あの淵の底で—— 第2話(全5話)
不審電話
12月9日 忘年会
12月9日 俺は会社の忘年会に出席していた。
俺の職場は、一応上司や部下の括りはあるものの、そこまで堅苦しいものじゃなくて、普段の会話でも冗談を言い合えるような雰囲気だ。さらに、酒が入ると普段大人しい奴も大胆になる。そのせいか、今年入ったばかりの大人しい後輩が、今日はやけに饒舌だった。それで何かの拍子に、そいつは俺と同郷だと知った。あんな辺鄙な山の中から出てきた人間がこんな近くにいるなんて驚きだった。
「えっ僕、同じ中学に通ってましたよ」
「マジか」
「ちなみに小学校は? 僕は南です」
「俺は北だな」
俺の通っていた小学校と年代を聞き出したそいつは、急に顔を強張らせた。
「神隠しがあった学年ですよね?」
そいつが言うには、俺の学年の男子生徒が一人、下校中に行方不明になって今も見つからないらしい。
その生徒の家から学校までの距離は1km程度で、その半分くらいの所で地域の大人が、その生徒と友達が一緒に下校しているのを目撃していたそうだ。その後一緒にいた友達は、その生徒が家に入るのを見たと口を揃えて証言している。
しかし、家にいた生徒の兄は、弟は家に帰っていないと断言した。
「つまりその生徒は、家に入った瞬間に消えたってことになりませんか?」
「それ作り話だよ。俺の時代にはもうあった」
俺が笑うと、後輩は驚いたのか目を白黒させていた。
「そういう学校の怖い噂って引き継がれるよな」って、忘年会はそれなりに盛り上がった。
その日の夜、俺は眠れなかった。
——今頃になって思い出す羽目になるなんて……。
後輩は知らなかったらしい、男子生徒——伸次——が行方不明になった事件が本当にあったということを。
無理もない。もう、30年以上も前の話だ。俺と後輩は20歳近くも離れているし、事件に関わった人達は不気味がって話したがらないのだろう。
俺も思い出したくなかった。だから後輩には作り話だと伝えた。
あの日、親や近所の人達は総出で俺とあいつの実家がある北山周辺を探していた。だけど、結局あいつが生きて帰って来ることはなかった。
棺に入ったあいつは綺麗な顔をしていた。だから見た瞬間に直感した。あれは、あいつじゃなかった。
思い出すだけで気分が悪くなる。何度も吐き戻して胃が空になっても、トイレの前から動けない。
後輩から聞いたことが引っかかっている。
「じゃあ、南淵のあたりでその生徒を見かけるって怪談もありましたか?」
スマホが鳴ったのはこの時だった。画面はあの後輩の名前を表示していた。
日付はもうとっくに変わっている。
こんな時間に? そう思いながら電話に出る。
「もしもし。何かあったのか」
返事を待つが、何も聞こえない。
……いや、微かにノイズが聞こえる。耳を澄ませば、段々と鮮明になってくる。それはまるで水が流れるような音だった。
「もしもし」
再度呼びかけると、はっきりとした声が返って来た。
「見ぃつけた」
俺は電話を切った。今のは後輩の声じゃなかった。着信履歴を見ると、今あったはずの着信は記録されていない。
朝になって後輩に確認しても、やはり電話をかけた記憶はないらしい。
あの変な電話があったこと以外、この日は何も起こらなかった。久しぶりに酒を飲んだのと、疲れていたのとで、夢でも見たんだと思い込むことにした。
でもそれは間違いだった。
12月11日 家族が見たもの
12月11日 昼
スマホを見ると「早く帰ってきてね」と、妻からメッセージが届いていた。珍しいと思いながらほっこりしていると、新しいメッセージが届いた。
「変な鳥が飛んでるみたい」
12月11日 夕方
妻から電話があった。
息子が倒れたらしい。
呼びかけても反応が無く、救急車を呼んだら入院することになったそうだ。あまりにも突然の事だったので、病室に入るまで信じられなかった。何度も名前を呼んで体を揺すっても、息子と視線が合わない。
嗚咽する妻からは詳しい話が聞けなかった。でもすぐに先生が来て詳細を説明してくれた。息子はベランダで倒れていたのを妻に発見されたらしい。検査を進めているが、今のところ原因ははっきりしないようだ。
先生との話が終わる頃、妻はようやく落ち着きを取り戻した。励まそうと声をかけると、妻は——
「先生には言えなかったんだけど……」
——そう前置きして、息子が倒れる直前に起きた事を話し始めた。
ベランダにカラスがとまったらしい。息子が追い払おうとして戸を開けると、カラスの顔が変に歪んだ。その顔は、まるで人間の子供の顔に見えたそうだ。
その直後、息子は「出てけ!」と叫びながら床に座りこんで、そのまま意識を失ってしまったらしい。
話を聞きながら、あの着信を思い出していた。電話の主は、たぶんあいつだ。あいつが探していたのは、俺じゃなかったのか?
俺の所為で、息子はこんな目に遭ってしまったんだろうか……。
息子の手を握る。
すると、息子はとても病人とは思えない強い力で握り返してきた。
さっきまではどこを見ているのか分からなかった息子が、俺を見て笑っている。でもその顔は息子じゃなくて、あの頃の俺とそっくりだった。
息子の中に、あいつがいる。
震える俺を見て、息子は口を開いた。
「伸一見ぃつけた」