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例文 星の花が降るころに 後日談「雨の後日談」

翌日は、雨だった。昇降口に置き忘れられた傘が目に入って、「相変わらずだな」と私は思った。その傘が、戸部君の傘だったから。
天気予報を見たお母さんにでも言われて、無理やり持たされたのだろう。戸部君は、雨が降り始める前に家にたどり着いただろうか。途中で降られて、濡れて帰っている方が、戸部君らしい気がする。
「なんかいいことあった?」
隣で靴を履き替えていた女子に聞かれた。
「別に」
知らぬ間に、顔がほころんでいたらしい。うそだ、とまだ言ってくる友達に、ふふん、と笑い返すと、まあいいや、と言って彼女は帰っていった。
入れたままになっているはずの折りたたみ傘を出そうと、リュックを前に背負った。リュックを開くと、傘はなかった。しまった。忘れた。
濡れて帰ろうかと覚悟を決めたとき、また、戸部君の傘が目に入った。少し迷った。とはいえ、どうせ忘れられた傘だ。戸部君のことだし、取りに戻ってくることもないだろう。元に戻せば、気付きもしないに違いない。
周りに人がいないかきょろきょろとしていたら、廊下の方に他学年の集団が見えた。よくよく考えたら、何くわぬ顔でさっと手に取った方が、怪しまれないかもしれない。さも自分の傘であるかのように、私は傘立てから戸部君の傘を抜いた。
昇降口を出て、傘を開く。勢いよく、ばんっ! と開く音に、少しどきっとした。ちょっと大きめの、男の子用の黒い傘。見慣れない傘の内側を見ていると、急に自分が今握っている持ち手を、戸部君がいつも握っているのだと意識した。会うたび部活の練習で、汗びっしょりだから、なんか手汗で汚そう。
今鏡で見たら、たぶん自分は、仏のような顔をしているんじゃないか、と思う。私は戸部君の傘をさして、どしゃ降りの雨の降る外へと出た。向こうから制服の男子が走ってくる。
黒い傘で、とっさに顔を隠した。通り過ぎようとしたとき、声が聞こえた。
「お前、何で俺の傘さしてんの?」
聞き慣れた戸部君の声だった。恐る恐る、傘の端から顔を覗き込むと、ニヤついた顔が目に入る。雨で前髪が額に張り付いていた。
「泥棒だな」
嬉しそうに戸部君が言う。怒ってはいないようだった。いつもの茶化すような喋りで、いじってくる感じだった。
私は、何も言わずに傘を押し付けて、雨に濡れながら走り去ろうとした。瞬間、シャツの後ろを引っ張られて、引き止められた。
「半分いれてやろうか」
「別にいい」
そう言わずにさ、と相変わらずニヤついた顔で、強引に横に並んでくる。並んできた戸部君から距離をとろうとして並ぶと、傘からはみ出した右肩が雨に濡れた。結局、戸部君のうさんくさい鼻歌を聞きながら、一緒に歩く形になってしまった。
校門を出た。雨に打たれていた私の右肩が、不意に濡れなくなった。黒い傘からはみ出した戸部君の左肩が、少し弱くなった雨に濡れている。
私は、戸部君の肩が濡れないように、ちょっとだけ近くに寄ってやった。

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