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ボーイ・ミーツ・ボーイ 最終話 (8/8)

8 一本の角は折れ 一本の角は笛のように天心をさして嘯く。
 「鬼の子は俺じゃない おまへたちだぞ」

         金子光晴詩集より

 名なしの店を訪れた翌日、おれは筋トレ用のトレーニングチューブで遊んでいた。フラットバーで足を鍛えていたケサマルがそばにやってきて、スクワットをはじめた。
「なんで逃げへんねん。キモイおっさんやないか」
 こういう暴言を吐いても、許してもらえる相手が友だと言える。「……2度目となるとなぁ」
「あの黒服に見張られてんのか」
「金がないから、逃げても、すぐに見つかる」
 ケサマルは過去に連れ戻された経験が、あるようだ。
「外国へでも逃げるしかないな」
「あいつらは、どこまでも追いかけてくる。不動産屋やったオヤジがリーマンショックで大損してな。俺が7歳のときに、にっちもさっちもいかんようになって、サラ金に手ぇだして、おれを売りやがった。弟は手元に残して……」
 ケサマルはサッカーの練習試合に加わらず、なんでスクワットで時間をつぶしてるんだろう。
「親が子供を売るって……ウソやろ」
「表向きは、子供のない、中年夫婦に養子に出したことになってる。定職についてて、郊外の戸建てに住んでる正式の夫婦や。最初の頃は新築の家に住んで、可愛がってもろてエエ暮らしをさしてもろた。長くはつづかんかったけどな」
 ケサマルは動きを止め、声をひそめた。
「ひと月もすると、おっさんとおばはんが妙によそよそしくなる。まだ小2や。自分が、ナニか機嫌を損ねることをしたと思う。それがあいつらの手口やと気づいたんは、ずっと後や。気に入ってもらうためやったら、どんなことでも我慢せなアカンと思うようになる。ある晩、立派な身なりの男がやってきた。あとは想像つくやろ? 客の言いなりになりさえすれば、夫婦役のおっさんとおばはんは上機嫌になって、やさしい両親にもどる」
 筋トレそっちのけで聞き入るおれに、ケサマルは口元を歪めて言った。
「おれはあっという間に、客の背丈を追いこした。少年好きの客向きやなくなったわけや」
 いまの時代に、そんなバカなことが現実にあるのかと半信半疑で聞いた。
「中学生になると同時に、逃げ出したんや。つかまったあとは、あの店で飼われるようになった。養父母が離婚して、伯父夫婦に引き取られたことに書類上はなってる。伯父夫婦の父親役がマリコや。あいつには戸籍上の妻子がいる。時々、おれに稼がせた金を持って会いに行ってる」
「いまも……ヤらされてるんか……」
 ケサマルは肯定も否定もしなかった。
「おれのことはともかく――マサには要注意や」
「ヤクザの息子やからか?」
「あいつのオヤジは、おれにかかわる連中とは、敵対してる組の若頭や」
「……?」
「あっちの組織は、ケーサツとのつながりがハンパやない」
「ケーサツとヤクザが、か……?」
「マサは、ジュンのことも詳しく知ってるはずや」
「そやったら、おれに教えてる」
「マットウな家庭で育ったナンチャンはお人好しや。金髪頭やったマサがなんで、おれらの学校に簡単に転入できたんや。コネがないと、あかんかったはずや。この学校は金さえもろたら、どんなヤバイ連中でも入れるンや。おれがその証拠やし、タニシみたいな暴力教師が見過ごされるのも、この学校やからや」
「マサは勉強もできるぞ」
「あいつはスパイや」
「ジュンを捕まえるためか?」
「海外留学の名目で、ジュンを高値で売り飛ばす魂胆や」
「ジュンの親が黙ってないやろ?」
「こんなことになったそもそもの原因は、ジュンの父親がつくったんや。事情は言えんけどな」
「ジュンはそれを知ってるンか?」
「たぶんな」 
「なんで逃げへんねん」
「なんでやろな……見当はつくけどな」
 ケサマルはおのれの不遇を、ジュンの話題でやり過ごそうとしている気がした。
「女子高生が殺される事件が去年から今年のはじめにかけて立てつづけに起きて、それが春ごろからピタリと止んだ。いっときはマスコミがわんさかやってきて大騒ぎしたけど、いまはもう、だれも気にしてない。なんでかわかるか?」
「……?」
 ケサマルは幼児に話すように、
「大きな事件が起きた当座は、県警本部に100人体制で捜査本部が置かれるけど、3ヵ月過ぎても、手がかりがなんもないときは、所轄の一係にまわされる」
「イチカカリってなんや?」
「警察署の刑事課、捜査一係のことや。凶悪犯罪をあつかう部署やけど、人手が足りてない。事件がそれだけやったらまだしも、他にもあるからな」
 ケサマルはうんざりした口調になった。

「おれらが、学校で事情聴取されたんは、最後のあがきや。学校がアレを許したんは、校長になんらかの弱みがあるからや。でないと、刑事はこんかったはずや」
「なんでも知ってんねんな」
 感心すると、ケサマルは鼻で笑った。
「ナンチャンは物知らずやから、アホな喧嘩ができるんや。おれにはプライドなんてもんはない。ジュンも似たようなもんやけど、おかしなモンに手ぇ出すから追い詰められるんや。それももうそろそろ終わりやな」
 喧嘩はしても知恵の足りないおれは、ケサマルやジュンの話と殺人事件となんの関わりがあるのか皆目、わからない。

 こういうとき、頼りになるのは、長距離ランナーを目指しながら文芸部に首を突っこんでいる保田だ。
 しかし、相談をもちかけるにも荒唐無稽すぎて、おれ自身が、ケサマルの身の上話をまるごと信じていないのに、きちんと伝える自信がない。

 体育科の教室から消えたジュンの席を横目に思案していると、保田のほうから話しかけてきた。
「思うんだけどサ」
 と保田は切り出した。
「文化祭のジュリエットをやりたくないつーのは、それはそれで由としよう。ナンチャンとやりたくないんだったら、はじめっから、そう言えばいいじゃん」
「気が変わったんやろ」
「まあ、三輪とイチャイチャしてるところを、わざわざ見せつけるくらいだから、そうだろうよ。でもサ、相手があいつというのが、ナットクいかん」
「まわりがどう思おうと、屁ともないゆーことやろ」
 おれは投げやりに言った。
「この屁は臭いぞ。臭うなぁ。犯罪と関係しているとしか、考えられん」

 ふと思い出す。ジュンは、名探偵は2人組なので、女子高生殺しの犯人をジュンとおれの2人で探そうと言ったっけ。
 あの黒いスカーフは、犯人につながるヒントであることはまちがいない。ジュンのものだとおれは思いこんでいたけれど、ほんとはだれのものなんだろう。
 ケサマルの話を信じるなら、ジュンは困った状況にあるらしい。ぼんやりとだけれど、そのことはなんとなく想像できた。
 廊下ですれ違うジュンの顔が異様に青白いからだ。もともと痩せていたが、いまは突つけば折れそうに見える。

 文化祭の当日。秋晴れの心地いい日曜日だった。

 ジュリエット役はマサがやることになった。
 体育館に急ぎしつらえられた舞台には幕もなく、長椅子が1つ置かれただけで、他には何もない。
 この長椅子がジュリエットの部屋のベランダになり、ベッドにもなる。
 こんな雑な背景でいいのかよ。
 案ずるより、生むがやすし。
 ロミオ役のおれよりデカイ、ジュリエットが登場しただけで、見物にきた保護者、近隣の女子高生、普通科の生徒は大爆笑。
 マサが椅子に立って、黄色い声で、「ああロミオさま、なぜ、ロミオさまでいらっしゃいます、あなたは?」と呼びかけると、笑いと拍手で、あとの台詞は聞こえない。

 他の役のだれもが、生真面目に台詞を言えばいうほど、滑稽さが増した。

 圧巻だったのは、マサは記憶力がいいので、おれが台詞を忘れると、腹話術のようにおれに代わって台詞を言ってくれる。
 ドスのきいた声で、「おお幸いの夜、恵みの夜! 夜と知るだけに、まさかにみんな夢ではあるまいな。心もそぞろ、あまりにも幸福で、本当とは思えない」
 これがまたうけた。

 その夜、いつもは閑古鳥がないている、うどん屋で打ち上げをやった。
 主役は、もちろんジュリエット姫。
 保田も上機嫌だった。
「怪我の功名つーのかなぁ。タニシにまで誉められたよ。おれさ、大学では、演劇部に入ろうと思うんだ。マジで」
「おまえの演出が受けたワケやないやろ」
「自分のやりたいことの方向性が決まった気すンだよ。ホントにいろいろあったし、悩んだけど、走ることと選手になることは、違ってると思うんだ。ナンチャンもそう思うだろ?」
「まあな」
 ちがうと言えない自分が情けない。
「大学はどーすンだよ。こことは別の大学を受けるンか?」
 訊くと、
「ただ座って、授業をきくだけの時間がもったい気がするんだ」
「おまえの成績やったら推薦も楽勝やろ」
「きょうの芝居、ジュンが見に来てたの知ってるか?」
 出入口に近い、バスケのゴール下に客席の邪魔になるマットを積み上げていた。物陰から、覗いていたことはわかっていた。
 だからと言って、気軽に話しかけられる雰囲気ではない。
 黒いスカーフを、返すしかない。
 近ごろでは、刑事を見かけることもなくなった。

 子供の頃、よく遊んだ公園に、ジュンを呼び出した。

 ジュンは周囲の目を気にしながらやってきた。

 この日のくることを予期していたようだ。
 手の中に握りしめたスカーフを、おれは無言で突き出した。
 公園の外灯の下にたたずむジュンは手を出そうとしない。
「どーゆーことやねん。説明してくれへんか?」
 ジュンが犯人でも、だれかに話すつもりはないと告げたかったのだが……。
「ぼくやない」ジュンは先に言った。「でも……ミークンにはなんも言われへん」
「三輪が犯人やからか? あいつの家は爺さんもオヤジさんも、警察のエライさんらしいな。それでつかまらんのか?」
 ジュンは激しく首を振った。
「なんでやっ」
「ごめん。ミークン、ほんまにごめんやデ。ぼくな……友達はミークンだけやと思てる。信用できるんはミークンだけや」
 ジュンはおれの手から黒いスカーフをむしり取ると、1度も振り返らずに駈けて行った。
 ジュンはおれを頼りにしていない。
 2度と親しい関係にもどることはないと思った。

  長い間、友達だった。

 こんなに簡単に、顔見知りていどの間柄になってしまうとは……。
 疎遠になった理由がわからない。
 わからなくていいことは、わかってしまうのに――。

 サキが妊娠したと言ってきた。
 母親に付き添われて、ウチへ押しかけてきたのだ。
 犯人捜しどころじゃない。絶体絶命である。
「責任をとっていただきたいのです」と、サキの母親は身を乗り出して言った。
 
 我が家のソファに、濃い化粧の母親と並んで腰かけたサキは、ふてくされた顔つきで、オカンの出した茶をすすった。スカートの裾からのぞく膝小僧が、てらてら光っている。
 少し、肥ったのではないのか?
 オトンとオカンは、息子の不始末をひたすら詫びた。
 おれは、ソファに腰かけず、フローリングの床に正座し、テーブルの角をにらんでいた。
 サキもおれと目を合わせようとしない。
「おわかりだと思いますが、産むなんてことは、できませんしね。まだ16歳なんですよ」
「おっしゃるとおりでございます」とオトンは平身低頭。

 寒気がし、頭の中まで冷える症状があるなんて、経験した覚えがない。否定できない過ちを、心ならずもやらかしてしまったんだから、殺されたってしかたないと思っていると、
「実は、主人には、話してないんです。もし、こんなことが知れたら、うちうちでコトをすませられなくなると思いまして――夫は正義感のつよいヒトで――名のしれた企業に勤めてますし――何事も、あきらかにしないとすませられない性格をしてまして、知れば、お知り合いの弁護士さんに頼むと思います……」
 オフクロがためらいがちに、「あのう、どういうことに……」とたずねた。
「性的暴行を受けたと訴えると思います。娘が申しますには、こちらの息子さんにむりやり押し倒されて……娘は、はじめてのことでどうしていいのかわからず抗えなかったと……」

 ハラワタが煮えくりかえったが、何を言ってもムダだと、なぜか、わかっていた。
 サキはおれに報復しているのだ。
 たとえ1度きりの関係であっても、おれを両親の前で吊るしあげることで望まない妊娠をおれ1人の責任にしようとしている。
 
「失礼ですが、穏便にコトをすませていただくには、私どもが、どのようにすればよろしいでしょうか?」
 オトンは、低い声でゆっくりと訊いた。
「そうですねぇ、一千万もあれば……夫に知られずにすむと思います。お親しくしていただいている産科の先生にお願いして、内密にすませられるかと……夫には、海外旅行だと言って家を出ますので、処置したあと、海外へ出かける費用もかかりますし……」
「たしかに、うけたまわりました」とオトンは言った。
「おれは、おれは、レイプなんてしてないです!」
 立ち上がり、サキの母親に訴えた。
「おまえは、黙っとれっ」
 オトンはおれを一喝し、
「申し訳ございません。なにぶん、躾の行きとどかん息子でして、すべて父親であるわたしの不徳のいたすところでございます。早急に本人にもコトの次第をたしかめますので数日、お待ちいただけますでしょうか」
「わかりました。ただし、慰謝料のお支払いのご意志のあることを、一筆したためていただけますか。書類には署名、捺印をお願いしますね」
「そちらも、いま少し、お待ち願えますか?」
「待てないんです。娘を問いただしましたら、もう直ぐ4ヵ月になるそうで……正規の産科医には断われる月数なんです」

 文化祭を見るために帰省していたオトンは北陸の子会社に出向中なので、今日明日にも向こうへ帰らなくてはならない。
 だいち、ウチの家にそんな大金があるはずない。
 おれは自分の部屋へ駈けあがった。
 2階の踊り場で、盗み聞きしていたアネキが、真っ青な顔でおれを叱った。
「なんてことしてくれたんよっ。アホ、バカ、マヌケ、死ね!」

 おれはスマホを手に取り、リュックにそこらへんのものをつめると、階下に降り、両親に両手をついて謝った。
「申し訳ありません。お金は、死ぬ気で働いて、かならず返します」
 殴られると思って顔をあげたおれの頭を、オヤジはかるく叩くと、「署名捺印はしとらん」と言った。

 家を出た。

 マサに連絡し、ヤツのアパートへ。
 若頭の息子の部屋にしてはただっ狭い。

「先輩、やってくれましたね。そっちでも、まさか、先をこされるとは夢にも思てませんでしたワ。おれ、子供はまだつくってません。気ぃつけるようオヤジに言われてましたからね。ほんで、何ヵ月やゆーてました?」
「4ヵ月やと……」
 離れて座ろうにも、ワンルームしかないので、マサはベッドであぐらをかき、おれは、縦長のスペースに膝をかかえてちんまりとうずくまる。
「ナニをした日から今日までで、何日、経ってますねん?」
「日記、つけてるわけやないし、そんなもん、わかるかっ」
「自分のことでっせ」
 サキの別荘に行ったのは、たしか花火大会の夜だったと言うと、
「計算が合いませんワ。花火大会から2ヵ月しか経ってないっス。おれの聞いたところによると、ひと月余分に計算するそうです。そやから、3ヵ月と言われたら、そらもう認めるしかないですけど、仮に事実やったとしても、女の子の相手が自分ひとりとは限らへんやないですか。ほんまに自分の子かどうか、DNA鑑定してもらわんと。妊娠中でも、できるんかなぁ?」
 おれはもじもじしながら、
「サキは、そのう、おれがはじめてやったんやぞ」
「本人がそう言うたんですか?」
「シーツに血ぃがついてたし……」
「うまいことハメられたんやなぁ。先輩とナニをしたとき、彼女は妊娠してたんスわ。本人もそれをわかってた」
「なんでそんなことすんねん!」
「騙しやすいと思われたんですワ」

 いそいでオヤジに電話した。

『したことはしたけど、オヤジ、相手はおれやない! 金なんて払うな』
 と言うと、
『そんなもん、さいしょっから、わかっとる。苦情の受付係を何年やっとると思てるねん。母親のあわてようが尋常やなかった。それにあのコはすれっからしや。もし、おまえがはじめての相手で、むりやりヤられたんやったら、あの場で泣いてるはずや』
 おれは返す言葉がなかった。
『心配すんな。出るとこへ出てもろたらええんや』
『……すまん……オヤジ』
『すぐに帰ってこい。逃げてどーすんねん。学校も休むな』

 次の日、サキの通っている女子校の門の前で彼女を待った。

 サキには会えなかったが、口元が突き出た女子と会えた。

 彼女と近くのドトールに入った。
「殺されたヨシエから聞いたんです。プリンセス王子に付きまとっている男がいるって……いつも一緒にいる南川くんがその男だって……勝手に思いこんでしまって……それをサキについしゃべってしまって……そしてら突然、『人殺し』だなんて言うもんだから、ほんとにびっくりして……だからわたし、サキと付き合うのやめたんです」
「ケーサツにも同じことを?」
 彼女はうなずき、
「サキはずっと休んでます」
「いつから?」
「始業式の日はきたんですけど、それからは来たり、来なかったりで、だんだんクラスのみんなにも避けられるようになって……」

 肌寒い夕暮れどき、マサと2人、英会話学校の帰り道のジュンの後をつけることにした。三輪が同行していないとわかっていたからだ。
 ジュンは薄手のジャケットになんの変哲もないジーンズをはいて、ショルダーバックを肩にかけ、早足に阪急六甲駅にむかっていた。

 人気のない高架下が見える通りを、ジュンは早足で歩いている。 片側がコンクリートの壁になっている線路沿いの道を、おれとマサは、ジュンから20㍍ほど離れてついていった。
 電柱の影に潜んでいた2人連れの刑事と出くわした。
「なんやねん」と、年配の刑事が先に言った。「刑事のマネゴトか? ドアホ! 子供は出しゃばるな」
 そのときだった。
 おれたちが刑事と揉めている間に、高架下の暗がりから出てきた男がジュンに襲いかかった。
 刑事2人より、短距離選手のおれのほうが足がダントツに速い。
 そいつをとっつかまえるのに5分とかからなかった。

 目だし帽を剥ぎ取ると、だれあろう、マリコさんだった。
 騒ぎに気づいたジュンは瞬時に姿を消した。

「ジュンになんの用事があるんですか?」
「あたしの彼氏の心を盗んだ、あの子が憎らしくて、憎らしくて、それだけよ」
 若い刑事が追いついて、マリコさんに経緯をたずねようとした。
「これって、任意の事情聴取よね? だいち被害者もいないのに――」
 マリコさんはそう言うと、タクシーを停め、乗りこんだ。
 自動ドアが閉まる寸前にマリコさんは言った。「あの子につきまとってる男は、あたしみたいにトロくないわよ」
 マサと年配の刑事が追いついたときには、タクシーは走り去ったあとだった。
 こういうのを立ち往生というのか。

「あいつにはアリバイがあるからなぁ」
 年配の刑事がぶつくさ言った。
「元の木阿弥やな」
「知ってるんですか、マリコさんを?」
「女子高生が殺された、どの日にも店にいてたんや」
「仲間うちの言うことなんでしょ?」
「3人目のときは、わしらが張り込んでたからな。どうしようもない」
「ケサマルはどうなんです?」
 けっして言ってはならない名前を、おれは口走った。
「あいつも店で働いていた。複数の客から証言をとったから確実や。おまえらも行ったから知ってるやろけど、小汚い店やけど、びっくりするような客が、常連さんなんや。まあ、犯罪やないから取り締まりはできん」
「おれらがマリコさんの店に行った日も、あとをつけてたんですか?」
「警部、こんな子供に話すことやないです」
 若い刑事が止めようとしたが、
「おいマサ、オヤジにようよう言うとけ。手出しすんなてな」
「わかってますって。ただね、南川先輩が難儀してるんを見過ごせんのですワ。こう見えて、男気がありますよってに」
「おまえはヤクザになるなよ。オヤジが言うとったぞ。おまえには公務員になってもらいたいて――まさか警官になろうと思てないやろな。オヤジにワッパをかけんならんぞ」
「オヤジは、まじめに働いてる一般市民ですよ。よう知ってはるやないスか」
 年配の刑事とマサとは旧知の間柄に見えた。
 帰る道すがら、おれなりに、推理した。その結果、じっとしていることが身のためだとわかったが、おれはジュンの本心がどうしても知りたかった。これは賭けのようなものだと思った。

 体育科のロッカールームの鍵は個々人が所持しているが、鍵を落としたり、火事などの異常事態にそなえて、管理人室にマスターキーが保管されている。
 おれは雑な性格なので、鍵を3度、なくした。1度目と2度目は、マスターキーで開けてもらったが、3度目は、迷惑をかけないようにマスターキーの合鍵をあらかじめつくっておいた。2度目のときに、管理人がよそ見している隙に、マスターキーの型をとっておいたのだ。
 タニシにバレたら、退学になるかもしれない。いや、いまからヤルことが発覚すれば、軽い処分ではすまないだろう。

 ジュンに黒いスカーフを返せば、ジュンは犯人のロッカーにもどすと予想していた。
 おれとジュンをのぞいた39人ぶんのロッカーを開けて、中を調べるのは、時間がかかる。
 犯人となる人間が求めるものは何か、そして、それを行なえるヤツはだれか?

 ケサマルを除外すれば、該当する人間は1人しかいない。

 真夜中、マリコさんを真似て、目だし帽をかぶり、黒ずくめの格好で学校に忍びこんだ。

 目星をつけた相手のロッカーの中に、黒いスカーフはあった。

 翌朝、黒いスカーフを手首に巻いて、グランドにいる彼に声をかけた。

「なんでなんだよ。見当はつくけど、おまえの口から聞いたほうがいいと思ってサ」
「どうして標準語なんだ。らしくないよ」
「そのほうが、おまえが話しやすいと思ったんだ」
 保田は小さく首をふると、
「自分でもよくわからん。ジュンに付きまとう女子がウザかったんだ」
「それだけじゃないだろ。もっと他に理由があるはずだ」
「そんなもん、ない」

 ケサマルがめずらしく笑顔でスタメンの連中と一緒にサッカーに興じている。せめて、このとき異変に気づくべきだったと後にして思う。ついさっき、マサを怖れてけっして近づかなかったビタミンが、マサに深々と頭を下げていたのだ。ぶつかりでもしたのかと,血の巡りの悪いおれは思った。

 問いつめる気はなかった。心のどこかで、終わったことだと思っていたからだ。
「ケサマルの話を聞いて、ひとつだけ、わかったことがあったんや」
 保田の顔が歪んだ。

 タニシがグランドの端っこから、「おまえら、まじめに練習せぇ!」と大声で怒鳴った。
 おれはタニシにむかって、手をあげた。

 2人で並んで走った。
 長距離では、保田にかなわない。
「おまえが、ジュンを脅す理由があるとすれば、1つしか考えられん。ジュンの父親が、ケサマルの店の客やったんか?」
 保田の足が止まった。
「やっぱりな」
 おれは保田の背中を押し、走りつづけるよう促した。
「なんで、女の子らはそれを知ったんや」
「知ったんのは、そのことやない」と並走する保田は言った。「ジュンが三輪やおれらにええようにされてることを、知ったからや。ジュンはそのことを、母親とおまえに知られたくなかった……」
 殴り倒したい気持ちを懸命に抑えた。
「おまえは自分の意志で、女子高生を3人も殺したんか? ちがうやろ? ジュンを守りたいと思うから命令にしたごうたはずや」
「おれは、つかまらん。ゼッタイな。それが、三輪の出した条件やった」
「おまえさっき、おれらって言うたよな」
「ああ……」保田は眉間を寄せた。
「三輪とおまえの他にだれがいてるねん?」
「特進科の金持ちのボンボンらや」

 おれは大きく息を吸った。「――で、マサの役目はなんや」
「三輪がジュンに飽きた頃に、マサのオヤジの経営する店の客に、ジュンを世話する段取りになってる。ケサマルについてるヤクザが邪魔しようと企んでるけどいまさら、どうにもならん」
「三輪はジュンに飽きがきてるんか? 留学の話もそれで立ち消えになったンか」
 保田はしぶしぶうなずいた。
「もう、ジュンはおれやおまえの手のとどかん存在になってしもたんや」
「もう1個だけ、教えてくれ。サキのお腹の子はだれが父親なんや」
 保田が答えないので、「マサか?」と訊き、「おれに殴られたことへの報復か?」と重ねてたずねた。
「ナンチャンが守ってたもんは、いまではマボロシや。ジュンはもうそこらの売春婦とかわらん。マサほどおそろしい男はおらん。ヤられっぱなしですますヤツやない」
「ジュンは、マサに言われて、おまえのロッカーに黒いスカーフをいれたんか?」
 保田は走りながら涙をぬぐった。
「ジュンは……ジュンは……おれを裏切った。おまえもな……」

 5限目がはじまる直前、おれは冗談を言いながら、椅子に座っているマサの後ろに立ち、首の付け根をナイフで刺した。クラスのみなが、見ている目の前で、なんども――。
 いつも持ち歩いている飛び出しナイフが役に立った。
 みなが浮き足立っている中で、ケサマル1人、片頬で笑った。
 血しぶきが、教室の天井まで達した。
 まるで血のシャワーだった。
 頭から血を浴びながら笑いが止まらなかった。

 精神障害の診断がおりて、その種の少年院に入所させられた。
 事件後、ジュンがどうなったのか、知らない。おれの家族がどんな目にあっているのかも……。

 風の便りに、保田が行方知れずになったと耳にした。

       完


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