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照魔機関 第8話 天井下り事象 情報整理

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情報整理 おみとしさま

「外に出よう。田原さんの様子が気になる」
「田原さんですか? でも、ついさっき中島さんと遺体を運んでいきましたよ。別に何もおかしくは——」

 しかし玄関を出ると、逢は駆けだした。

「ぎいいいいいあああたすけぇいたいいやああ」

 中島と大野が、絶叫しながらのたうち回る田原を、どうにか取り押さえようとしていた。

 駆け寄って顔を覗き込むと、田原は焦点の合わない目から涙をボロボロ流しながら絶叫していた。口の端からは涎がだらだらと流れ、頬の内側や唇を噛んだのか、血が混ざっている。痛むのか絶叫には呻き声が混ざり、彼が必死に訴える言葉は聞き取りづらい。

(まさか、さっきの怪異にやられたの!?)

 呆然とする逢の後ろから伸びた四辻の手が、田原に触れた。その途端、田原の体から黒い靄が噴き出して、蒸発するように消え去った。

 叫び声が止み、田原は思い出したかのように肩で息をした。

「田原……田原! しっかりしろ!」
「中島さん? あれ、俺は……何を?」

「あなたに憑いた穢れを祓いました」

二人の視線が四辻に向けられた。

「穢れは、死や病を招く不浄な気です。悪しき怪異によって媒介され、時に正気を奪います。しかし——」

 四辻は田原の肩から手を離すと、先程穢れを消滅させたばかりの指を、名残惜しそうに眺めた。

「この通り、今は跡形も無く消え去りました」

「あ……ああ、助かった。ありがとう。疑って悪かったよ」
 四辻に手を合わせる中島の横で、何が起ったのか分からない様子の田原は頭を掻いていた。

「さっきまで凄く頭が痛かったのに、今はスッキリした気分です。助けてくださって、ありがとうございました」

「そうですか。僕は、うっかり水に綿菓子を落としてしまったような気分ですけどね」
「……綿菓子?」

 誤魔化すように逢は咳払いし、話を事象へと戻した。
「四辻さん。家の中に穢れを持ち込んだ怪異の正体は何でしょうね?」
「それは——」

「おみとしさまだ……」
 中島がポツリと呟いた。

「子供の頃、爺さんからよく聞かされた。『みとし村を守る神様は、村の外から来るものを嫌う』と。だからこの村には、よそ者を嫌う年寄りが多い。よそ者が神の怒りを買い、神の使いが災いをもたらすと信じているからだ」

「さっき、中島さんが言っていた『何か』は、『神の使い』のことだったんですね」

 逢は腑に落ちた顔をしたが、大野は中島に詰め寄った。

「中島さん! あなたまでそんな迷信を信じるんですか!?」

「俺だって、信じちゃいなかったさ。でも遺体は、お前の家を中心に降り続けているじゃないか……」

 事象が起きた後、大野が家族を逃がしたのは、おみとしさまの祟りを信じた村人達が、家に石を投げ込んだからだった。その他にも、いたずら電話や怪文書などの嫌がらせを受けた大野は、身の危険を感じて引っ越しを決意し、現在その準備を進めている最中だった。

 今まで口に出さなかっただけで、中島も田原も、祟りを信じ切っていたらしい。

「祟りじゃありませんよ」

 全員の視線が四辻に向いた。
 疑心暗鬼にかられている中島と、悔しさと怖れを滲ませた顔の大野を見つめると、四辻は二人を安心させるように、ふわりと笑った。

「村の神の祟りじゃありません。原因は、他にあります」

四辻はそう言って、タブレットを差し出した。

「逢さんも、情報共有がまだだったね。実はついさっき、みとし村事象についての報告の一部に閲覧許可が出たんだ。そこに、この村の神の特徴も、祟りとは何かも、含まれていた」

 


【みとし村事象についての報告】

 ————閲覧中のページは、フィルターにより保護されています————

(1939年6月2日)
 みとし村の神:おみとしさま
 分類:霊魂塊。
 特徴:縄張り意識が強い。村人を見ている。
 能力:精神に干渉する。
 祟り:縄張りに入り込んだ怪異、憑き物の類や呪物を持ち込んだ生き物の精神に働きかけ、縄張りから追い出す。



「あれ? 随分あっさり」
「まだフィルターがかかってるんだ。情報部が判断した結果、見ても大丈夫な情報はこれしか残らなかった。後は様子に応じて、というところかな」

(やっぱり、原文はもっと酷いんだ……。祟りに関わって、人間が無事に済むわけないもの……)
 逢の予想通り、原文を読んでいた四辻は、その凄惨な内容に顔を顰めていた。

「詳細は許可が下り次第説明するけど、今はこれだけ分かれば十分だよ」

 四辻は他の三人にもおみとしさまの情報を共有すると、咳払いをした。

「怪異とは、人間が妖怪や幽霊と呼び恐れ、時には神として崇めている異次元の生き物です。主に生き物の気を餌にしているため、心の在り方によっては取り憑かれる危険があります。
 異次元の……とはいえ、生き物なので、当然その個体に備わった習性や能力があります。
 照魔機関は、そういった怪異の習性や能力を調査することで、怪異を退ける方法を見つけ出してきました。そして、この方法を応用する事で、事象を捜査し、真相を究明する力を蓄えていったのです。そのため、機関の捜査官は退魔師と呼ばれることもあります」

 四辻は一度言葉を区切り、画面の『祟り』を指して強調した。

「この村の神、おみとしさまの祟りは、縄張りを荒らす者の精神に干渉するという威嚇行動です。おみとしさまには、威嚇の為に遺体を降らせる習性はない。つまり、天井下り事象を起こしたのは、おみとしさまではありません」

「あの」
 難しい顔をした田原が声を上げた。
「祟りじゃないなら、何なんですか。村の外から来た化物の仕業とか?」

「それこそありえません。おみとしさまは、非常に縄張り意識が強く、外から入って来る怪異は、相手が何であろうと見つけ出して攻撃します。これが転じて『おみとしさまが村の外から来るものを嫌う』と、言い伝えられたのでしょう。

 結果的に、おみとしさまは道祖神と同じように、村に災いが入るのを避ける働きをしているようです。目がある場所も、道祖神がいる場所と似ていて、村の境や辻には、おみとしさまの石——神の目——が置かれています。

文字通り、おみとしさまの目は神の目がある場所にある。だからここは、見通しみとし村と呼ばれているんです」

「なるほど……」

 呟く大野は、納得したような、そうでもないような、何とも言えない顔をしていた。

「神様が外から来る悪い化物を警戒して、村の境を警戒するのは分かりました。でも辻って、道が交差している場所ですよね。何で神様はそこにも目を向けているんですか?」

「辻は、現世とあの世との境界と言われてまして——化物が棲みつきやすいんです」

 四辻が笑うと、田原と大野は口をポカンと開けて四辻に見惚れた。さらには中島までも、「そ、そうか、祟りじゃないのか」とバツが悪そうに頭を掻いた。

 そんな三人の様子を見て、逢はやれやれと溜息を吐いた。

「出たよ、四辻さんの必殺技が……」

 中性的な顔立ちに、琥珀色の目。緑がかって見える灰色の髪。どこか現実離れした、四辻の妖しく美しい外見は、男女問わず魅了する。

 そしてこの青年は、自分の外見の価値を理解し、堂々と武器にする。

 ただし、使いこなせているかどうかは微妙だった……。

「そういえば、自己紹介がまだでしたね。僕は捜査官の、カンナヨツジです。神のいない四辻と書いて——神無《かんな》四辻《よつじ》と読みます」

 見惚れていた全員の表情が固まった。

「……あれ?」

 不思議そうに首を傾げる四辻は気付いていない。たった今、自分がとんでもなく不吉な自己紹介をしたことに。

「四辻さん……そんなんだから辻神と間違えられちゃうんですよ……」

 辻神——辻に現れて災いを招く怪異の総称。

 辻神——神無四辻のあだ名。

情報整理 行方不明者

「ところで田原さん、先程天井から落ちたご遺体を調べさせていただけませんか?」
「調べるって、何を?」

「体の中を、です。怪異の主食は生き物の気ですが、中には栄養が足りず、生き物を捕食する個体もいるんです。
 何か欠けている臓器があれば、この事象を起こしている怪異の目的が、人間を餌にすること、ということになります。
 相手は異次元の生き物ですから、表面に異常がなくても内側が荒らされているケースは多々あるんですよ」

「調べるのは構わんが」中島はチラッと田原の方を見た「……長くなるか?」

「まだ、何とも」

「田原。先帰っていいぞ」

「え? でも、中島さん——」
「梅さんが待ってるだろ。早く帰ってやれ」

「ま、まだ、たぶん大丈夫です。ここに来る前、夕飯を食べさせてきましたし……」

「ご家族の具合がよくないんですか?」

 逢が心配そうな視線を田原に向けると、田原はバツが悪そうな顔をした。

「もう何年も、ほとんど寝たきりなんです。それどころか、最近は認知症も進んできてて……。でも、二人暮らしなので、俺が看るしかなくて……。こんな時にすみません……」

 田原は申し訳なさそうに俯いてしまった。

 その様子を見て、逢は直感した。
 きっと彼は、すぐにでも祖母の元へ帰りたいと思っているに違いない。遺体は今のところ大野家の周りで降っているが、そのうち他の場所にも降り始めるかもしれない。祖母が動けないのであれば、遺体の下敷きになってしまうんじゃないかと、心配でしょうがないはずだ。

「ご家族を優先なさってください。いいですよね、四辻さん?」
「もちろん。構わないよ」

「……本当に、すみません。お言葉に甘えさせていただきます。では、もう少ししたら……」

 逢と四辻が頷くのを見届けると、中島は次に大野を見た。

「大野さんは帰った方がいいんじゃないか? 自分の家のことだから、心配なのは分かるが……」

 その鋭い視線には、「一般人は帰れ」という強い意志が込められているようだった。

「えっと……」

 大野は視線で四辻に助け舟を求めた。

「すみませんが、大野さんはもう少しだけ捜査にご協力をお願いします」

 その言葉に、大野はほっと胸を撫で下ろした。

 一連の流れを見た中島は呆れた顔を四辻に向けた。

「そんなんでいいのか?」

「新しい情報が得られるかもしれませんし、この後ご自宅を見せていただこうかと思っていまして」


 四辻と逢はゴム手袋をして、遺体収納袋を開けた。中島は四辻達を監視するように傍に立っている。

「ご遺体は田畑一郎さん。この間米寿のお祝いをしたばかりだったのに、持病を拗らせて入院しちまった。具合は良くならず、病院で家族に看取られたらしい。……攫われたのは、家に帰る途中だったようだ」

「遺体は走行中の車から消えた、ということですね。そういえば、先日支部で保護した方の名字も田原でした。親戚でしょうか?」

「ああ、そういやそんな事もあったな。その日はこっちも忙しくしてたから忘れてた。あんたの言う通り、親族だよ」

 四辻が中島に相槌を打つ横で、逢は被害者の着ている装束を寛げ終えた。

「首の骨が折れているのと、頭に外傷があるのは、さっき頭から畳に落とされたせいだと思います。四肢は欠けていないし、眼球も無事。
すみません四辻さん、鞄からポータブルエコーを出して貰えますか?」

「ちょっと待ってね」

 逢はタブレット型の超音波画像診断装置を受け取ると走査を始めた。

「肝臓、胆嚢、膵臓、脾臓、腎臓、心臓に食い破られた跡なし。その他エコー上観察できる臓器も無事です。脳は保留にして、解剖の前にCTとMRIへ回します」

「ありがとう。でもおそらく、この遺体も無事だよ」

「やっぱり、食料にする為じゃないんですね?」

「そう思う。もし怪異が食べる為に持ち帰っているなら、中島さん達が遺体を回収しても無関心なのはおかしい」

 逢はその後に続く「僕は好物を横取りされたら、祟ってしまうかもしれない」という四辻の言葉を無視して、遺体に付いたゼリーを拭き、服装を整えてから袋を閉めた。

「他にはどんな可能性があるんでしょう?」

「まだ、はっきりとは分からない。でも犯人の目的はこの人も含め、遺体を盗むことだった可能性は高いかな?」

「『遺体を盗んだ』だと?」
 中島が四辻の腕を掴んだ。
「犯人は村人を攫って殺して、天井からぶら下げたんじゃないのか?」

「最初は、僕もその可能性を考えました。しかし、今日出た検死の結果は、このように」

 佐藤千代子——老衰
 伊藤史昭、伊藤祥子、田畑勇——車の正面衝突による事故死
 田口剛——心臓発作

「死因はバラバラで、共通点がありません。それに、問題の怪異が殺人に使うのは落下物。現段階では、全員の死に怪異が関わったとは考えにくいです」

 四辻は一度言葉を区切り、「それからもう一つ、これも機関の統計による話ですが」と前置きして、

「遺体が腐っていなかったのは、保管されていた場所が異界だったからでしょう。実は、行方不明になった人間が、数年後に歳を取らずに見つかるケースはよくあるんです。統計的に、怪異が住処とする場所、つまり異界に流れる時間が、こちら側と違う場合に起こりやすいようです。今回もそのケースだと思います」

「剛は……殺されたんじゃなかったのか……」
 中島は力が抜けたように、四辻を掴んだ手を放した。

「ご友人でしたか」
「ああ。俺も、もう若くないってことだな……」

 苦笑すると、中島は怪異の目的についての説明を求めた。直ぐに四辻は頷く。

「おそらく、怪異に共通する性質が関係しています。

 例外はありますが、怪異の主食はこの世の生き物の気です。気は、生き物の感情によって放出されます。

 怪異は強い感情に引き寄せられるようにして異界から現れ、生き物に取り憑いて気を食らいます。さらに怪異は、取り憑いた生き物が常にその気を発するように、環境を整えようとするんです。

 つまり、怪異は、取り憑いた生き物の願望を叶えようとするんですよ。その為に事象を発生させるんです」

「……怪異には、この騒ぎを起こす動機があったってことか」

「その通りです。しかし、ある条件下では気が得られません。そうなると、怪異は無造作に生き物を襲い始めます――恐怖心を抱かせて、気を食べる為です。

 では以上の点を踏まえ、今回の事象を整理してみましょう。

 まず、怪異を招くのは、生き物の強い感情です。次に、怪異は取り憑いた生き物の願望を叶える為、行動を開始します。これが、怪異が事象を起こす動機です。

 この村に現れた怪異が最初に何をしたか、思い出してみてください」

「……遺体を盗んだ?」

「ええ。つまり怪異の目的は、天井下り事象の前に起こった神隠し——遺体を盗む事——だったんですよ。そしてこれが、怪異に事象を起こさせた生き物の願いでもあります」

「遺体を盗みたがった奴がいるって事か? じゃあ、せっかく盗んだ遺体を降らせたのはなぜだ」

「おそらくこの怪異は、取り憑いた人間の願望を叶えてやったのに、食料を得ることができなかったんです。

 さらに、遺体が盗まれた時点では、神隠しを本当に信じる人間達はいなかったのでしょう。誰も神隠しを怖がらないんじゃ、恐怖から放出される気は得られない。

 この狭い村の中でひと月の間にバタバタと人が死ぬなんてのも、普通はありえない。盗んだ直後なら恐怖する人はいたかもしれませんが、時間が経てば恐怖は薄れます。

 持ち帰った5人を隠し続けるのにも、労力がいります。そのため、餌に困った怪異は、非常に分かり易い怪奇現象を起こしたんです」

「怪異は、村人を怖がらせる為に遺体を降らせたのか……」

「ですが、あくまで仮説です。違和感だらけなので、これから詰めて修正していきます」

「あ——ちょっと待ってください」

 四辻の言葉をメモしていた逢は、少し前のページをめくって見せた。

「おみとしさまは、村の中に怪異が入り込むのを許さないんですよね? 村人が異界から怪異を招いたとしても、おみとしさまがいる限り、怪異は村の中に入れないんじゃないですか?」

「いい質問だね」
 四辻はノートを眺め、ニッコリ笑った。

「実はその矛盾を解消できる仮説を、僕は思いついたんだ。きっと太田捜査官も、生きていたら、この答えに辿り着いていたはずだよ」

 


逢の捜査ノート

 ・怪異は異界から現れ、取り憑いた生き物の願望を叶える為に事象を起こす。

 天井下り事象の怪異を招いた何者かは、5人の遺体を盗みたいと強く願っていた? 
 理由はさっぱりわからない……。盗むのには成功したみたいだけど、そのあと天井から降らされちゃってるし。

 ・おみとしさまは、村に怪異が入り込むことを許さない。それなのに、どうして天井下り事象の怪異は入って来られたんだろう。


情報整理 怪異の正体についての仮説

「遺体が盗まれたのはひと月前。この怪異が村に現れたのも、おそらくはその頃。

 しかし、おみとしさまは縄張り意識が強く、外から入り込む怪異を許さない。

 つまり……怪異は村の外から来たのではなく――村の中で生まれたんだ」

 中島と田原が息を呑む中、逢は納得したように手を叩いた。

「村の中で生まれたなら、村の境界を見張っている目には気付かれませんね。あとは、辻にある目を警戒すれば、おみとしさまに見つからずに済むかもしれません」

「あの……」大野がおそるおそる口を開いた。「生まれたって、一体……どんな化物が」

「厄介な相手ですよ。時には邪神のごとく恐れられ、時には善神として崇められる、恐るべき怪異です」

「だから、何なんです? それは」

「霊ですよ。この事象の原因は、【霊】です。

 生き物が死ぬ瞬間に強い感情を抱けば、霊という怪異が生まれます。そして霊が最初に取り憑く先は、決まって自分自身。

 霊は、自分自身の願いを叶える為に事象を起こすのです」

「霊?」
「霊は……生き物、なのか?」

「気を食べなければ存在していられないので、生き物と同じです。怪異なんて、幽霊みたいに体がないから、依り代を求める奴等ばっかりですよ。異界の生き物なんてそんなもんです」

「そこまで分かってるなら、早く退治なりなんなりしてくれんか?」

 中島がぼやくと、四辻は不思議そうに首を傾げた。

「退治? いやいや、退魔師にそんな大層な事はできませんよ」
「……は?」

 四辻は笑ったが、中島をはじめとする一般人の表情は凍り付き、逢は両手で顔を覆った。

「退治、できない?」

「退魔師は、魔を退けると書いて退魔師と読むのです。怪異を一時的に追い払う技術は持ってはいますが、退治する技術は持ち合わせていません」

「なんだと!? じゃあ、原因が分かったとしても、どうにもできないじゃないか! この村から追い出す事もできないのか!」

「ええ。退魔師には、できませんよ」

 含みを持たせた言い方に中島は食いついた。

「何か考えがあるのか?」

「はい。怪異を祓う為の切り札があるんです。しかし、切り札は条件が揃わないと使えません」

「条件?」

「怪異の正体を暴けば、怪異は隠れる事ができなくなり、逃げる事もできなくなります。そこまでしないと、機関の祭神は切り札を使わせてくれないのです」

「……なら、解決したろ? 事象を起こしているのは、霊だって分かったんだから」

「すみません、補足をさせてください」

 逢が申し訳なさそうに間に割って入った。

「怪異の種類は霊と断定できましたが、それが人間なのかも、動物なのかも、まだ分かりません。捜査を進めて、何が化けて出たのかも明らかにしないと、お祓いできないんです……」

 みるみる沈み込んでいく中島の顔を見て、逢は胃が痛くなった。

「……でも、おみとしさまを相手にするよりは楽な気がしてきた」

「そうでもありません。むしろ、相手が霊というのは、この土地ではかなり厄介ですよ。おみとしさまがその例です」

「どういう意味だ?」

「みとし村では、お葬式の時に、石を辻や村の境に置くそうですね」

「ああ。おみとしさまがあの世へ導いてくださるって言い伝えだ。中には、おみとしさまとしてこの村を見守る魂も——」

 そこまで言いかけて、中島は「あっ」と、言葉を止めた。

「はい。おみとしさまは、村人の霊の集合体です。この土地は、元々霊が溜まりやすい場所なんですよ。

 しかし、神にまでなれたのは、この村を守りたいという村人達の願いがあったからです。

 だから、おみとしさまは、ここを自分の縄張りにして、怪異が村に入り込まないように見張っているんです。そうして、生きている村人から村の神としての信仰を集め、糧としているんですよ」

 視線を感じ、中島は近くに見える辻の方へ目を向けた。しかし、そこには石が置かれているだけで、何も見えなかった。

「あっ」

 ノートを読み返していた逢が、地図を広げた。

「四辻さん、正面衝突の事故現場は辻です。遺体を盗んだ怪異の犯行を、おみとしさまは見ていたはずですよね? どうして、それが怪異だって気が付かなかったんでしょう……」 


みとし村 大野家周辺

「なぜ、おみとしさまは気付かないのか——もし、怪異の正体が村人の霊なのだとすれば、それも説明が付く。おみとしさまは、複数の霊の集合体で、人格は統合されていない。おそらく、辻に現れた霊を、自分の体の一部だと思い込んでいたんだ。
 先のバラバラ遺体事件が、この仮説を証明してくれた。おみとしさまは、村人や元村人の霊を攻撃できない。自分の一部だと思ってしまったから、おみとしさまは元村人の足立さんの霊を攻撃しなかったんだよ」

「それなら遺体を盗んだのが、どの霊だったのかを聞いてみましょう!」

「残念だけど、それは無理だよ。おみとしさまは、村を守るという目的のみで結び付いている霊の塊なんだ。人格はバラバラで、普段は言うこと成す事支離滅裂。とても複雑な質問には答えられない。

 『はい』か『いいえ』なら、辛うじて答えられるかもしれないけど……」

「まるでウミガメのスープですね。質問を続ければ犯人に辿り着けるかもしれませんよ」

 ウミガメのスープ(水平思考クイズ)——質問を繰り返す事で出題された謎の物語の真相を推理するゲーム。ただし、質問に対して、出題者は「はい」「いいえ」「わかりません」しか答えない。

「たぶん、おみとしさまは、一回しか答えてくれないだろうね……。僕と、僕を連れてきた君を、目の敵にしているから。だから、質問するにしても、何を聞くかよく吟味しないと……。

 それに、質問するなら、もっとうってつけの相手が目の前にいるじゃないか」

 四辻が逢から中島に視線を戻したので、中島は思わず身構えた。

「何だ?」

「捜査官のタブレットが現場から消えていました。
 もしこれを持ち去ったのが霊なら、霊はタブレットを認識していたということになります。ただ暴れているのではなく、捜査を妨害する意図があるということです。

 もしかすると、大野家の周りで遺体を降らせているのは、村人を恐怖させる為だけではなく、何か別の目的もあるのかもしれません」

「別の目的? まさか……」
「呪い——だったらどうします?」

中島の顔が僅かに強張った。

「……ですが、はっきりとした目的が分からない今は、霊と大野家には何か強い縁があり、霊があの家を巣にしていると考えた方が自然です。

 さらに、霊は天井に隠れ、一度も姿を現していません。霊が天井と結び付いた理由があるのかもしれませんが、落下物を降らせるというやや不確かな方法で捜査員を殺そうとするあたり、絶対に姿を見られたくない事情があるのでしょう。

 たとえば――顔を見られたら、一目で正体がバレてしまうと考えている――とか」

「言い方が回りくどい。いったい何を聞きたいんだ?」

「つい最近、佐藤千代子さんの前に、亡くなった人がいませんでしたか? その人は、大野さんの家に、深く関わっていたはずです」

 田原が息を呑むなか、大野は「やっぱり」と、納得するように呟いた。
 
 中島は、半ば睨むような目を四辻に向けた。

「本っ当に、回りくどい聞き方をする奴だな」

「何か反応をいただけると思いまして」

「揺さぶりをかけたのか……。だが、俺達が知っているのは――あの事だけだぞ」

「ええ。ぜひ、教えてください」

 中島は深い溜息を吐き、大野を一瞥してから、視線を四辻に戻した。

「……半年前に、池柁いけだトミコという女性が自殺している。知っていると思うが、大野さん達が引っ越して来る前、あの家に住んでいた女性だ。だが……死んだ理由は、知らん」

「そうですか、知りませんか。それはまた……この村じゃ、とても不思議なことですね」

四辻は琥珀色の目を光らせ、うっすらと笑みを浮かべた。




逢の捜査ノート

【天井下り事象】についての仮説

 ・事象の原因は村の中で生まれた怪異——村人の霊——の可能性が高い。

 ・遺体は大野家を中心に降らされている。
  この家の前の住人、池柁トミコさんは、おそらくボイスレコーダーに記録されていた女性で、田畑さんを使って地下施設で騒動を起こしたトミコさんと同一人物だと考えられる。村人が恐れる彼女の呪いとは、天井下り事象のことだったんだろうか? 

 

疑問点

・トミコさんの死には、この村の因習が関わっているようだけど、この村に住んでいる警官、中島さんは知らないと証言している。田原さんにも話を聞いてみたい。

・トミコさんが犯人だとすれば、天井下がりの霊と特徴が一致しない部分があるけれど、穢れによる変質が関係しているんだろうか?

・霊はどうやって遺体を盗んで、どうやって運んでいるのか。

・怪異の目的は【遺体を盗むこと】だった? 天井から落としたのは、人間の恐れを集め、食料にするため。でも、他にも何か理由がありそう。【遺体と怪異の関係】について、四辻さんの意見を聞く。