見出し画像

この時期にやめたこと

こんにちは。
小山千春です。

気づけばもう師走。
なんだか12月って気忙しい。
やることも考えることも多いのが12月のような気がします。
そういえばみなさんは「年賀状」って書かれますか?
私は2年前に手放したので今回はそんな話しをしますね。

小学生の頃から年賀状を自分で書いて出していました。
(もちろん年賀状は親に買ってもらっていましたが笑)
クラスの女子全員に出していたと思う。
あとは仲良しの男子。
宛名を書くのも、絵やメッセージを一人一人に書くことも好きでした。
それが大人になるまで普通にやることだと思ってたし、むしろ出さない人が非常識とさえ思っていましたね。

会社員になり、結婚をしたら年賀状を出す枚数が途端に増えました。
(ただ単に「出す」という選択をしているんですがね)

結婚してからは家族写真を入れるようにしたので、その写真選びやデザインにかなりの時間を費やしてきました。
そのころは会社員だったので、お昼休みや寝る前の時間を割いてまで…
写真も綺麗なものがよくって、お金がかかったんです。
みんなに「素敵だね~」って思われたかったんです。
(文字にすると恥ずかしいですね~///)

小さい頃は楽しみながらやっていたことが、大人になったら見栄でやっていることに気が付きました。

そもそもこれは出さなければいけないものだったのだろうか?
と、ふと疑問に思ったんですよね。なんだか人間関係を繋ぎ留めておくツールのようになってしまっていると思ったし、これをすること自体私のキャパオーバーだと感じました。年末にいつも以上に余裕がなくイライラしている私が嫌で仕方なかったんです。

そんなときに私は長年勤めていた会社を退職しました。

それを機に、冷静になって考えてみました。
人間関係は繋ぎ留めておくものでもない。
これからも繋がる人とは繋がるし、繋がらない人とは繋がらない。
シンプルなことなんじゃないか…と。

「年賀状」っていう物自体はとっても好き。きっとこれからも好き。
手書きでメッセージが添えられていたら本当に嬉しいもの。
人が文字にしたものを人が運ぶってやっぱり素敵だなって思うんですよね。

でも今の私がするべきことじゃないと思ったので辞める選択をしました。

今までずっとしてきたことを辞めることは怖いんですよね。
こんなにもみんなと一緒のことをしていたいんだなぁ~って改めて気づかされました。
みんなと一緒ってだけで安心してしまう。
でも私は自分の幸せを諦めない。
幸せって大きいものじゃなくて、そんなこと?って思うようなこと。
日々の生活でどれだけ自分が幸せな方を選択できるか?にかかっている。
その毎日の選択が積み重なって人生になっていくから。
ものすごく怖い決断だったんです。
こんなに重く考えているけど、夫に相談したら夫は予想以上に軽い。
「良いんじゃない辞めよう~」って。
こういうとき、夫の返事がすごく軽くて何も考えていなさそうで昔はイライラしていたときもあったけど、そういう軽さが今はとっても救われる。
自分の意見を肯定されているようで。
私にできないことをできる人ってやっぱり軽やかで良いよね。
だから人ってみんな違うから良いよね。

最後の年賀状には「翌年からは年賀状じまいをします」とのご挨拶をして終えました。

それから2年経ちますが、ちょっぴり寂しさはあります。
元旦の朝「年賀状誰から来たかな~?」ってわくわくしません?
それがなくなってしまったのでね。
でも私の選択は間違っていませんでした。
見栄のために大事なお金と時間を費やすこと。考えることが減ったので本当にイライラが減りました。

年賀状に限らず
普段何気なくやっていること。
これはやるべきこと。
って思ってやっていることに一度疑問をもってみるのも良いですよね。

みんなが、周りがやっているから。
ではなく、私にとって本当に必要なこと?
っていったん立ち止まって選択するのも人生には大切かもしれませんね。


最後までお読みくださりありがとうございます!




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?