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30歳で韓国に渡った話。


2019年12月、まだコロナは遠い別世界のものだと錯覚していた頃、
私には付き合って3ヶ月の韓国人の彼氏が居た。
いわゆる遠距離恋愛だった為、あるタイミングで彼氏から韓国でのワーキングホリデーを提案された。私は当時、仕事を続けるか悩んでいた事もあり、すぐに心を決めた。仕事を辞めて、韓国に行く。

その時私は30歳。ワーキングホリデービザの取得は30歳以下である事が条件だ。私は半ば諦めながらも、すぐに領事館に電話をして尋ねた。
「31歳の誕生日よりも前に申請して、出国すれば大丈夫」とのこと。
これは運命だ!今しかない!私でも韓国に行けるんだ!と嬉しくなった。
そして私はすぐに必要書類を集め、活動計画書を作成し、領事館に申請書を提出したのだ。
若干の無計画さはあったかもしれないが、もちろん自分の貯金額や相手の収入を考慮し、二人でしっかりと計画を立てた。

これを何人かの友人に話すと、予想通りの反応が返ってきた。
「韓国好きだったもんね、すごいね」「この歳で動けるなんて尊敬する、私だったら行動できない」「30歳で海外ってすごい…結婚はどうするの?」

友人たちの気持ちも十分に理解できた。
ただ、私は「30歳なのに」「行動できるのがすごい」という言葉に引っかかった。
こんなに短い人生なのに、たった30年で行動に制限がかかってしまうなんておかしな話だと思うし、行動したかったらすればいいと思う。
誰でも動きさえすれば、出来るんだから。
「何かしたい」っていう中途半端な気持ちを持ちながら、
年齢や環境を理由に「何もしないのに何かしたい人」にはなりたくなかった。

他にも、「ワーホリ後は日本に戻って来るべきだ」とか「滞在期間をもう少し短くしたらどうか」などと言われ、色々と頭を悩ませられた。
(今改めて考えると、どうしてこんな事を言われなくてはならなかったんだろう)
しかし結局、私の意見は曲がらなかった。

この時、私を強く動かしていたのは「1度でいいから韓国に住んでみたい」という、数年前から抱いていた小さな夢だった。
そしてその夢を一緒に叶えてくれようとする彼氏に対して「この人なら大丈夫」という強い確信を持っていた。

2020年1月、領事館で無事にワーキングホリデービザを受け取った。
あとは身の回りの整理をして、3月末まで仕事をしたら韓国に行く。
念願のビザを取得できた安心感もあり、気持ちがフワフワしていた。

そして2月下旬、韓国の大邱にてコロナ集団感染という大きなニュース。
とても嫌な予感がした。
大丈夫だよね?と毎日インターネットにかじりついた。

そして今でも忘れられない2020年3月、韓国政府が発表した
「3月9日0時より、日本人を対象とした、発行済みのビザの効力停止」のニュース。

確か発表されたのは6日頃だったと思う。夜だった。
頭が真っ白になった。色んな希望を詰め込んだ私のビザが、
ただの紙切れになるのだ。

次の日、領事館が開く時間に合わせて電話をするもなかなか繋がらず、
やっと繋がった時に言われたのは「何時でもいいから、8日の飛行機を取って入国したら大丈夫」という言葉。
3月末までは仕事があり、それは不可能だ。
「すぐの入国が出来ないなら、ビザの効力が復活するのを待つか、再申請をしてもらうしかない。再申請をした瞬間、今持っているビザは無効になる。ただ再申請をしても、コロナの影響で審査に時間がかかるから、新しくビザを受け取れるのは一ヶ月以上、もしくは数ヶ月かかるかもしれない。だから効力の復活を待つ方が早いかもしれない。」とのこと。

私は泣きながら彼氏に電話をしたのを覚えている。
そして悩んだ末、効力の復活を待ってみる、という決断をした。

4月になった。日本では、第1回目の緊急事態宣言が発令された。
仕事もないし、家からも出られない。
人々はコロナに怯えている。
毎日、家で韓国語の勉強をし、時々友達とオンライン飲み会をした。
同じ事をして、食べて寝て、暮らしは平和だった。
しかし、日々変わるコロナの状況、感染者数、韓国の情報に
一喜一憂を繰り返し、心はとても疲れてしまっていた。

そしてある日、「このままだとダメだ!すぐに再申請をしなければ」と感じた。
彼氏は反対をした。もう少し待ってみるのが良いと思う、と何度も言われた。
けれど理由は分からないが、状況は悪くなる一方で、今動かなかったら韓国に行けなくなる、と思ったのだ。

領事館に電話をしたら「5月6日に緊急事態宣言が終わるかもしれないから、その時に来て欲しい」と言われた。

待ちに待った5月6日、緊急事態宣言の延長が決まった。
やはり終わらなかったのだ。
(最終的に各地で解除されたのは5月25日頃だった)

5月8日、私の予感はもう確信に変わり、
すぐに領事館へ再申請をしに向かった。
領事館までの通りは本当に異様な空気だった。
外に出る、という犯罪を犯している気分だった。

窓口の前に行き、自分の番号が呼ばれるのを待つ。
その間も「今は新規の申請は難しい」と追い返される人も居た。
「書類が足りない」と言われる人も居た。
受験の合格発表を待っているかのようで、気が気じゃなかった。
そして私の番。担当の方に再申請の分の書類を手渡すと、
「5月27日にはビザが発行されます」と一言。
本当に本当に、遂にやった!!!
韓国に行けるんだ、という喜びでいっぱいになった。
数ヶ月間の静かな戦いが終わったのだ。

それから約一週間後、新規・再申請関係なく
ワーキングホリデービザの発給自体が停止した。
この知らせを見た時は、本当に震えた。
もし私があのタイミングで申請に行かなければ、
ビザを手に入れることは出来ず、入国できなかったのだ。

私は本当に運が良かったのだが、
「領事館の言う通り、緊急事態宣言が終わってから申請をしよう」
と待っていた人たちは、どれだけ悲しい思いをしただろう。
私の記憶では、それから約2年間ワーホリビザだけ発給停止のままだった。



私は6月に無事韓国に入国し、PCR検査も陰性。
二週間の自宅隔離期間を終え、彼氏と4ヶ月ぶりの再会を果たした。
それからの韓国での生活は、私にとって夢のような日々だった。

ワーホリビザで1年間過ごした後は、いくつか日本語塾の面接を受け、
無事に日本語教師の仕事に就き、ビザを切り替えた。
韓国で良い友達に出会い、知り合いも増えた。
そして現在、彼氏と結婚の約束をし、入籍に向けて準備をしている。
私は34年間生きてきて、今が1番幸せだ。

「全ての出来事は一つの選択によって大きく変化する」
自分の事に責任が取れるのも、取ってくれるのも自分しかいない。
他人ではなく、自分である。
このことを強く感じた3年間でもあった。



#あの選択をしたから

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