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子育て日記。転んでも起き上がれる子に育てるとは。

ある発達障害の方のお話。

子どもの頃みんなで鶴を折り紙で折っていて自分だけどうしても折れなくて、なのに「なんでやらないの?やる気がないの?」と怒られて「できない」がわかってもらえなかったというものを何かの記事で見た。

それをときどき思い出す。

やらないんじゃなくて、できない。
やる気がないんじゃなくて、やり方がわからない。

折り紙の子がそうだったように、きっと私の息子もそんな体験を毎日学校でしてるんだろうと思う。

手先が不器用だったり、目で何かを見ながら手や動かすのが難しかったり、立て続けに言われたらどれも思い出せなくなったり。

そんなことがいつもいつも起こっていて、「遅いよ」「早く」「忘れないで」「がんばれー」って言葉を投げかけられる。

なんで、みんなができることができないんだろう。

そう思うことがたくさんあるんじゃないかな、と思う。

例えば、朝の準備。
提出物を出して、所定の位置にものをしまう。
毎日やってるのに、なぜか早くならない。

例えば、授業で。
言われたことをささっとできない。
みんな終わってるのに、自分だけ終わらない。

できないなりに最後まで諦めずにやるとか、困らずにできる裏技を見つけてやるとか、少しずつ適応していくことはできるんだろうけど。

やっぱり、「いいな、自分も普通になりたい」そう思うときがあるんじゃないかなと思う。

よく言われることだけど、スタートラインが違うってことがある。

がんばっているのに、みんなと同じにできない。

その内容は、足が早いとか、勉強が出来るとか、個性に近いものもそうだし、なんとか障害と呼ばれるものもそうだし。

苦手、あるいは体や頭がついていかない。
そんな行動に対して、「やる気がない」「まじめにやってない」と叱責されたら辛いだろうな、と思う。出来るならとっくにやってるよ!私ならそう思うだろう。

親として何が出来るか考えた時、出来ることを増やすとか、苦手意識を持たなくてよい環境を探すとか、まぁ幾つか方法があるだろう。

そして、他人や外の世界はコントロールできないことも多い。だから本人が自分のペースで前に進む、どんなに転んでも自分の力で立ち上がれる、つまり打たれ強くなれるようにするのがいいのかなぁ、と最近思う。

少し残酷かもしれないけど、転ぶ姿を見て辛くてもそれを受け入れないといけない。やはり子どもが傷つかないようにガラスのケースに入れて育てることはできない。

なんだかしょんぼりしているとき息子に「オセロがしたい」と言われたら忙しくてもなんとかやろうと思う。息子はオセロが得意だから「僕ってすごい」と思いたいときにそう言うんだろうなと思うからだ。

そしてまた立ち上がれたらそれでいい。

何をしたら、立ち上がる力が湧くのだろうか?
それを日々考えてる。

好きなことに熱中したり、得意なもので褒められたときを振り返ったり。

そんな時間が取れるようにしてあげたいと思う。

実は昨日は仕事の飲み会で夜出かけた。(仕事の飲み会、いつぶりだろう?コロナ前ぶりなのは確か)

向かう途中、息子からキッズケータイで電話がかかってきた。

「ママいないの?!帰って来て!」
相当ご立腹だったけど、私に何かしら慰めてもらいたかったのかもしれない。

1人でなんでもできるようにしていくのが親の役目ではあろうけど、1人でがんばろうとする息子の元気パワーの充電基地になれるうちはなりたいと思う。

甘やかしてるとか、だめな親だと言われてもどうしても今はそんな気分。

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