エッセイ「静かな教室」

「授業規律」と呼ばれるものがある。授業中に発言をするときは、手を挙げてから発言しなくてはいけない。先生が話しているときは、手を動かさずに、先生の方を見ながら話を聞かなくてはいけない。チャイムが鳴る1分前には、次の授業の準備をして、席に座っていなくてはいけない。そういうルールのことを呼ぶ。
子どもだったころは、よく思ったものだった。なんでたった一言喋るために、わざわざ挙手などしなくてはならないのか。なぜ、学校の先生の興味もない話を聞いてやらなくてはならんのか。1分前から座らなくてはならないのなら、始めから1分前にチャイムを鳴らしておけばよいのではないか。本当は、今でもわりと、思ってる。

たくさんの人の前で話をするのが、苦手だ。自分の話した言葉に、聞いている子たちが笑ってくれたり、相槌を打ってくれたり、勝手になんか喋り出してくれたりすると安心する。少なくとも、自分の話を聞いてくれているんだと、分かるから。
でも、そのうち、授業と何の関係もない会話を始める奴らが出てくる。ぼくが喋っている間に、ずっと後ろを向きながら二人で話している奴らがいた。
「さっきから何話してんの?」
と聞いた。
「今日帰ったらスマブラする約束してました」
教室に笑い声が広がった。
あとでしろ、と思った。
「あれだな、今日から授業中に、授業に関係のない話をするのは禁止じゃ」
わりと真面目に言った。
「今まではありだったんですか!」
とつっこまれた。また、教室で笑いが起こった。そして、自分もつられて笑った。教科を教える身としては、いつもそんなじゃ困る。

友達と話をするとき、その会話に「授業規律」のような形あるルールはない。相手が話をしているときは、静かにして話を聞きましょう、なんてルールがなくとも、友達の話を聞いたり、自分の話を話したりする。それは、ただ楽しいからで、興味があるからで、話したいからで……。
授業で話をするときも、そんな、ルールのいらない会話に憧れる。静かに聞いていなくてはならない。そんなことを言われなくても、聞きたくなる話。自分の意見や考えを言いたくなるような質問。ばかばかしくて、くだらないけど、少し知的で、学びのあるやりとり。

30人もの生徒たちが、自分の方を見て、真面目に話を聞いている。ぼくが、何か質問をしても、誰も答えてくれない。そういう時間が、少し寂しい。
くだらなくて、どうでもよくて、授業の内容と何の関係もない無駄話。授業という時間も、そんな話が、気楽にできる空間であってほしい。ただ、それだけじゃ、休み時間と変わらない。やっぱり、新しい知識を得て、普段は真面目に考えることもないことを一生懸命考えたり、議論したり、そうやって成長できる時間で、授業はあってほしい。ただ、それだけじゃ、授業の時間は、普段の、何気ない毎日からかけ離れていって、いつしか、成績をもらうためだけの時間になっていく。

いつだったか、こんなことを生徒に聞いたことがある。
「みんなって、なんで宿題提出するの? 意味がないと思うなら、出さなきゃいいのに」
「いや、なんでって、出すのが普通でしょ。成績悪くなっちゃうし」
学校の「成績」が、何の意味もなくなったとき、忘れられてしまう知識。社会に出て、大人になったときに、何の価値もない知識。そうじゃない知識は、どこにあるのだろうかと、いつも考える。
休み時間にするような何気ない会話。教室の、学校の外で、見て、聞いて、知った世界。そんな、「授業に関係ない」くだらない話と、授業中に話す真面目な話とが、結びつく。そんな瞬間に、本当に意味のある学びが、きっとある。

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