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秋にサクラ

四季野はら公園の遊歩道は、桜の並木道で、ばあちゃんといっしょに歩いていたときに、こんなことを聞いた。
「ねえねえ、どうしてさくらは秋に咲かないの?」
「ややあ!!! そんなことないねえ。秋にも桜は咲くんだよ。だって、ばあちゃんは、何度も見たことあるもの」
「えー、ぼくは見たことないよ」
「いやいや!!! 秋にも桜は咲くんだよ。だって、ばあちゃんは、何度も見たことあるもの」
家に帰るまで、16回この話をした。


それから、秋は4回やってきて、小学5年生を終えようとしている。秋に桜が咲いているところを、ぼくの人生では一度も見てない。
ばあちゃんは、嘘をついているんだと、勝手に思ってた。大きくなると、とっくにボケてたんだと思うようになった。だって、もう80歳を超えてるし、全然話が通じない。
「タクちゃんは、映画を見に行きたい?」
「これから、映画を見に行くんだよ、ばあちゃん」
「へええ!!! 映画はやっぱりいいねえ」
という会話を、春休み、映画を見に行く間に7回した。映画がやってる間、ばあちゃんは寝てた。
「今日の映画は面白かったねえ」
「ばあちゃんはずっと寝てたよ」
「いやあ!!! そういうこともあるんだねえ」
という会話を、帰る間、10回した。歩いてる間、ばあちゃんは明後日の方向を見てた。
どういうわけか、ばあちゃんは、ぼくが返事をしたあとのリアクションがオーバーだ。「!」が3個はついているんじゃないか、っていうくらいに、いつも、大袈裟な反応をする。
楽しかった。


その1週間後、ばあちゃんが死んだ。
「ばあちゃん、体に悪いから、お酒はほどほどにしなって、母さんが言ってたよ」
「ふうう!!! やっぱり酒はうまいねえ。タクちゃんも飲みなあ飲みなあ」
未成年の小学生にお酒を勧めた悪いばあちゃんは、その夜、いつも通り布団に入って、翌朝、息をしてなかった。
通夜の参列者が、順番にお焼香を済ましていく。親族の席で、その様子をぼんやり眺めていると、空いていた隣の席に、死んだはずのばあちゃんが座っていた。
「ばあちゃん、死んだんじゃなかったの?」
「いやいや!!! たしかに、そんな記憶もあるねえ」
死んだはずのばあちゃんといっしょに、ばあちゃんの葬式のお焼香が終わるのを眺める奇妙な経験をした。隣に姿の見えるばあちゃんには、生きた存在感がなかった。隣の席を見るとばあちゃんの姿が見えて、お焼香の列に目を向けると、ばあちゃんの存在感は、視界から消えた以上に消えてしまう。
通夜が終わり、ばあちゃんといっしょに棺桶を覗きに行った。そこには、たしかに、ばあちゃんの体が、眠るように横たわっていた。
「ばあちゃんは幽霊になったんだね」
「ははあ!!! まるで鏡を見ているみたいだねえ」
翌日も、焼き場でばあちゃんの体が焼かれる様子を、ばあちゃんの霊といっしょに眺める奇妙な経験をした。ばあちゃんの透ける手と、ぼくの手を合わせて箸を持ち、いっしょに遺骨を骨壷に納めた。
「いやはや!!! まさか、自分の手で自分の骨を壺に納められるなんてねえ。時代は変わったねえ」
「別に時代が変わったわけじゃないんだと思うよ、ばあちゃん」
帰り道、送迎のミニバスの中で、そんな会話を10回した。他の人には見えないばあちゃんの霊と喋って、頭がおかしくなったと思われないように、誰にも聞こえない、声を殺して会話した。
6年生の始業式の前、4月、ミニバスの窓の外、桜の花びらが舞っていた。

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夏、9月、6時間目の算数が退屈で、自由帳に4コマまんがを描く。いちばん頭の悪いヤツらの集まる「じっくりコース」には、ぼくを含めて10人もいない。先生の目は、自然と全員によく届く。すぐに注意された。
「タクラくん。今は問題を解く時間ですよ」
「解いてます」
そして、4コマまんがの続きを描き続ける。
庭に住む妖精「ゲルマダ」が、「ねこくん」の家の屋根裏部屋に住むねずみの「ネルミン」にお茶を出したところまで描き終えた。この続きが思いつかない。窓の外にぼんやりと目を向けた。すると、雨が弱く、降っている。
先生が、今度はぼくの席へと近づいてきた。急いで黒板を写しているページに移ってカモフラージュしようとするが、その必要はなかった。
バラバラバラッ! やら、ガタガタガタッ! とものすごい音が教室に鳴り響いた。再びぼくを叱ろうとしていた先生も、あまりの音に窓の外へと目が行ってしまった。
あ、雨が……、
雷雨だ。
と、思った。
無意識に窓の方へと駆け出した。先生は、落ち着きなさい、席に座りなさい、と必死になって注意をするが、誰も言うことを聞かず、窓際にみんな群がる。
木が折れた。雨粒が、窓ガラスへと叩きつけられる。ガタガタガタと小刻みに窓が揺れる。
遠くで、バチバチッ……、バチバチッ!! と、今にも音が聞こえそうな閃光が連なって上がっていく。電柱がドミノ倒しになっている。電流が空気を走っているのだ。
風が強い。
視界の端に、何かが飛んでくるのが見えた。
「皆さん! 窓から離れなさい!」
聞いたことのない爆発音のような音とともに、ぼくらの目の前の窓一面にひびが走った。悲鳴、どごん、という鈍い音とともに、ベランダに折れた標識が落ちていた。ざわめき、クラスメイトたちは、廊下側の壁へ、我先にと逃げ惑った。
ぼくの目線は、まっすぐ四季野はら公園に向かっていた。四季野はら公園の風景は、窓でひび割れている。すごく、落ち着いて、その景色をいつまでも眺めていられた。
「桜も、折れちゃったかな」
「はやはや!!! 木は強いからねえ。この程度の風じゃ、折れんでしょう」
「ばあちゃんは、楽天家だなあ」
教室でばあちゃんと二人でいるというのは、不思議な感じだった。ぼくはもう、独り言を喋っていると思われないように、声を殺す必要がなかった。声に出さなくても、ばあちゃんと心の中で会話できるようになっていた。
窓からぼくを離そうと血相を変えて走り込んできた先生に触れてしまうと、ばあちゃんの姿は揺らいで消えてしまった。ぶつぶつと先生が何かを言っている。
腕を掴まれて、廊下側に連れていかれながら、ぼくは、いつまでも風と雨に打ちつけられる四季野はら公園を、ひび割れた窓を通して見つめていた。

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あまりに珍しいから見に行こうというので、母さんといっしょに四季野はら公園のあの遊歩道に行った。ぼくもすごく、興味があった。
秋空の下、満開の桜が咲いている。
夏、四季野はら周辺を襲ったゲリラ豪雨は、「ジンダイな被害」を町中にもたらした。電柱がドミノ倒しになり、風に飛ばされた看板やらで、いたるところの家が壊れた。四季野はら公園の遊歩道、桜並木の桜も、一本、この暴風で折れてしまった。
ぼくと母さんは、満開の桜並木を二人で歩き、その一本のところに辿り着いた。周りには、立ち入り禁止のポールが、ぐるりと一周置かれている。
「めずらしいね。秋に桜が咲くなんてね」
母さんの言葉に、一瞬、迷った。
そんなことないよ、だって……、そう答えようとした。でも、「だって」のその先が、続かなかった。その答えに、迷ったんだった。
たしかに、珍しかった。ぼくも、「秋の桜」を初めて見た。でも、ぼくは、めずらしくなんかないことを、知っていたから……。
「いやいや!!! 久しぶりだねえ」
考え事をしていたものだから、少し驚いた。聞き慣れた声のする方を見た。母さんがいるのとは反対側に、ばあちゃんがいた。
少し、嬉しかった。
「ばあちゃんの言ってた通りだったね」
「いやいや!!! 秋にも桜は咲くんだよ。だって、ばあちゃんは、何度も見たことあるもの」
ぼくは笑った。
「それ、何度も聞いたよ」
なに一人で喋ってるの? と心配そうに母さんが聞いた。ううん、何でもない、と答えながら、視線を倒れた木の方へと向ける。同時に、ばあちゃんが、消えてしまうのが分かる。
「こんな奇跡的なこと、めったにないんだから、よく目に焼き付けておかないと」
母さんが言った。
「いやいや…………、」
ぼくは、ニヤニヤしながら答えた。
「そんなことないよ。秋にも桜は咲くんだよ。だって……、ばあちゃんは、何度も見たことあるんだもの」
秋空の桜は、とてもきれいだった。母さんは、不思議そうにこちらを見る。
そして、倒れてしまった桜の木もまた、満開の花を咲かせていた。


帰りは、母さんと別れて、図書館に向かった。司書さんのところに行くつもりだ。
昔、ばあちゃんと来た、四季野はら図書館は、小さな図書館だった。
「いやねえ!!! 知りたいことがあったら、司書さんに聞くと調べてくれるんだよ」
「その話、さっきも聞いたよ、ばあちゃん」
そんなやりとりを13回はした道を、今は、1人で歩く。図書館の入り口を通った。膝くらいの高さの長机の両側に、小さなソファが2つずつ置かれていて、古ぼけたジャケットを着たおじさんは、その一つに座って新聞を読んでいる。それを横目に、正面のカウンターまで歩く。
どこに聞きに行けばいいのかよく分からず、まごまごとしていたぼくに、司書さんが声をかけてくれた。
「どうしたの??」
「あの……」
なんて聞けばいいんだろう?
聞き方を、ばあちゃんは教えてくれなかった。
「秋に、桜って咲くんですか」
「え?」
少し、恥ずかしかった。自分の顔が、火照るのが分かった。だからか、もう一度言った一言は、自然と、力の入った声になった。
「秋に、どうして桜が咲いたのか、知りたいんです」
「ああ! 公園の桜、咲いてたからね」
ちょっと待っててね、と言いながら、パソコンでパチパチと何かを調べた司書さんは、本棚の並んでいる方へと向かう。たぶん数十秒も待ってなかった。一冊の本を持って、戻ってきた司書さんが言った。
「ごめんね、ちょっと難しいかもしれないけど、今、ここにはこれしかなかったの。もっと分かりやすい本もあるから、そっちを予約する?」
ぼくは、首を横に振った。そう? じゃあ、はいどうぞ、と司書さんが笑顔で一冊の本を渡してくれる。
細長い、緑の表紙の、字が小さくて、大人の人が読む本だった。表紙を見つめながら、さっきのソファに座る。そして、『植物はすごい 七不思議編』を開いた。目次を見る。窓から差し込む太陽を明かりで、ページが眩しく、目が痛い。
読みやすいよう、自分の体で、影を作る。

ーーーねえねえ、どうしてさくらは秋に咲かないの?

第1話 サクラの“七ふしぎ”。

ーーーややあ!!! そんなことないねえ。

ふしぎの一 なぜ、秋にサクラの花は咲かないのか?

ーーーだって、ばあちゃんは………

なぜ、秋にサクラの花が咲くことがあるのか? 42ページ。
あった。
「だって…………」
ぼくは、独りで呟いた。知らない間に、目に涙が溜まっていることに気がついた。
本を濡らさないように、ぼくは、涙を拭った。ゆっくりと、目的のページを開く。
そして、今日が、ばあちゃんの幽霊を見た、最後の日になった。

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