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どうする団塊ジュニア世代 (その弍)<セロリと育った環境の関係性>

〜そもそも団塊世代とは②〜

「なぜ団塊世代は戦後日本そのものなのか」という私なりの考察です。

前回、説明した通り「団塊世代」は日本の人口構成においてマジョリティであることから、選挙を基盤とした民主国家において当然影響力を持ちます。
しかしながら「十人十色」というように、人それぞれ様々な考え方があり、その多種多様さは、それぞれの育った環境の違いにより生じます。


戦後80年を間近に控え、もはや戦後という概念も薄れている現在においても「団塊世代」が大きな影響を与え続けるには「烏合の衆」ではいけません。
「団塊世代」の考え方が恐ろしいほど統一され、言葉の通り「一つの塊」になっているからこそ影響力を持ち続けるのです。
それこそが「団塊世代」が「団塊世代」と呼ばれる所以であり、戦後焼け野原となった日本が奇跡の復興を成し遂げるために何者かにより意図的に作り上げた世代では無いのかとも勘ぐりたくもなります。

なぜ「団塊世代」が「一つの塊」になり得たのか。
『育ってきた環境は違うから好き嫌いはイナメナイ』
山崎まさよしさんが作詞した『セロリ』という楽曲はこのような歌詞で始ります。それでは「育ってきた環境は同じなら好き嫌いは偏るのか?」という話になります。
そんな話を次回考えてみます。
<続く>


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