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「うぬぼれ」と「感謝」

「うぬぼれないで
ください!!」

と今の私は
自分に向かって言いたいです。

今日は定期通院の日でした。
心療内科の主治医に
「一汁一菜」の話をしたら
えらく先生に興味を持たれました。
何だか「嬉しかった・・・」

「一汁一菜」を続けていて
思い出したことがあります。

それは、以前にも書いた
学生時代の6年間の母のお弁当です。

いやその前
中学生の頃の
母が晩飯を作りながら
鼻歌を歌っているのどかな
雰囲気の食生活です。

今、自分で
心の拠り所になる食事を
自分で賄うことができるのは
全て母のおかげです🥲
そのおかげで自分で「再現」できるからです。

それでも
当時、お弁当や食事を作ってくれる母に
なぜ感謝を感じられなかったのか?

自分で食事を賄っていると
心の中からその大変さが、偉大さが
分かってきます😭

自分で自分の食事(一汁一菜)を賄(まかな)うのも
結構大変ですが
当時、母は、私、妹、父の弁当を作って
なお自分もパートの働きに行っていました。
それが、どんなに大変なことか?
今の私なら少しだけですが理解できるようです。

それを
当たり前に考え
感謝もせず
「勉強のため」と自惚れている自分に
前言のようなことが言いたくなったのです。

母を大切にするとは
そのようなことに
気づくこと、感謝すること、自分でやること(自立して)
母を心から別の形で労うこと・・・かもしれません。

もうこれは
理屈では説明できることではありません。

私が「統合失調症」を発した
高校時代も
それによって
「いじめられて」登校拒否になった
学生時代。
もう思い出したくもない思い出。
でも、その隣には
いつも暖かい母のお弁当がありました。

食べるという行為は
感謝の気持ちです。
それは一生続きます。
古い人間なので
上手く「若い人」に伝わるようには
言えませんが
生きる力です。

前にも私は
「幸せ」「気づくもの」「感じるもの」
自分で述べてきました。

人はそのようなことで
いつでも変われると思います。
救われます。

今も苦しい状況にいる方も
生きずらさを感じる人も
たくさん今のこの国にはたくさん
いると思います。
昔の私もそうでした。

「一汁一菜」は日本の今や絶滅しそうな
和食文化です。
日本人的心の拠り所になる所作です。
ですから、ユネスコの無形文化遺産にも
登録されたようです。

「いつまで続くか
わからない」と私が言えば
読まれた方に怒られそうです。
しかし
これからも感謝しながら
いろんなことにチャレンジしてゆきたいと
思いました。





「お母さん、ありがとう・・・。」





最後まで読んでくださり
本当にありがとうございました。

少しでも私が、大人になれたら
嬉しいです。
noteにも感謝いたします!!

台風が来ますが
皆さん素敵なお盆になりますように・・・。

では また
おわり

jellybeansさん素敵な
お弁当のイラストありがとうございます。

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