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キャリアの理想と現実の狭間でジタバタしていた頃の私にかけてあげたい言葉。

20代はまだ自分探しが続いていたように思う。
これでいいのだろうか?まだまだ自分はダメだ、と言った具合に。

同級生が家を建てた、家族ができた、海外赴任になった、と華々しい経過を聞くたびに何もできていない自分にがっかりして焦った。
何かが足りない、いつもそう思っていた。

風雪に耐えただけ土の中に根が張るんだな

相田みつを

この詩が拠り所。永遠に根を張っている時期が続くように思ったものだ。

今思えば夢見がちで、世間知らずで、努力も不足していて、肩に力が入っていた。

そして30歳になった私はだんだんと、亀の歩みで理想に近づいていると思えるようになり、徐々に自然体になっていった。

折り合いという、難易度の高い概念を早くに学ぶべきだったかもしれない。

キャリアの理想と現実のギャップを嘆いたところで、若いうちに、精度良く理想を描くのは難しい。私はそれができなかった。理想に向かって進んでいる人が羨ましいと思った。

キャリアの現実と理想の狭間でもがいていたあの頃の私に声をかけるとしたら。こう言ってあげたい。

困ってるって言って良いんだよ。

力を貸してくれる人を探そう。

三食食べて、しっかり寝て、歯医者さんには定期的に通おうね。

今の頑張りが将来の自分を救ってくれる。

幸せに生きることをあきらめなくていいよ。

根っこはしっかりこれからもあなたを支えてくれる。

他の人と比べる必要はないよ。どうしたいか、自分の中に答えがあるよ!

特に、自分というものがよくわからないうちは、何をもって自分が満たされるのか分からず他の人と自分を比べがちだった。

いつまでも満たされない自分が恥ずかしくて、どうしたら良いかも分からなくて、助けを求められなかった。

何をもって満たされるのか?は人によって違う。

私の場合は、今思えば、自分の内側、それも、深海のような奥底に答えがあったのだと思う。

他の人の参考にはならないけど、それは驚くべきことに(背景は端折ると)自分の父親の年収を余裕をもって越える、というなんとも荒唐無稽なものだった。

きっと父親の年収は30歳頃には越えていたのだと思うけど、それが私が実は満たされるポイントだったのだと気づいたのが素のままの自分をようやく手放しで認めることができた40歳頃だった。

理想に近づいたと思ったらまた離れる、そんなことを繰り返す間、自分でも掴めない虚像のようなものに追い立てられるように仕事をしていた。

自分の心に沿って理想を掲げて時に修正して、常の心とともに現実を生きていたら楽だっただろうなと思う。

転職エージェントは外側から助けてくれるけど、内側からの答えに気づかせてくれる人はそうそう見つけられなかった。

だから、今になって思う。

若い頃の私のような、理想と現実のギャップに困る人の話を聞きたい。
話してスッキリしてもらいたい。
自分を見つけて前に進む手助けになりたい。
真っ暗な部屋にこもっている人がいたらドアを探すお手伝いをしたい。

具体的にはまだ何もしてないけれど、何かできることがないかを考え中。

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