0-100思考とリセット癖について

私はわりと0-100思考だ。だいたいのことはいい加減で、0でいいやと思っている超適当人間だから、一般的な完璧主義者や理想主義者とはだいぶ違う。

何事も厳選したいので、こだわる対象も厳選している。これもミニマリズムの一つかもしれない。だって、いろんな事にこだわってたら疲れるからね。執着心はできるだけ少ない方がいい。

こだわりたいことに関してだけ、100を目指してこだわる。100が無理なら手放す。

ずっとやってきたピアノは、学生時代のようにたくさん練習時間をとれるわけではないし、納得いく演奏と理想を求め続けることに精神的に耐えられなくなったので、スパッとやめた。ストイックさを保てるほどのストイックさは私にはない。

一度入れ込んだことに関して、中途半端とわかった状態で続ける状況を、自分が許せない。ほどほどに続けるというのに満足できない。

海外ドラマが好きで観たいものもあるものの、なかなか手をつけられず、心理的ハードルが高いのは、全何十話も最後まで観きれる確信がないからだ、と気づいた。まして、まだシーズンが続いてるものとなると追い付く自信がないので諦めるしかない。
とりあえず最初の方だけ見てみようとか、抜粋して見てみようというのが性格的にできないのだ。一度観始めたものなら、謎のプレッシャーを感じながら一気に観てしまう。

こういうところにも0-100思考が現れてるなと思う。

リセット癖に関しては、過去に書いていたsnsをある日突然、気持ち悪くなって一気に消すというのを何度かしている。過去数年分の日記も捨てた。

脳内に存在してるだけなら構わないんだけど、アウトプットしたものって、後から自己嫌悪と羞恥心が襲ってきて、破棄したい衝動に駆られる。

交友関係も持続しない。

身の回りの物の断捨離もした。

高校生~20ぐらいのときは、無駄な感情を捨てようと試み、なんか余計に病んだこともあった。

20代前半にかけては、自分の人生において不必要と思えるもの、無駄なものをいろいろと削ぎ落としていった。

震災だのコロナだのあって、物質的なものや無駄な虚栄心に執着してても意味がないとより一層感じる。自分の身一つあれば自分を満足させられるだけ、脳内を充実させたいと思うようになった。人や物など外に頼るより、よほどコスパもいい。

私は考え事や妄想が趣味なので、娯楽を自家発電できるというのは最大の強みかもしれない。もちろん、そのためにはインプットも欠かせないが…

理想主義を突き詰めていった結果、虚無的な考えに行き着いた様だ。

ただ、なんでもかんでも簡単にリセットしたり、断捨離していたら、20代の軌跡がなんも残らないなーともったいなく感じたのと、自分みたいな人を見つけたい!誰か共感してくれる人がいたら私の葛藤や余計な思考も無駄にならないかも、と思ってこのnoteを始めた。

年取ってから見返したらどう感じるのかな?と興味深いから。その前にリセットしてしまうかもしれないし、note自体があるかもわからないけど。


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