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「善い生き方」とは?

おはようございます。
kohです。

今回は少し考えるお話です…。

はるか昔ギリシアの地にて
人の生き方が混迷していた時代…。

哲学者のソクラテスの有名な言葉に
「無知の知」というのがあります。

私は、この言葉は
哲学や他の学問の「入り口」であると
思っています。

その証拠に
「ソクラテスの弁明」などの著者である
弟子のプラトンは自説として
「無知」の対象として
物事の雛形(ひながた)である「イディア」論を唱えました。

またプラトンの弟子の
アリスチオテレスは「イディア論」さえも
否定して「形而上学」を考えだしました。


自分の「無知」を知ることは
とても大切です。
なぜなら、それにより
素直に物事を考えられる「下地」が
できるからです。

しかし、「下地」は「下地」です。
哲学者のロックは
人間は最初は「白紙の紙」のような精神で
あると述べました。

もし「白紙の紙」の状態では
人はどう動いて良いかを生まれつきに
知ることはありません。

つまり、私は
人であるには
生きているうちに「学習」が必要だと
思うのです。

ここでいう「学習」とは
心理学用語の「学習」です。
人として生きる術を身につけることです。
学校で勉強する「学習」ではありません。

心理学では「学習」は
「条件付け」で「反応」を起こす、ということです。
例えば、好例なのが自転車に乗ることや
水泳を覚えること。
ご褒美で、やる気(モチベーション)を出すこと
など
広範囲の意味のことを「学習」と言います。


人は成長するにつれて
自分の頭で論理的に考えられる
素養ができることが
「発達心理学」でわかっています。
(それによって算数や抽象的なことが
考えることができます)

ベーコンは「知は力である」という通り
人間はその思考することにより
今の便利な生活を作り上げることができました。

その反面、「地球温暖化」などの
「知」の副作用も生み出しました。


ソクラテスはまた「魂への配慮」ということが
大切であるとも述べています。

ベーコンのいう通り「知は力である」のであれば
人の社会には「副作用」は現れないはずです。

しかし、人は
「自然の支配」や「環境破壊」などの力も
合わせて知ることになります。
人間社会の「権力」や「財力」なども
過剰に求めることはないでしょう。

「魂への配慮」とは
「権力」や「財力」を生きる目標に
することではなく
人として自分をコントロールできる力で
正しい(善い)生き方をすることです。

それには「何が善いことか」を知ることが必要です。
「正しいこと」がわかると「善い」ことも
自然とわかってきます。
人として「魂への配慮」ができて「徳」が
できてくるのです。
これがソクラテスの考えた「幸福」の形でした。
それを哲学用語で「福徳一致」(ふくとくいっち)と言います。

ソクラテスはこのように
「無知の知」から
「魂の配慮」という
人としての「善い生き方」を考えだしたのです。

ソクラテスといえば
「無知の知」が有名ですが
決してそれだけで思考を止めたのでは
ないのです。

彼の考えた「魂への配慮」や「善い生き方」は
現代の人にもそのまま当てはまることが出来ると
考えます。

哲学は「どう生きてゆけばいいか?」
わからなくなった時に
生きる道を照らしてくれる光になれます。

今回はソクラテスの考えた「善い生き方」を
noteに綴ってみました。
哲学は「普遍的(いつの時も通用する)な考え」を扱います。

ですから現代でも色褪せることもなく
生活に息づくことが出来ると思うのです。

最後まで
読んでくださり
ありがとうございます。

おわり

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