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子育て。親バカ日記。「子どもがかわいい」と思う気持ちは子どもが受け取れるだけ手渡して、残ったら貯金する!

春ですねぽんぽん🌸
春ですねぽんぽん🌷

ぽんぽんぽんと春が来た、という歌がある。

上の子が保育園に入ってから長い期間この歌に親しんでいて、もうそんな季節か!と私を焦らせる存在でもある。

毎年春が来たとて、中身が同じことはなく。
今朝の夫の一言からへぇ!と思ったことを書きたいと思う。

可愛すぎて起こせない?!

上の子はもうすぐ小学校にあがるので、それに合わせて起きる時間を少しずつ早めてきた。

早起きできる日も、そうでもない日もある。

朝、私が下の子の対応をする間に上の子が起きてくるのがよくあるパターンだ。でもなかなか起きてこないとき、家事に忙しい私に代わり上の子を起こすのは夫だ。

夫は言った。
可愛すぎて起こせない。
もっと見ていたいと。

なかなかロマンチックなことである。
そんなキャラだったっけ?!

子どもを大好きな夫を私は好きだと思う。

寝顔が可愛いのは100万パーセント同意する。しかし、私なら寝顔は写真にでも撮って、容赦なく起こすと思う。

寝顔は可愛いが私は起こせる。夫との違いは?

そうそうに答えを言ってしまうと、私と夫は可愛い大好きな気持ちの処理方法が違うようだ。

夫は、かわいいなと思う気持ちを子どもとの間で処理していそうだ。可愛いから起こせない、可愛いから誘いを断られると悲しい、可愛いからものを与える、可愛いから心配してしまう。

私の場合は、かわいいと思う気持ちと子どもへの対応が繋がっていない気がする。

例を挙げるとこんな感じだ。

起きることを優先するときは優しく気持ちよく起こす。(可愛いとかは関係ない)

明日の支度をする時は、「できた」に繋がるよう実績作りに努める。(言っても聞かないとかで怒らない。やれるかが大事。)

誘いを拒否されたら代わりに何がしたいか聞く(私が嫌いで拒否してるわけじゃないしね)

ものは先んじて与えない(ものそのものより、習慣や集中力、忍耐力なんかの方が将来役立つと考えてる)

だいぶ夫と違うなあと思う。
全然違う価値観に触れる機会が子どもにあるのはよかった。

私の子どもが可愛いと思う気持ちの処理方法

夫と私がともに在宅勤務をしていると、夫はずっとうわごとを言っている。

上の子の登下校のこと、学校で友達ができるか、学校のお勉強について行けるか、など。心配だ、どうなるんだろう?とぶつぶつと延々と続く。よくまあ、そんなに同じことを繰り返し考えるエネルギーがあるものだ。

気にしても仕方ないのではないか?
やれることをやるしかないのでは?

私の反応は薄い。
もしかしたら私は少し冷たいのかもしれない。

けれど、息子の力を信じているし、試練に立ち向かい自分で突破してこそ成長すると思う。
もちろん、キャパオーバーなとき、子どもがヘルプを求めたらなんとかする必要があるけれど。

そこで気がついた。

私は子どもが「ママはきみがすきだよ」と本人が自覚できるだけの大好きを手渡して、残りは手元に貯金しているように思う。

成長のためにサポートをするけど愛情ゆえに、それを越えてあれこれしようとは思わないのだ。冷たいのかもしれないけど…。(かと言って子育てが上手にできている、とは思いません)

夫は大好きな気持ちが全て子どもに向いているように思う。

なぜ余った愛情を貯金するのだろうか?

愛情はありすぎても危険な気がしている。

自分が子どもの頃、子どもがいい子でいることが親への評価につながり、親の満足につながるような感覚があった。いい子でいなければといつも思っていた。

親が愛ゆえに子どものために犠牲を払っている感じがすごくあって、親の愛情を親自身と子どもに分散してほしいと思っていた。

もっと言えば、親自身が自分を愛してほしかった。気持ちの中心に子どもがいすぎて、気持ちを安定させるために子どもをコントロールしようとする感覚があった。良かれと思ってやってくれたのはわかっていたけれどなぜか苦しかった。

こういうと、私は親にネガティブな気持ちを持っていそうに聞こえるけれど、そうではない。感謝はいつもしている。そして、そこまで大変な思いをして育ててもらったことは申し訳なかったとも思う。ありがたいけど、申し訳ない。

私はこのnoteに息子愛を垂れ流している。

言葉で整理してアウトプットすることで、うまいこと気持ちが収まっている。
こうして愛を貯金している。

いつか思い出して読みながら泣いたり、子育てに自信が持てない時読み返したり、編集してまとめて自分の棺桶に入れてもらったり、最期を悟ったら切り取って子どもへ手紙にしてもいいなと思う。

愛情を全量放出しないで貯金することで、いくらか、子どものことを大好きな気持ちを期待とか計算なく、純粋に伝えることができる、そんな気がしている。

子どもは子どもが幸せだと思う人生を歩んでほしい。

尖った言い方をすると、ちょっとでも私の気分や幸せのために生きないでほしいと思う。

そんな私は少し変かもしれない。
夫がいて、ちょうど中和されてよいのかもしれない。 

おわりに

つくづく、夫にイラッとくることがあっても、ありがたい存在だと思う。

夫は私にないものを子どもに与えてくれているのだと。

私にも、私だからこそできることがある。
そう思う。

クールな頭とホットなハート。
冷静な頭脳と熱い心。

そんな表現をよく聞くけれど、両輪があって進むことはバランスは大事な気がする。我が家のバランスをうまく見つけていきたい。

明日上の子が起きてこなかったら今度は私がチューチュー攻撃を仕掛けて起こしに行こうかなと思う。

寝顔にノックダウンされても、立ち上がるのだ。その分、寝顔は夜に見るから大丈夫。

そんな、親になって7度目の春。

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