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自分と向き合う

私の暮らしは
「一汁一菜」の
食生活を中心としています。

このように
noteに書くことは
自分と向き合うことに対して
私には必要でなくてはならないことに
なっています。

私は元来「コンプレックス」
(思考がこんがらまっている)
的な性格かもしれません。

しかし、
noteに思いを書いたり
食生活を見直したり
しながら
常に自分と向き合ってきたような気がします。

考えや
思いめぐらせているだけでは
何も変わらない。
何も伝わらない。と
いうことに書きながら
noteは気づかせてくれました。


書くということの
「定義」はたくさんあるでしょうが
私にとって一番のnoteの役割は
自分と向き合って
考えをアーカイブしたり
言葉に出してみることです。

言葉とは不思議です。
たった一言だけでも
伝わってくれれば誰かに
「勇気」も伝わったりします。
そんな時は嬉しいです。

私は元々
本は読みますが
「漢字は書けない」
「作文は下手すぎる」
「日記は続かない」
文章、特に書くということに
コンプレックスに近いものを
感じていました。

それはnoteを
一年たって書き続けても
今も変わることはありません。

それはnoteを
私は書きながら考えるタイプだからです。

書く前に
詳細なメモは撮りません。

とは言っても
自分の思いはノートに殴り書きはします。

日記も思い立ったら
書いています。
そのために
大人になってから
小学校からの漢字を独学?して
5〜6年経ちました。

普通に思いをノートに書く分には
漢字の知識は役に立っています。

そして
昨年の今頃
念願のノートブック(このMacBook)を
中古で購入して
noteにも文章を綴ることも
叶いました。

私の一番の知りたいことは
「何故この人生を歩んでいるのか?」です。

いつも敷かれたレールの上を
ただ歩くだけ。
はみ出す勇気のありません。
そんな自分です。

誰にも話せないことも
頭に鬱積(うっせき)してきます。

今のところ、書くということで
自分の世界に浮かんでいます。


漢字を独学して数年。
学ぶ意味を問われることも
しばしば・・・。

正直「もう辞めれば」と
自分に言い聞かせる時もあります。
(文章が走らない時など)

それでも
フォロワーさんや
定期的にnoteを更新してくれる
noterの先輩方。
そのような方の存在のおかげで
今まで休み休み書き続けました。

私の文章は
全て基本「自分語り」です。

なんとか書き上げて
終わりが見えると
なんだかホッとします。

それは自分自身のためです。

そうやって
自分と向き合っています。

自分を知ることは
一朝一夕には到底できません。
それに何日noteを書くことを続いけても
「終わり」は見えません。(ありません)

私のnoteには
意味はありません。
後になって
読み返すときに勝手に
意味が着色するのかな〜と
最近思っています。

書くことも
もう少し上達したい。
人間としても
もう少し大人になりたい。

そんな
ねだり癖のある毎日です。

おわり

bitamiraさん素敵なイラスト
ありがとうございます。

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