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鳥居強右衛門が泳いだ豊川とは

長篠城を救うための援軍要請にでた鳥居強右衛門は、野牛郭(やぎゅうぐるわ)から城を抜け出し豊川を泳ぎます。

当時はもっと水量が豊富だったようです。

歴史をさかのぼり、まるで自分が鳥居強右衛門になった気持ちで水を触ってみました。


下流はこんな感じです。
上流、長篠城方面です。


鳥居強右衛門上陸の地の標柱がありました

このあと、鳥居強右衛門はそばの屋敷でおにぎり?食べ物をもらい、
雁峰山に向かいます。
走りに走った往復60キロの始まりです。

強右衛門は、援軍要請に成功したものの、帰りに長篠城の対岸の有海で捕まります。

新城歌舞伎で上演された時の画像です。

強右衛門が武田の家臣穴山に向かっていうセリフ

城を出で 網をくぐって 川底歩き 
雁峰山を越えたは 昨日 
のろしを上げたは我が殿に 
山を越えたを 知らせんが為
田代、野郷(のんごう)宮崎を、
 走りに走りて、10里 20里
岡崎城で見たものは、
織田の大軍三万と 徳川軍が八千人
援軍頼むまでもなく、信長さまの仰せでは
「必ず行くから待っておれ」と、
われを励まし 今日あたりには、
おそらく 牛久保の城に あ~り~
われこの事を我が殿に 知らせんとして空腹抱え 
竹束担ぎ・・・・
今、捕らわれの身となった
 


このセリフは、長篠城を救うため、信頼する殿のために、わが命をささげた鳥居強右衛門の長セリフ
歌舞伎特有の七五調です。

鳥居強右衛門は今更ながら 地元の英雄!

強右衛門が上陸した場所は 川路というところです。
上流にダムや、頭首工等が出来たこともあり 現在水量は少なくなっています。





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