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【エッセィ】蛙鳴雀躁 No.33

 脳腫瘍の手術を受けた60代の友人から携帯に連絡がきた。6月に入院し、手術をしたはずなのに、本人は、1月から入院しているという。医師に同行して各地の病院を転々としているとも。そして、「顔の下に新しい脳ができた」と言ったあと、突然、電話は切れた。

 彼女が30代の頃に知り合い、私の教える場所にずっとついてきた。本人はほとんど書かないのに、三ノ宮の教室にも大学のゼミにも入り、文集をつくるときは、ほぼ1人でやってくれた。もうトシなので教室を閉じ、やめると言ったとき、毎月、勤労会館に並んで申し込み、教室を確保してくれた。
やめたいのに、やめられない状況を彼女はつくった。それが1年あまりつづき、申し訳なくて、自宅で勉強会をやることにした。

 追い詰められた気分だった。

 子供の頃、孤独だった私は文章を書くようになり、美しい人と知り合う機会が多くなった。彼女もその中の1人だった。
 化粧気はないのに、目鼻立ちが整っていて、どこにいても目立った。台湾籍の父親と日本人の母親の間に生まれたことが起因したのか、不正や差別の問題に敏感だったが、保守的な私と口論になることは一度もなかった。

 若い頃の私は鉄面皮というか、非常識そのもので酔っていようといまいと言いたい放題、暴言の数々で人様に迷惑をかけることも度々あったが、泥酔した私を介抱してくれるのは彼女だった。そのことで一度だけ、叱られたことがあったが、私が押し黙ると、それ以後、何も言わなくなった。気づかってくれていたのだと、いまさらながら思う。

 結婚はしているが、子供はいない。一見、気楽そうに見えるが、震災で夫の勤める会社が倒産し、金銭的な苦労が多かった。アルバイトをいくつも掛け持ちしながら両親の介護をし、七宝焼やイラストをつづけていた。
 拙宅での勉強会もほぼ欠かさず来ていた。
 予兆は4ヵ月前からあった。
 紅茶を、娘たちのために買ってきたという。中に手紙が入っていて、頼まれた銘柄がないのでごめんなさいと綴ってある。
 頼んだ覚えがないのに、どうしたのかと、そのとき、思った。ナニかがおかしいと。おしゃれだったのに、身につけているものが、いつも同じような感じになっていた。手荷物はどんどん増えていく。
 三ノ宮から拙宅まで歩いてくるのに、足が思うように進まないと嘆く。曜日がわからないとも言った。それなら、私も同じだと言うと、溜息をつき、若年性アルツハイマーかもしれないとつぶやいた。その場にいるみなで、思い過しだと言い合った。

 その後、しばらくして電話をかけると、彼女は一方的に自分の病状について話し、私の話すことになんの返事もしない。1年に4度、自費出版会社の冊子に、私が記事を書き、彼女がイラストを描いていた。その話をしようとしても、彼女は何も聞こうとしないばかりか、電話のそばにいるらしい夫に「このヒト、だれ?」と私のことを訊いたのだ。

 愕然とした。私より若い彼女が曜日も、人の名も忘れるのかと。

 アルツハイマー病ではなく、脳腫瘍で入院したと、わかったとき、よろこぶべきなのかどうか戸惑った。再手術後に入院先の病室から彼女は電話をかけてきた。そのとき、私の名をちゃんと言い、私にだけは報せておきたかったと言った。
「顔の下の新しい脳」は脳細胞を一新し、彼女を目覚めさせてくれると信じている。面会謝絶の状態に変わりはないが。


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