貧困、その距離感

私に空手を教えてくれた師匠は、タクシー運転手だ。なりたかったわけではなく、かつては設計士をしていた。
師匠の働いていた建築会社は、30年前に倒産した。社員たちは、会社の実態を知らずに、2ヶ月分の給料を受け取れず、無職となった。不景気の中、同じ職には就けず、ようやくタクシー運転手となった。
私が仕事を探していたとき、一緒に飲みながらそんな話をしてくれた。家族のいた師匠が、新しい仕事に就くまでの間、どんな生活をしたのかは知らない。特に、聞かなかった。こちらから聞く話でもないと思った。これから先も、この話の続きを聞くことは、ないだろう。
師匠は、道場での稽古用に道具を作ってくれる。この間も、巻藁という正拳突きの稽古道具をプレゼントしてくれた。私が使う用に、ピッタリと寸法のはまった巻藁を見て、師匠が元設計士だったことを思い出す。会社が倒産し、収入もなくなってしまったとき、師匠は、本当はどんな仕事をしたかったのだろうかと、ふと考える。
私は、中学校教師になった。中学校とは、あらゆる生活をしている人たちの集まる、最後の場所だと思うようになった。高校や大学、職場の人々。歳を重ねるほどに、似たような学歴、価値観を持った人しか、周囲にはいなくなっていく。
ただ、近くに住んでいたというだけの子どもたち。隣に座っているその子が、どんな家に住み、親がどんな仕事をし、いくら稼ぎ、どんな生活をしているのか。自分は知らなかったのだと、知った。
仮に、生活保護で暮らす家族がいて、わざわざ友達に知られたい子はいない。話にあがる機会もない。知らないからこそ、気のおける友達でいられる。そうして、多くの苦しみは、誰に知られるでもなく、静かに心に秘められる。時に、自分たちの生活が苦しいものなのだと知ることもなく、これが普通なのだと過ごす子もいる。
やさしさでは、救うことができない。必要なのは、家族で生きていけるだけの仕事であり、金である。そして、それらを保障できる仕組みと、その知識であると、その生活の実態を知るにつれ、思うようになった。
職を失い、金を失い、家を失い、何を頼りにすればよいのかも分からない人々に、どうしてあげられるだろう。もし自分がそうなったとき、どこへ行き、誰を、何を頼りにすればいいのだろう。
それに、答えられる大人でありたい。そんな質問を、気軽にしてもらえる人でありたい。そう思って、まず一冊、本を開いた。

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