NHK連ドラ「虎に翼」で家族のドラマに並行して描かれる同性愛
今日が金曜日なので、月曜日が待ち遠しい。
というのは、NHK連続ドラマ小説「虎に翼」の続きが気になるからだった。
様々な見どころがあるこのドラマだけど、今日の終わり方はなんとも後引くシーンだった。
主人公の寅子が同級生ふたりが営む弁護士事務所を訪れたところ、ふいに「轟」(男性)からその恋人(男性)を紹介された流れで次回へ続く、になってしまった。
寅子は人の気持ちに寄り添える人だし、轟との付き合いも長い。ふたりの関係においては危ない空気になることはないと思う。
そうなのだが、また、このドラマが私たちに投げかけるであろう社会への疑問「はて?」を受け止める心の準備が必要な気がした。
虎に翼は、戦前からの実話もベースにした創作ストーリーで100年から60年前の日本の話であるにも関わらず今にも通じているテーマがいくつもあった。
家族とは?
女の幸せとは?男の幸せとは?
戦争とは?
嫁姑とは?
結婚とは?
人権、人としての尊厳、権利とは?
戦後の民法改正で夫婦は男女どちらの姓を名乗っても良くなった。にも関わらず、結局女性が男性の姓に当たり前のように変えている。夫婦別姓を望む声があるがそれもまた強い反対がある。
戦前女性弁護士が誕生した。にも関わらず、結婚し妊娠して夫と東京を離れる先輩は、「仕事も家庭も満点は無理なのに満点を求められる。女性弁護士なんて誰も望んでいなかった。」と涙する。女性活躍と表では謳いながら従来女性が担っていた役割は女性だけに押し付ける、今も聞く話だ。
少しずつ、社会は変わっている。
きっと、よくなっている。
けれど、あゆみは少しずつ、だ。
まさにドラマの中でも出てきた雨垂れ石を穿つ。
戦争を経て平和な社会が築かれ、この平和が犠牲の上に成り立っていると忘れてはならない、と良く言われる。
同じように、今、自分が享受しているものは先人が求めたからこそ与えられたことは忘れてはならないのだと思う。
だとしたら、「声を上げられずにいるひとたち」「今まさに、声をあげているところの人たち」だってたくさんいるはずだ。
それが「虎に翼」の轟なのかな、と思っている。
聞くところによると、同性愛者は8人にひとりいるという。それは日本によくある苗字「佐藤、鈴木、高橋、田中、伊藤」の人数を全部足したより多いとも聞くから驚きだ。
だとしたら、黙っている人が圧倒的に多いのかもしれない。
外資系企業では、ダイバーシティ、インクルージョン、エクイティなどをテーマとした活動がもともと盛ん。前の会社には、同性愛に関して言えば、そうした当事者や当事者が働きやすい職場環境にコミットしたい人が集うメジャーな団体があった。それでも、オープンにしている知人の数は少なかった。
人生を振り返っても、同性愛をオープンにする人の思い出はそうそうない。
高校生のとき、バイトで背が高くショートカットの似合う女性の先輩がいた。「◯さんって、かっこいいですね、女の子にもモテそう」と呑気に言うと女性と付き合ったことがあると教えてくれた。
そうか、そうだよね、そうなんだろうな、と自然に思えた。
人間とは不思議なもので、一対一で対峙すればスッとその人を理解できるのかもしれない。集団にいるといろんな仮面を被り始めるのかもと。
大学生のとき、サークル活動で様々な年齢の人が全国から集う合宿に参加した。そこで私はある女性に「かわいいね」と言わて飲み会でこっそりキスされた。その人には彼氏がいた。
世の中には、実に様々な人がいるもんだなあと驚いたけど、ただ、世の中は広く深い海や高く果てしない空のようなもので、私はそこではちっぽけな存在なだけ。
社会人になってからのこと。
社内の知らない人から問合せを電話で受けたとき、「ん!?何この、かっこいい声!」と衝撃が走った。
すっかりのぼせ上がった私は、コソコソ内線番号から名前を検索した。男性か女性かわからない名前だった。同僚たち(女性ばかり)に聞くと「◯さんね〜!あの人、何もかもがかっこいいよね」とのこと。人気の女性だったのだ。
始めは仕事をする機会もあった彼女は出世を重ね、雲の上の人に。
子どもを連れて参加する社内イベントで息子を連れていると久々に彼女に出くわした。息子と私を交互に見て「ははっ!そっくりだね」とあのかっこいい声で言ってくれて、私はまたのぼせ上がったのである。
思わず2歳の息子に「この会社のスーパースターだよ」と紹介してしまった(本当にそう思っていた)。当時私は仕事も育児も家庭もパッとせず憧れの彼女の前で堂々とできないというか、気が晴れなかった。そんな私に彼女は「いいじゃん、ライフステージが変わったんだよ」と言ってくれた。
のちに彼女が同性愛者の当事者であることも社内コミュニケーションで知ることになる。
今思うと、彼女は、ライフステージが変わる男女たちを見てきて思うところがあったのかもしれない…し、ないかもしれない。わからない。
ただ、どういうわけか、結婚や出産を人生の節目と定義づけし、ライフステージが「上がる」とか「進む」と表現する場合があり、結婚も出産もしない人はどこにも辿り着かないかのように思わされるときが私にはあった。それもどう思うかは、人それぞれだけど。
轟はこれから何を語るのだろうか。
同性愛者と一口に言ってもそれこそ、思うところは人それぞれで括れない。
ただ、他人の思う普通を押し付けられたくない、とか家族になりたくてもなれない、とか愛する人と子育てしたくてもできない、とか声をあげたい人たちの言葉を轟が代弁してくれるならそれもまた一雫の雨になるもしれない。
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