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浅く広くから生まれた親友との関係性

昨日の投稿に「スキ」をくださいました皆様ありがとうございます。
新しい経験を与えてくれる。とか、成長。とか、もしかしたらそんな言葉ばかり並ぶと重くて怖いと思う人もいたかもしれません。

でも、何気なく夕日を撮ってみたり、道端に猫ちゃんがいたら目線を合わせてみたり何でもいいと思うんです。何にもとらわれずに何かに触れてみるとわくわくすることがあるかもしれないくらいの気持ちでいいと思ってます。


では、本題に入ります。
小学生頃かなぁ。自我が芽生え始めた頃から誰にでも気さくに話しかけ、誰とでも遊ぶ。中学校、高校、大学と変わらず。浅く広くという言葉は意識せず思うがままに生きていました。

初対面の人と話せば、様々な質問をする。
・趣味とか好きなこととかある~? ・何のアイスが好き~? 
・行きたいところある~? などなど深い意味はない質問から話してみる。
そんな自分は深い関係は持たぬまま、どこか一線を引いてるような

そんな中で、大学入学式後のオリエンテーションでたまたま隣に座っていた人がいた。その時は思いもしませんでしたが、今後も変わることのない一番の親友である。

出会って6年目の親友。1年目には大きな旅行は出かけず、日帰りの観光や友人の家に泊まる。
2年目にグアム旅行。3年目初めにバリ島旅行。コロナ禍になり、4年目に車で東北一周旅行。卒業時に九州旅行。入職後1年終わりに沖縄旅行。

卒業してからも月に1度は会っている。それは遊んだ時間だけがつくった信頼関係ではない。
親友の周囲に対する対応や、勉強に対する姿勢。
もっと細かく焦点を当てると、東北一周中に24時間のうち、10時間ほどは移動時間の中、助手席で一度も寝るそぶりがなかった。もしかしたら当然のことなのかもしれない。それでも、出会って4年目の関係性での出来事は親友の内面性のすばらしさに尊敬する。

学部、学科は違えど、浅く広くの人間性であったからこその今の関係性を得れたのだと思う。狭く深くにあこがれみたいなものもあったが、これでいい

浅く広くから得られる深い関係性もあるのだと親友に教わった。ありがとう





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