Living

あの日ミロが居なくなってからというもの、母の言葉数は分かりやすく減っていった。

ミロというのは私たち家族が飼っていた柴犬の名前で、私が6歳の時に捨てられていたミロを父が拾って家に連れて帰ってきたのが始まりだった。
ミロという名前は私が名付けたもので、当時飲んでいた大麦飲料の「ミロ」から来ている。
最初は犬を飼うことに猛反対していた母だったが、初対面から3日後には一緒に楽しく散歩していた。
私に懐いてきたと感じることが出来たのは、たしか出会ってから1ヶ月くらい後だった。

母はよくミロに話しかけていた。
学生の頃、学校から帰ってきた私がリビングに入ると、母とミロはたいてい横並びでテレビを見ていた。
母は番組の感想をああだこうだとミロに話しかけるのだが、ミロは整然と画面を見つめているだけであった。
私が横にミロを連れてきて一緒にテレビを見ようとしても、ミロはすぐに離れて、台所で料理やら洗い物をしている母の足元へと駆け寄っていくのだった。

そんな日常を16年間送ってきたのだが、ミロは私が新社会人として働き始めた矢先の春、つまりは1ヶ月前にポックリと亡くなってしまった。
老いを感じることはあったものの、まだその時では無いのだろうなと思っていたばかりに喪失感は大きかった。
家族全員が悲しみにくれたが、一際気を落としていたのは紛れもなく母だった。
ミロと過ごす時間が最も長かった母がとてつもないダメージを受けていたのは想像に容易かった。
かつてミロが入っていたケージには、未だにミロの寝床として使われていた毛布や飲みかけの水がそのまま放置されており、その横には開封済みのドッグフードが置かれたままになっている。
きっと母はミロがそこに居たという証拠を取り除いてしまうと、元から存在していなかったかのように思えてしまうのが怖いのだろう。


私が仕事から帰ってきてリビングに入ると、母は1人ぽつんとテレビの画面を眺めていた。
「ただいま。」
「おかえり。」母は抑揚のない声でそう返す。
その声を聞いてから、私はビジネスバッグをソファの上に置き、母の隣に座った。
「ケージ片付けないの?」
「あぁ、うん。そのうちね」
母が弱々しく応える。
慰めるのが正解なのか、割り切れと言ってしまうのが正解なのか自分でも分からない。
「ミロってお母さんと1番仲良かったよね」
「そうなのかな」
「そうだよ。少なくとも私とお父さんとミロはそう思ってるはず」
「そうなら良いな」
母はそう言って少し姿勢を崩した。
「ミロは死んじゃったけど、消えたわけじゃないんだよ。というか、色んな場所に行けるようになったんだよ。雲の上でも、海の中でも、お母さんの足元でも。」
「心の中とか言わないんだね」
「なんか恥ずかしいじゃん」
私がそう言うと母は少し笑ってから立ち上がり、夕飯の支度しなくちゃと言って台所へ向かった。
そして、ケージの横で腰を落とし、中途半端に残ったドッグフードを手に取ると、小さくまとめてタンスの奥にしまった。

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