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バリキャリ奇病譚

 自分で言うのもなんだが、私は健康な方だと思う。幸いまだ大病をしたこともなく入院や手術の経験はない。健康診断でも今のところ毎年特段引っ掛かる事項はなく安穏としている。

 新卒で大手の外資IT企業の営業になり、世間でいういわゆる「バリキャリ」に属することになった私は、そんな健康体だったのでそれなりに長時間労働ができた。ある程度の寝不足やストレスにも耐えられた。
 営業成績が悪過ぎて半泣きで営業プランの説明をしている最中に役員に目の前でいびきをかいて爆睡されたり、システムトラブルに見舞われヤクザのようなお客さんに金を返せと迫られ、会議室に拉致られて決着がつくまで帰さないと言われたり、社会人になってからの11年間いろいろと心を蝕む出来事はあったが、元来十分に睡眠が取れれば平静を保てるたちであったので倒れたり2日以上休んだりすることはなかった(月曜は憂鬱過ぎて仮病を使って休むことがしばしばあったけれど)。

 しかし日々の蓄積は私の体に確実に影響を及ぼしたようで、直近7年ほどの間、人の共感を得づらい症状に度々苦しめられてきた。

 これは自分の経験を言語化してみるとともに、類似の体験をされている方になにか助けになればとの考えから記すものである。

 最初の異変はワイヤー入りブラジャーをつけられなくなったことだった。
 あるときからワイヤーが入っているとブラをつけている箇所がむず痒いようなイライラするような嫌な感覚を得るようになり、一度会社の中で気持ちが悪くなってトイレに駆け込んだ。吐くわけではなかったがブラのホックをつけていられなくてその日は外したまま過ごした。社会人3年目頃だったと思う。
 当時手元にあったブラはすべてワイヤーが入っていた。ワイヤーなしブラの存在も知らなかったのもあったが、突然の謎の不調に精神的に迫るものがあり、その夜カッターでブラというブラの端っこを切ってワイヤーを抜いた。
 ブラをめぐる不調はそれでは終わらなかった。ワイヤーを抜いてもワイヤーの入っていた部分の布やレースの当たる感覚が不快で堪らなくなった。
 途方に暮れて何かいいものはないかと街をウロウロしていたときに出会ったのがユニクロのノンワイヤブラだった。縋るようにして7枚買った。母親に話したら乳が垂れるだの何だのと言われたが、垂れようが落ちようがこれが無ければもれなくノーブラで外出することになるのでどうしようもなかった。
 ちなみにその後ちょうどユニクロがノンワイヤーなのに美乳をかなえる、という趣旨の商品を発売してくれたので私はそれ以来このブラしかつけていない。いまだ美乳をキープできているか定かでないが、少なくともワイヤーがなくても垂れるのを防げるかもしれないという一縷の望みを与えてくれたユニクロには感謝の言葉を述べ尽くせない。

 ブラのワイヤーがダメになった話、ここまではたまにあることではないかと思う。ググるとブラが気持ち悪くてつけられないという人は結構いる。

 ここまででも身体の変化は私に結構なショックを与えたが、本当に困ったのはこのあとだった。

 今度は鎖骨から首にかけて常に違和感を覚えるようになった。
 タートルネックが気持ち悪くて着られなくなった。そのうちにタートルネックどころか少しでも首の詰まった服が無理になった。
 当時私はジャケットの下にタートルネックといういでたちを冬の鉄板出勤スタイルにしていて、お客様の中堅男性社員からタートルネックのかた、と呼ばれたりしていたのだが(昔ながらの製造業メーカーで、私の担当していたシステム部には女性社員も珍しく、出勤時はシャツを着るべしと固く信じていた彼にはそうではない私が珍しかった模様。なんだかよくわからないが失礼である)、一夜にして私はVネックのかたになってしまった。
 Uネックでも耐えられなくてひたすら手持ちのV開きのニットとカットソーを着回した。本当は鎖骨も全部出せるようなオフショルダーくらいでないと完全には気持ち悪さが取れなかったが、さすがにTPOを考えると不可だった。

 タートルネックに慣れた私の首元はいつも寒風に晒され、冷えるようになった。

 さらに追い討ちをかけたのがマフラーもできなくなったことだ。フワッと緩めに巻いても気になって気になって仕方なくなった。私の首は氷点下になろうが雪が降ろうがいよいよ毎日丸裸だった。
 マフラーでさえダメなのだから、いわんやネックレスをや、であった。このときは結構悲しかった。
 着られなくなった服を何着か妹にあげた。

 この症状もググると首に服が触れると気持ち悪いといった訴えがYAHOO!知恵袋に定期的に投稿されている。それを見たとき解決策はなさそうだと落胆したが仲間がいると分かっただけで安心できた。

 極め付けは「膣の過緊張」である。(断っておくがこの文章にエロ要素は1ミリもない。)
 ある日起きたらなんと形容すれば良いのか膣付近一帯に力が入って抜こうにも抜けない。排尿排便をするときの力んだ状態とはまた違う。奇妙なバランスで意識が寄っている。
 いや意識は別のところにあるはずなのに私のコントロールの及ばぬところでその部位に向かって力を入れよと指示が出ている感覚だった。

 自律神経を整えようと深呼吸を繰り返してみた。腹式を意識して鼻から吸って口から吐く。腹のあたりのストレスは口から出ていくような気がしたが尻のあたりは何ら変わらない。
 過去33年間の経験から何事も忘れてしまうのが一番だと学んだ私はそのときも気を逸らせようと努めた。仕事も忙しかったから没頭しようと試みた
 しかし、何をしていても膣だけが私とともにおらず何やら力を込めている。私は何か彼(彼女?)を怒らせるようなことをしただろうか。

 明くる日も、その翌日も、朝起きると治っていることを期待するも状況は変わらなかった。
 2週間が過ぎた。誰にも言えない症状、このままだったらどうしようという焦りに神経がすり減ってきた。
 その間インターネットでいろいろと調べてはみたものの、解消の手掛かりがつかめなかった。結局どうやって辿り着いたのか覚えていないが、一番近そうだと思ったのが「膣の過緊張との闘い」という記事だった。

 この記事の筆者は「骨盤底機能障害」になり、膣に痛みを覚えたということだった。私の場合、痛みはなかったものの、おそらく骨盤底筋が「過緊張」状態になっているのだろうということは想像がつくようになった。
 この記事を読んで、この症状そのものではないかもしれないものの、似たような症状で悩んでいる人がいるということにすごく救われた。そして、少しストレッチしたり、漢方を飲んだりしているうちに、徐々に症状は改善され、いつの間にか、消えた。


 現在はというと。

 ブラは未だにユニクロノンワイヤーだが、だいぶ緩和され、ノンワイヤーブラであればユニクロ以外も付けられるようになった。
 首周りの不快感はほぼ克服した。徐々に治ったわけではなく、明確にきっかけがあった。それは、予期せず・意図せず訪れた「重圧からの解放」だった。会社の組織変革で自分の意思に反して営業ではなくなり、半年程の間何のプレッシャーもない生活をした結果、気づいたらタートルネックを着られて、マフラーも巻けるようになった。
 首回りが絶不調であったときお気に入りの服を妹にあげてしまったことが今になって悔やまれる。

 ただ未だに、おそらく仕事などで交感神経が昂るような出来事があるとネックレスができなくなったりユニクロのブラでももぞもぞしてしまったりする。そんなときはVネックとほぼ締め付けのないパット付きキャミソールを着ている(Danskのキャミソールがとても優秀である)。

 これらの症状に悩まされていた間、何も手を打たずにいたかというとそうではない。ただ、病院には行かなかった。
 調べる限り全部おそらくストレスによる自律神経の仕業だろうと考えていた。しかしインターネット上では同じような困り事を抱えた人が皆、明確な解決策は見つけられておらず、不快な衣類を避けるなどして騙し騙し過ごしているように思われた。
 だから、まずは自分で整えてみるしかないと考えた。困ってはいたけれど痛いとか痒いとか、明確に言語化できるものでなかったこともそう考えた一因である。
 これは正しい考え方ではないとは思う。こうやって重大な病気が見逃されて手遅れになってしまうケースもあるだろうし、適切な相談先が見つかればもっと早く改善されていたかもしれない。
 私の症状が改善したのは結果論にすぎない。

 整えるために整体やホットヨガや鍼に通ったりした。さまざまな漢方も試した。
 それでも効果のあったものは一つもなかった。

 鍼に至ってはなかなか予約が取れなくて平日夜に予約していたのだが、ある日お客様との会議でプロジェクトの状況について酷いクレームを受けてしまい、なだめていたら予約の時間を過ぎてしまった。ドタキャンをしてしまったのだ。
 会議中に連絡をせねばと思ったが、怒っているお客様の役員を目の前にしてとても携帯を取り出せる状況ではなかった。
 会議が終わったのは鍼灸院の営業時間が終了した随分あとだったので、取り急ぎメールで詫びたら、返信に「このような生活をされているので不調が起こるのだと思います。早く心穏やかな生活が訪れますように」との言葉があった。

 余計なお世話だ、と思って、それ以来その鍼灸院には行っていない。


 鍼灸院以外に、私が唯一症状を打ち明けていたのが母親だった(膣の話はしていない)。
 母親からも「少し仕事を頑張りすぎなのでは」「休んだら」などとよく言われていた。
 心配は本当にありがたい。心から私のことを想っての言葉だとわかっている。それでも自分では睡眠は十分とって、土日も結構休んでいるつもりでいたし、何より自分の生きがいを奪わないで、という気持ちだった。

 ストレスの原因の多くが仕事であるというのはわかっていた。日々想定外のことが起こるし、思い通りにいかなかったり辛いと感じることももちろんあった。
 しかし私は根本的に仕事が好きだったし、今でも好きだ。普段出会えない人や考え方に触れたり、人と成果を分かち合う機会をくれて、自分が何かの役に立っていることや成長を感じさせてくれる仕事というものは素晴らしいと心から思っている。安野モヨコさんの傑作漫画『働きマン』のなかで、主人公の松方弘子が「あたしは仕事したなーって思って死にたい」というシーンがあるが、私はそうなりたい。
 だから多少の辛い時間があっても、基本的に好きで楽しめていることがストレスだと理解できなかった。

 しかし、ストレスは心が感じなくても、身体が感じるということがあるのだと学んだ。

 もしも、最高潮に悩んでいたころの自分に言葉をかけるとしたら何と言うだろうか。

 まずは、周りからなんと言われても休んだり辞めたり手を抜いたりしたくない、する意味も感じられないという自分は決して間違っていないということ。
 自分の選択を間違っていると指摘していい人は誰もいないということ。

 そして、困っているのは自分だけではないから安心して欲しいということ。
 こう書いてしまうと非常に凡庸な表現になってしまうが、困り事や困り度合いに差はあれど、誰しもが何かしらで苦しんでいる、ということを、身をもって感じた。周りから見たら涼しい顔をして生きていたかもしれないが、私はこの7年間、日々程度の差こそあれ困っていた。

 自分にはできなかったけれど、解決の糸口や相談先を探り続けるべきということは添えたい。
 困っていることをもっと周りに言えばよかった。たとえ相談先が違ったとしても病院に行ってみればよかった。そうしたらもう少し、何かが違っていたかもしれない。

 生きたい自分を選ぶのも、自分の苦しみを解消するのも、すべて自分である。


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