リチクク

宮城県でバーを営業しております。カレーなどのエスニックや創作料理を提供しております。食…

リチクク

宮城県でバーを営業しております。カレーなどのエスニックや創作料理を提供しております。食をテーマに海外を旅するのが趣味です。

最近の記事

[番外編]SUSHIとクラフトビールから読み解くスパイスカレー

今から18年程前のことだ。私はインドのニューデリーのとある薄暗いアパートにインド人数名といた。 帰国間近であった私は所持金が詐欺に遭って底をつきかけ、何なら善良なインド人から金を借りてさえいた。旅の疲れと不衛生さから腹も下し気味になっていた。 宿泊宿のオーナーの弟であるB氏から「金が無いならカレーをご馳走してやる」という理由で彼の仲間数名と一緒にアパートへ連れて来られた。 室内にあるベッドに皆腰を掛けると(知らないインド人が寝ていたが気にする素振りもなかった)、新聞紙を広げ、

    • モンゴルとゴビ砂漠⑩ 終章

      砂漠の旅も終盤に近づいた頃だ。遊牧グルメや砂丘遊びに我々は本来の目的を忘れ、心はすっかり満たされていた。 最大の有力情報しかしながら遊牧民へモンゴリアンデスワームについての聞き込みは続けていた。 実のところ最初は仕事と割り切って関心を示さなかったガイドのOさんは、時を経るにつれデスワームへの調査に前のめりになっていったのだ。我々を焚き付けるように取材に勤しんでいた。 そんな中とあるゲルで有力な情報を耳にした。 聞き込みした対象は中年女性で、取材時の前年に薬草取りをしていたと

      • モンゴルとゴビ砂漠⑨遊牧グルメ編 その三

        内蔵屠りたての山羊は小籠包の他に内蔵の塩茹でも食べた。 血液も無駄にせず料理に使う。屠殺シーンは見れなかったが伝統的な方法は腹部にナイフで切れ込みを入れ、そこから手を突っ込んで心臓付近まで延ばし人差し指と中指で太い血管をネジ切り、そして腹腔内に溜まった血液を切れ込みから容器に注ぐ、といった流れだ。 内蔵茹ではシンプルな味付けにも関わらず、濃厚で臭みが少なくこれまた唸る美味しさであった。 アルコールと一緒に食べたい。 資源の少ない土地で家畜を食べるとなると本当に無駄がない。

        • モンゴルとゴビ砂漠⑧遊牧グルメ編その二

          ラクダモンゴルにおける家畜は五畜とも呼ばれ、これは牛、山羊、羊、馬、ラクダを指す。 これらがどこでも飼育されている訳ではなく、エリアに寄って偏りがある。北部のエリアは牛や羊が多いが南部はそれらは少なく、ゴビに至っては山羊とラクダが多い。当然ながら気温や降水量、植生によって適応できる家畜が変わるのだ。 ゴビにいるラクダはフタコブラクダで昔は運搬用として活躍していたようだ。その昔、天竺を目指した三蔵法師は旅路であるゴビ砂漠のあまりにも過酷な環境に心が折れそうになり、般若心経を唱え

        [番外編]SUSHIとクラフトビールから読み解くスパイスカレー

          モンゴルとゴビ砂漠⑦遊牧グルメ編その一

          ズルガナイオアシスではモンゴリアンデスワームを確認する事はできなかったが、後日動体検知カメラに謎の動きをする物体が一瞬映り込んでいる事が判明した。これが一体何なのか、未だデスワームの可能性を捨てきれていない。 それをまだ知らずにオアシス調査を終えた我々は再び長距離移動し、聞き込みを兼ねて新たなゲル集落を訪問しゴビグルメに舌鼓を打つのであった。 馬モンゴルの遊牧民にとって馬は何と言ってもかかせない。老若男女誰もが乗りこなすという。 かつて無敵と謳われたモンゴル帝国の強さたる所

          モンゴルとゴビ砂漠⑦遊牧グルメ編その一

          モンゴルとゴビ砂漠⑥ズルガナイオアシス後編

          ハードキャンプズルガナイオアシスにおいて、モンゴリアンデスワーム調査のフィールドワークの他は所謂キャンプ生活だ。 私はあまりキャンプ経験はないが日本はコロナ禍以降アウトドアブームが到来し、ソロキャンプや冬キャンプなど多岐に渡ったスタイルが見受けられる。 今回の話はキャンプブーム前の事だがかなり特異的なキャンプであったと今になって思う。 6月のズルガナイオアシスのキャンプはかなり過酷だ。私は勝手に3地獄と呼んでいる。 灼熱地獄、虫地獄、突風地獄。これら3つの地獄に交代で見舞われ

          モンゴルとゴビ砂漠⑥ズルガナイオアシス後編

          モンゴルとゴビ砂漠⑤ ズルガナイオアシス 前編

          モンゴリアンデスワームの調査地までの中継地点であるセブレイのゲル集落を出た我々は、目的地となるズルガナイオアシスへと車を走らせた。 広大なゴビはとにかく移動時間が長い。車中では英語が堪能なガイドのOさん(英語を話せないドライバー2人にも通訳してくれた)と色々な話をした。 モンゴリアンデスワームについては、3人とも聞いたことあるような無いような反応だし、存在しないだろうといった面持ちだ。しかしあくまでビジネスなので依頼を受けてくれたのだろう。 日本にやってきた外国人が個人ツア

          モンゴルとゴビ砂漠⑤ ズルガナイオアシス 前編

          モンゴルとゴビ砂漠④ ゲル宿泊編

          ゲル集落に到着した我々モンゴリアンデスワーム調査隊は、カルガモ親子のようにガイドのOさんに着いて行き1つのゲルの中へ入った。 「サインバイノー!(こんにちは)」 住人らしき人が2人いる。 ゲル内は生活感ある調度品がきれいに置かれていて広々としている。テレビまである。 Oさんはモンゴル語で2人に話しを始めた。 Oさんの話が一通り終わると2人は出て行ってしまった。 要約するとOさんはゲルの宿泊交渉をして、我々はこの晩ここに泊めてもらうこととなった。元々いた2人は隣の親族のゲルに

          モンゴルとゴビ砂漠④ ゲル宿泊編

          モンゴルとゴビ砂漠③ 砂漠走行編

          我々モンゴリアンデスワーム探査隊はウランバートルから国内線でゴビ砂漠へ向かった。 飛行機は小型機で荷物の重量制限が厳しい。テントセットや動体検知カメラ数台など重量が嵩む物が多く、荷物検査が通るかかねてより心配していた。 事前に総重量を測り各隊員の荷物にバランス良く振り分けた甲斐あって、何とか検査をパスする事ができた。 目指すはウムヌゴビ県ダランザドガド市。 空港を出ると、事前に手配していたガイド1人とドライバー2人がランクル2台で出迎えてくれた。 ガイドは女性のOさん、ド

          モンゴルとゴビ砂漠③ 砂漠走行編

          モンゴルとゴビ砂漠② ウランバートル編

          UMA探査隊北京からウランバートルへ到着した我々はゲストハウスに着くと、先に入国していたKさんとM君に合流した。 今回の旅の目的はゴビ砂漠にいると噂される未確認生物(UMA)「モンゴリアンデスワーム」なるものを探し出す事であった。 世界各地で名を馳せるUMA達、代表的な物を挙げるとネッシー、ビッグフット、チュパカブラ、我が国日本でもツチノコは馴染みがあるだろう。 皆昔から噂されているものの現代に至るまでほとんど発見されていない。発見された事例としてはシーラカンス位であろうか。

          モンゴルとゴビ砂漠② ウランバートル編

          モンゴルとゴビ砂漠① 序章

          2016年6月、我々3人は北京空港の待合ゲートでウランバートル行きのフライトを待っていた。 偶然隣にいた肉付きの良い優しそうな顔をした男が、日本語を話せるモンゴル人であった。 モンゴル人と聞いて私達はどうしても尋ねたい事が念頭にあった。 「オルゴイコルコイについて何か知っていますか?」 男は首を傾げる。伝わっていないようだ。 「ゴビ砂漠にいると言われている、巨大なミミズです」と説明を加えた。 男は一瞬困った顔した後、「雨降った後、地面を掘ると出てきます」と述べた。 手のジェス

          モンゴルとゴビ砂漠① 序章

          冬のシベリア⑬ 終章

          ヤクーツクから再びハバロフスクに戻ってきた。 旅も終わりに近い。 最後にどうしても訪れたい場所があった。 シベリア抑留者の墓地だ。 帰りのフライトが出る空港に向かう途中にタクシーで立ち寄る事にした。 運転手はハバロフスクでたまたま拾ったタクシーで、仲良くなったSだ。 彼は当時のスマートフォンの翻訳アプリで一生懸命世間話をしてくれる世話好きな男で、最初に乗った時は「暖かい季節になると子供を連れて泊まり込みで釣りに行くんだ」と大自然の中で釣りをしている動画を見せてくれた。 夜明け

          冬のシベリア⑬ 終章

          冬のシベリア⑫ ヤクーツク編 大学とレストラン

          マンモス博物館を訪れた翌日、日本語講師のKさんに来るようにと言われた大学へ向かった。大学は博物館近くにある立派な建物で簡単に辿り着いた。 北東連邦大学という立派な国立大学だ。 校門でKさんに再会してから校内へ入り、日本語学科長室へ通されると女性学科長のEさんに挨拶した。料理の勉強でヤクーツクへ来ている旨を伝えたところ学科長は「あら、だったらあそこのレストラン紹介したらいいんじゃない?」とKさんに視線を送った。Kさんも納得した面持ちで同意し、何処かへ電話をかけ始めた。 なんと

          冬のシベリア⑫ ヤクーツク編 大学とレストラン

          冬のシベリア⑪ ヤクーツク編 永久凍土王国と日本語王

          マンモス博物館で出会った我々日本人3人は、お互いなぜ真冬のサハにいるのか経緯をシェアした。 まずヤクーツク在住で日本語講師のKさんは、教え子であるK君(日本語が本当に流暢!)にトレーニングがてら博物館を日本語で案内させていたそうで、もう1人の女性Aさんはウラジオストックで日本語を教えていてKさんの講師仲間だ。Aさんは休みを使ってKさんに会いにサハにやって来ているとのこと。 2017年の時点でサハ在住日本人は3人いて、Kさん以外の2人は留学生、一時的に住んでいるだけだそうだ。

          冬のシベリア⑪ ヤクーツク編 永久凍土王国と日本語王

          冬のシベリア⑩ ヤクーツク編 マンモス博物館の出会い

          サハ共和国は資源大国だけに留まらずマンモス大国でもある。冷凍マンモスがバンバン採掘されているのだ。 ヤクーツクに来たらぜひ訪れて欲しいスポットの1つがマンモス博物館だ。 日曜定休博物館宿のフロントに博物館への行き方を尋ねると、少し遠いのでバスで行くよう言われた。外出に慣れて来た私は「大丈夫、歩いて行く」とつっぱねて外へ出た。30分位で着くだろうと考えていたが、いざ付近まで来ると場所が分かりにくく、途中5人位に聞いて彷徨う事2時間もかかってしまった。しかもやっとの事で辿り着い

          冬のシベリア⑩ ヤクーツク編 マンモス博物館の出会い

          冬のシベリア⑨ ヤクーツク編 魚釣り

          冬のサハでは凍った川で釣りができる。日本のワカサギ釣りと要領はほぼ同じだ。 宿のオーナーに釣りがしたい旨を相談したらツアーを予約してくれた。翌日車が迎えに来ると、私の他にイギリス人親子が先に乗っていた。 更に釣りガイドをピックアップし川を目指した。 厳寒の釣り人冬の川は当然ながら凍っており、雪もそこそこ積もっているので川と陸地の境目がさっぱり判別できない。 フロント部分をガムテープで補強した三菱デリカは大雪原をガンガン進む。毎度日本車は世界の辺境で頼もしく活躍している。

          冬のシベリア⑨ ヤクーツク編 魚釣り