっかりで、辞めたいと思うことなんて1日に何回もあるけど、自由に出来る時間も結構あるし、お給料を費やす楽しい趣味を満喫出来ている。
だからそれら楽しいことをプラスすれば、職場での我慢は、"我慢出来る我慢"なんだと思う。

一時の感情で早まりそうになったらまずは呪文を唱えてみようと思う。


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