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国際女性デーに寄せて。エネルギーの源泉が黒歴史やネガティブな気持ちってこともあるかもしれない。

なんでそんなに頑張れるのかな。
あの人みたいには頑張れない。

そう思うこと、ないだろうか。

逆に、自分にもなんで私ここが譲れないんだろう?と思うことがある。

それには、その人固有の感情が隠れていると思う、と言う話をしたい。

✏️

以前、仕事への熱量やモチベーションをどう維持してるのかを問われて考えたことを書いてみた。問うてくれた人には「自分のエネルギーの源泉を掘り下げること」を推奨してみた。

一方で、仕事に注ぐエネルギーが不足する場合は仕事の方を調整し(量や内容)エネルギーを注ぐのに適したものにすることもやってると思う話を本人には上手く出来なかったので整理すべくこちらの記事に書いてみた。

それで、真っ先に出てきた答えである、「自分のエネルギーの源泉を掘り下げること」について私は自分のことをまだ掘り下げ切れないできた。

その理由は、私のエネルギーの源泉が、あまり人には誇れるものではなさそうだからだった。

でもnoteの懐を借りて、ここで書いてしまうことにする。

私のエネルギーの源泉には、「かつて仕事を一緒にした先輩方のようになりたい!私を導いてくれた人たちのようになりたい!仕事を通して成長する楽しさを教えてくれた人への恩返しをしたい!」のようにポジティブなものもたくさんある。

この気持ちを大切にしたい、そう強く思ったことが後に道を切り拓くための武器になる。

若いうちにそんな経験を積めて良かったと思う(当時は辛いことも多かった)。

その一方で、「母みたいになりたくない」「父みたいになりたくない」のようにドロドロしたネガティブなものも少なからずある。

そのことを発見したとき、しんどいな、手放したいなと正直思った。

母みたいになりたくない、とは。
父親の愚痴を子どもに聞かせるも、自分で身を立てることはしない女性になりたくなかった。(別に昭和の時代では普通の専業主婦だ)

だから男性以上に稼ぐつもりでいた。まぁ、そもそも女性だって稼ぐ人は青天井だし、男性だって稼がない人はいるので思考が終わってる。稼がずとも元々資産のある人もいるし。

父みたいになりたくない、とは。
妻に何でもやってもらっているくせに「俺の稼ぎで食わせてやってる」とか言う人になりたくなかった。
(別に昭和の時代では普通のガンコ親父だ)

だから稼いだとて家事もするし、周囲への感謝を積極的に示す人になるつもりでいた。そもそもそんな父親への感謝を示せない時点であくまで私は子どもだった。

そして子どもにもし恵まれたら、子どもの前で配偶者や子どもや自分を否定しない親でありたいと思っていた。もはや意地である。

夫が私をボロカスに言って、息子が「パパだって〇〇なのにね」と私をフォローしてくれても、「パパはかわりにこんなこと、がんばってくれてるよ」と決してパパを悪者にしないようにしている。

だから、私は、諦めるわけにはいかないんだ。
そんなふうに、泥をかぶり頭を踏まれても起き上がるとき、全ての可能性が絶たれても闇の中での一筋の光を求める力が必要なとき、その力はどこからやってくるのだろうか?

そんなときは、「自分がお世話になった人への恩返し」みたいな綺麗な出来事よりも、「幼い頃、親が子どもにあたるのが辛かった」のようなネガティブな気持ちのほうが強く支えてくれる気がする。

だから、そんなネガティブな感情がエネルギーの源泉と知った時ショックだったけど、そのまま抱えててもいい気がした。

しんどい経験は、望んでできないこともある。

だからこそ、そんな経験をしたことに対して、それを経て得られたものにスポットライトを当ててみるのもいい。もちろん、それは辛い作業であるかもしれないけど。

自分が葛藤するもの、がんこになるもの。
そんなめんどい部分にとんでもないエネルギーの源泉があるかもしれない。

そしてそれは、必ずしも綺麗なものではないかもしれない。

でも、自分らしさや自分だけが発見できる幸せに繋がっている可能性がある。

💐

今日は国際女性デー。

私もまだ「若い女性」だった頃、それゆえに仕事でしんどいことは多かった。その時にいつか私だって自由に羽ばたきたい!と思った気持ちを忘れずにいたい。そして今ワーママで感じるネガティブな気持ちもいつかお宝になると期待している。

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