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noteと「瞑想」

「人間は考える葦である」と言ったのは
フランスの哲学者B・パスカルです。
人間は支え合わないと生きていけません。
しかし、自ら「考える」ことができます。
その点で言えば偉大な存在であるという意味です。

最近、「瞑想」を習慣に取り入れました。
「マインドフルネス瞑想」です。
専用のアプリのガイダンスに従い
5〜20分ほどの瞑想ができます。

「瞑想」の世界は
人間の論理思考と感性
また身体性も含んだ
奥の深いものだと気づかされます。

「マインドフルネス瞑想」を
続けていくと
確実に思考や行動が少しずつ「あるがまま」になり楽になってゆきます。

集中力は確実に上がっていると
仕事でも実感できます。

家に帰ると
「マインドフルネス瞑想」が待っています。
少し嬉いしい日々です。

確実に「瞑想」のおかげで
心が穏やかになっていきます。
しかし、それは自分自身のことなのです。

自分のためのマインドフルネス。
それに、一人の「noter」としての立場。
マインドフルネスはnoteに何が役に立つのか?
一番悩みました。

パスカルは「考える」意味で
人間は偉大な存在だと言いました。
しかし、いくら自分が「瞑想」をして
心が楽になっていったとします。
(今のところは・・・)
しかし、パスカルの言う通りです。
「人間は葦」のように助け合わないと
生きていけない生き物です。

noteでの自利・利他の精神のそのところで
悩んでいました。
(しかしそんな大それたnoteは書くスキルは
私には、ありませんが・・・)

そこで考えたのが
「誰かを支える」存在です。
「瞑想」は自分のためです。
しかし、その穏やかさで
誰かの「支えられる」存在になれるかもしれないと考えました。

これまでの私のnoteは
どちらかというと
自分から前に前に進むような内容だったと
自ら思い振り返ります。

それも良いのと思います。
しかし、誰かを「支えられる」ものも
ないと自己満足に終わってしまいます。
そのように考えました。

自己満足だけのために
終わりたくないのです・・・。

と言うことで「kohの世界」
これからもよろしくお願いいたします。

今回は「支える側に回りたい」ようなことを
noteに述べてみました。

ここまで読んでいただき
ありがとうございます。

では また
おわり

ayanotonekoさん素敵なフォト
ありがとうございます。


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