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子どもに教えられたこと。前に進むのも遅れるのも怖いけど進んだもの勝ちなのかも。

新しいことを覚えたり、新しい環境に飛び込んだりするのは、大人も難しい。子どもだってそうだと思う。

子どもの習い事につきあって4年になるけど、息子はその間小学校受験や入院で何回か長期の休みを取っている。

その時は、休んだ分を取り返すのが大変だった。

息子が大変そうにしてたというより、私がやらせるのがきつかった。なんか、可哀想だなあと、息子を不憫に思ったのだ。本人は悪くないのに遅れを取らされて、巻き返しもするのかあ、気の毒だなあ、とどこかで息子に申し訳なく思っていた。

本人は案外とケロッとしていて、できることはやるし、できないことは怒ったりサボろうとしたりしていた。それは今も同じで、つまるところ、「できるじゃん」となればどんどんやるし、どこかでつまづいているとやりたくなくなる。自分中心というか、マイペースというか。

このときの息子からはだいぶ学ぶところがあった。

まだ幼かったからか、遅れをとったことを理不尽だと怒ったりはしてこなかった。レッスンも今より当時の方が簡単だったかな。

先日、同じクラスの子が、2回続けて休んだことで気後れしたのか泣いてしまって、レッスン中もほとんど座って弾くことができなかった。
その子の気持ち、わかる気がする。きっと気分が変われば、きっと次回は、参加できるだろう。

年齢が上がってくるとやることも難しくなるし、本人の中で「できないと恥ずかしい」という気持ちが出てきたりと、複雑になるのかもしれない。

大人も、「できないと思われるのはいやだ」とか「自分の不得意なことは触りたくないな」とか思うことがある。

社会人になり、経験も積めばうまく立ち回り、苦手分野を他の人にお願いすることも可能だ。
けど、誰もが弱点からフリーになるのは難しいのではないだろうか。仕事の中身やルールが新しくなって誰でも初心者っぽくなるときも頻繁にある。

そんなとき、ケロッと新しいことを学んだり、自分が遅れをとっていることを素直に周りに頼れるようになりたいなあと思う。

殻に閉じ籠った人と、周りに開けてる人、未来を一緒に進めそうなのは後者だと思う。

新しいこと、苦手なこと、よくわからないこと、他の人に遅れをとっていること。

そういうものに対して拒否しすぎず、共生しつつ、取り込みつつ生きていけたらなあと思う。

と言うのも、昨日、あっけらかんと英語の勉強をしていた息子に聞かれた英語表現を私は知らなかったのだ。

私ったら将棋に続いて英語もいつか息子に負け始めるのか?と恐怖を覚えたけど、私も一緒に勉強し直せばいいんじゃない?と開き直った。

遅くても、遅れてても、前に進んだ者勝ち、かな?

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