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失われた3年間【摂食障害×大学生活】

小学校は合唱と選抜の四重唱で全国大会出場。
中学校では中間テストで100点を取るほどのテストガチ勢であり体育祭の団長で優勝に導き、陸上も自分の中で最大限の努力をし県大会出場。高校は少数の外部大学受験生として勉学に力を入れ、奨学生ともなった。

とにかく取り組むこと全てに全力を尽くしてきた私にとって、大学生活は後悔ばかりの暗黒の期間だ。

いや、全力で生きてきた私の
長い五月病くらいにしておこうか。

もう一度大学生活の振り出しに戻れるとしたら
私は何をしているだろう。
ちゃんとピュアな恋愛がしたいし、
わちゃわちゃしたサークルも一回は入ってみたいし(すぐやめそうだけど)、友達と海外旅行も行きたいし、普通のゼミに入ってちゃんと研究もしたい。(ゼミは色々あり退室)
あれだけ行かなきゃと焦っていた長期留学は正直そこまで興味はないし、今習慣になっている筋トレさえ始めていたかはわからない。思ったよりも浮かんでこないものだ。
世間の"キラキラ大学生"のスタンプラリーを全て攻略したかっただけなのかもしれない。

取り組むことは全て全力でしてきた、つもりだ。
私にとっての全力は、「何かに取り組んで結果を出すためには犠牲は伴う」ことが当然である。犠牲がない努力は、努力ではないとさえ感じてしまう。
追い込み癖が自分を苦しめているのは承知の上で。

この前、数個上の社会人に言われたある言葉がしこりのように消えない。それは、
「小中高の自分の方が好きなんでしょ?」である。
気がつくと
「え、バレました?」と口から出ていた。
誰にも言われたことがなかった言葉。
「小中高それで大学でこの感じじゃあ物足りないでしょ」
心のうちに閉まっていたけれど、
本当は、物足りない。

摂食障害という形で表れたものは、
高い理想、完璧を求め続けることへの私の本心からのSOSだと思っていた。
同時に、
反抗期がなかった私の親への静かなる反抗だとも考えた。親は私に正解の人生を歩んでほしいから、80点のテストや少し悪い成績に物凄い形相で怒ってたんでしょ。でも、これも私の思い込みだったのかもしれない、と久しぶりに会った母と話して感じたのだ。

小中高での私の努力の原動力は「母」だった。
と思っていた。母のためという努力目的がなくなった時、私は何のために頑張るのか、分からなくなっていたのが大学生3年間の自分だったのだと思う。

怒られないように、褒められるために、そう全力で頑張っていた自分だったことをしれっと2人でお酒を飲みながら伝えてみた。
多分、私はそこまで思い詰めてたのね、ごめんねと言って欲しかったのかもしれない。
でも思いの外普通の反応だった。
「子供なんてそんなもんじゃないの?」
ああ、そんなもんか。
望んでいた回答じゃなかったけれど、不思議と何も思わなかった。そして大手しか行かないとか思ってないからねというニュアンスも交えて就活の話もしたけれど、いろんな人生あるからいいんじゃない♪と
テスト返却のたびに鬼の形相になる母とはまるっきり異なっていて、なんだか丸くなったなと感じた。

私は今、私を縛り付けていたもの殆ど全てから解放された。呪縛のような母の価値観、就活における大手病、今のままの私でも大丈夫だというある程度の安心感も得た。この3年間私を苦しめてきたものは、私自身だった。

やっと解放された今
次に襲ってくるのは、
どこか物足りないという感覚だ。
やりたいことをなんでも出来る今、
就活だってこのまま突き進めばいい。
でも尻込みしてしまう理由はたぶん

私を取り戻した状態の私で、
もっといろんな人に会って、
いろんな生き方を見てみたかった。
それから何を生業にするのかを決めたかったということだ。あとは何か心の底から熱中して何かをしたいということ。

就活は受験のようにとりあえずこの業界のトップ10社に出す、という戦略は違うだろう。ベストな会社、そんなものを新卒で決められるわけがないからとりあえず1社目に入社して考えればいい、とも聞いた。でも何か違う。

突き動かされるような感覚、使命感みたいなもの。それが私の背中を後押ししてくれる何にも変えられない原動力。それを回復した私が見つけるにはあまりにも短い期間すぎる、なんて考えてしまう。

就活解禁した今、焦りも少しもちつつ、悩みながら進めることになりそうだ。就活をやめる、なんて選択肢もゼロではないのかもしれない。








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