自己紹介。気づけば、プロフ帳は履歴書に。
履歴書は、その人を理解するためのものだが、完全なる相互理解を目指すものではなく、相互理解をした気になる最短ルートに必要だからだ。理解に完全を求めようとすると…
人間理解の限界を感じ、人と関わることにより疲れてしまう。
私たちは幼い頃から、相手のことを知りたい欲求と自分を理解してほしいという欲求に駆られる。小学生の頃、クラスメイトとプロフ帳を書いたことはないだろうか。もしくは、仲の良い友達と、交換日記をしたことはないだろうか。
それが年を重ねると履歴書というかたちに変化を遂げる。ただ、履歴書を伴う場合、相手は自分に必ずしも興味を持っている訳ではなく、相手と関係が深い訳ではない。その中で相互理解を目指そうとなると必ず誤読が生まれる。それだけ人は良くも悪くも多面性に溢れている。
相手の頭の中を読み取るなんて、誤読が生じて当たり前だ。
相手のことが好きか、嫌いかの二極化にするのではなく、この部分は好き、この環境下で会うのは好きだけど、この部分は嫌い。こんな状況では会いたくない。
そうやって、人と接していくことが私の人間関係を築くスタンスだと。
どうしたら完全理解をできるかではなく、私はこの人とこういう性質が出ている時に会っていて、それは相手の全てではない。どうしたら相手と折り合いをつけるかといった考えはどうやら私には、しっくりきたようだ。
人付き合いが苦手な私。不器用ながらも少しずつ自分に合った人との関わり方を学んでいく。
追記:昔は性格診断が好きだったが、人間の行動って性格だけに基づいている訳ではない。その人を取り巻く環境の影響って大きいと感じさせられるこの頃。年を重ねるごとに人間に対する見方は変わっていくなと。
久々の投稿でしたが、最後までお読みいただきありがとうございます。
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