合唱コンクール

母さんといっしょに初めて文化祭を見に行ったとき、姉ちゃんは中学一年生で、年子のぼくは小学六年生だった。姉ちゃんが長女で一番上だったから、ぼくは初めて中学校の文化祭を見に行くことになった。
授業や部活で作った作品とかがずらずら並んだ教室展示は、小学校のよりは全然完成度が高く見えたけど、あんまり面白くなかった。母さんも、姉ちゃんの作ったタツノオトシゴの彫金だけパパッと見ると、あとは興味なさそうに他の生徒の作品を眺めた。どれも似たり寄ったりで、授業で作ったって感じがした。
ちょっと早く来すぎた。文化祭の目玉は「合唱コンクール」だった。でも、各クラスの合唱が始まるまでには、まだまだ時間があったから、多少つまらなくても、展示を眺めているくらいしかやることがなかった。
すっかり飽きて帰りたくなっていたころ、合唱コンクールの開場時間になった。少し遅れて体育館に行くと、もう保護者席はいっぱいで、一番後の方の端っこの席に座ることになってしまった。母さんも初めてだったから、勝手をあんまりよく分かってなかったんだと思う。早く来すぎたわりに、体育館に来るのは遅すぎた。
ぼくの体には、まだちょっと大きめのパイプ椅子に座ると、少しかかとが浮いた。足下には、床を汚さないように青緑色の薄いゴムマットが敷いてあった。ちょうどぼくの足下のところで皺になっていて、手持ち無沙汰に足でそれをいじくりまわした。
ブーーー、という低いブザー音とともに、体育館の灯りが消えた。体育館上、ギャラリーの窓を覆う暗幕は、その境目が外の太陽の光を遮り切れずに、暗い体育館に不気味な明るさを残している。最初のクラスが舞台上に並ぶと、パッと照明がついた。途端に、不気味な暗がりが、舞台の照明に負けて真っ暗になったように感じた。
最初のクラスが姉ちゃんのいる1年5組だった。歌は、「涙をこえて」という知らない歌で、めくりに上手な字でタイトルが書かれて、上手な絵がその文字の周りを飾っていた。小学校とは違ってすごいなって思った。
そうして、姉ちゃんのクラスメイトの弾く伴奏が始まって、すごくいいなって思った。前奏。タタタタタタタタ…………のところが強く心に残ってる。

心のなかであしたが あかるくひかる 
かげりを知らぬ 若い心の中で
この世でたった一度
めぐりあえる あした
それを信じて

自分も、そのうちあそこで歌うことになるんだなと思った。あと1年経ったら、自分も中学生になったら、おんなじように歌うんだなとまた思った。ちょっとだけ、ほんのちょっとだけだけど、中学生になるのが楽しみになって、姉ちゃんのクラスの合唱はすんなり終わった。



ぼくは、目立つやつじゃなかったから、すごく大きな思い出もないけど、でも人並みにそれなりに思い出を作って、卒業式を終えて、それで、中学生になった。
入学式が終わって二週目に委員会決めがあった。文化祭委員会に、ぼくは手をあげた。正直、別にやりたかったわけじゃなかった。でも、誰も手をあげなかったとき、心の端っこを姉ちゃんの合唱がかすめた。そうして誰もやらないならって、手をあげただけだった。
実際、委員会の活動が始まってみると、辞めればよかったと思うこともけっこうあった。委員会の活動がある日は、部活にも参加できないし、委員会の目標決めとか、学年跨いだ自己紹介とか、ぶっちゃけ意味ないよなって思ったりして、無駄な仕事にうんざりしながら話を聞いていることも多かった。
クラスの学活での、最初の活動は、文化祭オリエンテーションで、クラス内の係分担をした。よく分からなくて、ヤナギダというもう一人の女子の文化祭委員といっしょに、委員会の先生から配られたプリントの通りに話し合いを進めた。
「まず、伴奏者と指揮者と紹介係を決めたいと思います」
紹介係って何ですか、という質問がクラスメイトから出た。ぼくは、えっと……と言いながらプリントの「紹介係」のところを見た。
「合唱コンクール当日に、の歌う前に、えー、クラスで歌う自由曲の紹介とクラス練習で頑張ってきたこと、歌の聞きどころを紹介する係です」
先生からもらったプリントに書いてある台本を、台本通りに読み上げた。クラスのみんなが納得したような雰囲気になった。ぼくは、それを見て話し合いを続けた。
「まず伴奏者から決めます」
一人が手を挙げてくれた。うちのクラスにピアノを弾ける子は、彼女一人しかいなかったから、それで決まった。ヤナギダが黒板に、伴奏者、指揮者、紹介者と書いていた。伴奏ってどうやって書くんだっけ? ぼくが分かんないと答えると、ひらがなでいいじゃんとか何とかみんなが言った。ええーとか言いながらも、ヤナギダは、もういいや、ひらがなで、とかなんとか言って「ばんそうしゃ」「しきしゃ」「しょうかいしゃ」と黒板に書いていく。書き終えると、「ばんそうしゃ」の下に「イケヤ」と手をあげてくれた女子の苗字をカタカナで書いた。
「えーと、次に指揮者を決めたいと思います」
クラスで一番リーダーシップのある女子が手をあげた。体育祭でも応援団長をやった子だった。おー。さすが。やいのやいのとクラスが盛り上がる。他に手をあげるクラスメイトはいなかったから、それで決まった。ヤナギダが、「しきしゃ」の下に「タカサギ」と書く。
紹介係も、こういったことをいつもやってくれる目立つ子がなった。
「最後に選曲係を決めたいと思います」
選曲係ってなんですかという質問があがった。
「えーと、クラスで歌う自由曲を10曲の候補曲の中から5曲選ぶ係です。放課後に部活よりも優先して、残ってくれる責任感のある人になってもらいたいです」
先生からもらったプリントに書いてある台本を、台本通りに読み上げた。放課後に活動するのは何日くらいやるんですかという質問があがった。
また、先生からもらったプリントに書いてある台本を、台本通りに読み上げた。そうやって順調に合唱コンクールの話し合いは進んでいった。



今から思うと、クラスがばらばらになりはじめたのは、クラスで歌う自由曲の選曲のころからだったんだと思う。選曲係が、選んでくれた5曲の中に、「大切なもの」が入っていなかった。それがいいと、一人の男子が言い出した。「大切なもの」は、長野小の子たちは小学校の卒業式で歌った歌だった。知っている人が多いから歌いやすいし、思い出のある曲だから心を込めて歌うことができるとその男子は語った。うなづく子がちらほらとクラスの子たちの中にいる。
「この意見に賛成の人」
ぼくは、深く考えることなく聞いた。2人差で「大切なもの」が多かったから、ぼくもヤナギダも多数決で「大切なもの」をクラスの第一希望にすることに決めた。
「第一希望は、『大切なもの』でいいですか」
改めてクラスのみんなに聞くと、クラスのみんなから「はい」という大きな返事が返ってきた。選曲係が選んでくれた曲は、そのままの希望順で第二希望から第五希望まで繰り下げになった。みんなの意見を取り入れられてよかったとぼくは思った。
ただ、くじ運が悪かった。ぼくたちのクラスの曲は、第五希望の「COSMOS」だった。文化祭委員会の翌日、朝学活で自由曲の発表をしたとき、クラスの「あーあ」っていう雰囲気がひしひしと伝わってきた。担任の先生は何を考えているのか、椅子をゆらゆらさせながら黙って座っていた。あの人は、いつもそういう人だった。

クラス練習で使うCDプレーヤーとキーボードの動作確認をした放課後、思ったより帰りが遅くなった。そのせいで塾に遅刻した。塾の先生に遅刻の理由を聞かれた。
「文化祭委員をやってて、それで、放課後にキーボードとかの確認してて遅れちゃいました」
先生は意外そうな顔をした。
「委員会やってるんだ。いいじゃん」
ぼくは、「何が?」と思って首を傾げた。その様子を見て、先生が続けた。
「そういう委員会活動とかは積極的にやった方がいいよ。内申にプラスになるし、もし推薦とかで面接になったら、話のネタになるから。今は1年生で、直接入試には関係ないけど、来年とかもやるといいと思うよ」
塾の先生の言っていることを聞いたとき、なんて言ったらいいか分からないけど、なんか、嫌な気持ちになった。別に、やりたかったわけじゃない。他に手をあげる人がいなかった。だから、手をあげただけだった。別に、やりたいっていう気持ちがあったわけじゃない。他にやりたい人がいるなら、やらなくてもいいことだった。一生懸命、委員会の仕事をしてるわけでもない。割と、淡々とこなしてるつもりだった。全然、すっごくやる気があるとか、そんなことはなかった。
でも……、それでも、内申とか、面接とか、そういうのとは、なんか違うと思った。たしかに、違わないのかもしれないと思うところはある。内申点はよくなるかもしれないし、面接で話せるネタになるのかもしれない。自分でも知らないうちに、先生からの印象がよくなるかもって、たしかに思ってたかもしれない。でも、やっぱり違うって思った。そんな風に言われるのは、ちょっと腹が立つなって思った。
ーーー委員会やってるんだ。いいじゃん
その言い方が、なんか気に食わなかった。ぼくがやってるのは、委員会じゃない。文化祭委員会だって、そう思った。



本番の前日、クラスが揉めた。ぼくにとっては、どっちでもいいくだらないことのように思えた。でも、クラスのみんなにとっては、あくまで優勝をねらって頑張るのか、優勝は諦めてクラスみんなで楽しい思い出を残すのか、大切な問題だった。
うちのクラスはお世辞にも優勝がねらえるほどに上手ではなかった。だから、最後に楽しく本番を歌いたいという話が出た。大したことをするわけじゃなかった。自由曲のリズムに合わせて体を揺らして歌おうとか、それくらいのことだった。
前に出て全体の議論を進行したのは、指揮者とソプラノパートのパートリーダーだった。ヤナギダじゃなく、そして、ぼくでもなかった。
体育祭でも応援団長をやっていたタカサギは、指揮者という立場もあって、クラスの気持ちを一つにまとめようと話し合いを進めていた。いっしょに前に立っていたパートリーダーも、それをサポートした。ただ、どうしても決まらなかった。ぼくは、その話し合いの様子を自分の席から眺めていた。
一つだけクラス全体に声をかけた。
「とりあえず、歌の練習をしましょう」
それが、台本にはない自分の言葉だった。合唱は、合唱だと思った。体を揺らすとかどうとか、そういうことじゃなくて、合唱の練習をしようよって思った。
練習最終日の今日は、最終リハーサルと称して第一音楽室での練習が割り当てられる。他のクラスとの兼ね合いもあって、音楽室を使える時間は20分間だった。「COSMOS」の指揮者のタカサギが、みんなの前に立って手をあげる。間の外れたような動きで、全員がそちらを向いた。タカサギが、ため息とは分からないようなため息を肩でついたのが分かった。伴奏者に向かって、指揮を振り出すと、場違いな前奏が響き出して、みんなが歌いはじめる。
その声は、練習の成果が形になって初めて歌ったときよりもはるかに上手に音楽室へと響いた。それでいて、クラスのちぐはぐな気持ちが、迷いとなってずれていくように聞こえもした。
音楽室から教室へと戻ってくると、また、話し合いの続きがもたれた。ぼくはやっぱり傍観者だった。最後のチャイムが鳴ると、先生が言った。
「残念、タイムアップだったな」
そういって、先生は少し笑った。



ぼくたちのクラスの出番は、全体の四番目だった。「COSMOS」を歌え終えて、みんなが席に戻った。
ぼくの文化祭委員として最後の仕事は、本番当日、途中の休憩の前、舞台の上で会場での注意事項を言う役目だった。舞台の上から、同級生、上級生、先生、保護者、合わせて1000人を超える人たちの座っている客席を見た。クラスで「COSMOS」を歌ったときよりも、その一人ひとりの姿が鮮明に見えるような気がした。あるいは、まったく見えないような気もした。ぼくは台本を間違えて読みあげた。
台本を読み間違えたのは、この委員会の仕事をした半年間で初めてのことだった。照れ隠しに笑いながら、舞台袖に引っ込んだ。
舞台裏で、他の委員にいじられて笑った。軽くため息をついて、もう一度舞台の方を見る。休憩時間が終わると、何事もなかったかのように合唱コンクールは進んでいく。ぼくは、その様子を文化祭委員として最後まで見守った。
文化祭委員として、見守った。

涙をこえてゆこう
なくした過去に なくよりは
涙をこえてゆこう
輝くあした見つめて

二年生の合唱が始まる。一年前の、あの姉ちゃんたちのクラスのような歌声が、ホールいっぱいに広がる。

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