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世界の片隅の偶像物語

【序章】

ひとりのアイドルが亡くなった。殺人事件だ。
SNSで彼女、『すくい』の死に顔の写真は世界各国で話題となった。
彼女のカラーであった白い布と白い大量の花に囲まれたその遺体は微笑んでいるように穏やかなものだった。
前代未聞の殺人事件『アイドルすくい殺人事件』は1年経った今も尚、人々の心に残っている。
私もその1人だ。何故なら生前彼女のファンだったから。

記者を初めて何年も経ち、フリーになった頃、駆け出しだった彼女に出会った。
すくいは地下アイドルとして活動し始めて1年。
新宿のライブ会場の前を通った時、アイドルとは思えない旋律が聴こえてきたのが始まりだ。
まるで讃美歌のようなバラードに惹かれ、誰でも入れる無料ライブに参加した。

生来私は芸能関係のスクープも追っていたため、そういったものに拒否感さえ持っていたが、彼女のあまりにも過剰なくらいのファンサに興味を惹かれた。
ひとりひとり、歌の途中でも、目を合わせていく。手を差し伸べ、微笑み、まるで天使のような衣装を着て。

それ以来時間があると彼女のライブに行くようになった。
よくある握手やチェキの時も彼女はあまりにも無防備に手を握りそっと抱き締めた。
運営はあまりよく思っていなかったようだが、彼女はそれを貫き通した。

7年。それは彼女がアイドル『すくい』として活動した期間。ファンはどんどん増えたがテレビには出たがらなかった。記者なのでそういった話は聞こえてくるし、ファンの間でもそれは有名だった。
ファンのことをすくいは、「わたしの大切なひとたち」と呼びかけた。
すくいのファンたちは他のアイドルオタク達からは天使の使徒と呼ばれていた。

いつもMCの始まり方は決まっている。
「わたしの大切なひとたち、今日も生きていてくれてありがとう!」

何度も何度もすくいはファンと交流するたびに「生きているだけでいいの」と繰り返し言っていた。
そんな君が死んでしまうなんて。きっとみんながそう思っているだろう。

アイドルすくい、本名は今宮 翠(いまみや みどり)。
所属事務所があるもののソロアイドルで作詞作曲を自身で行い、MVもセルフプロデュースしていた有名なアイドルだ。
白を基調とした衣装に黒いストレートの髪、特徴的な大きな瞳、少し低い身長に童顔、それに似つかわしくない深みのある大人びた声が人気だった。

彼女は元マネージャー女性に監禁されたのち、7日後に亡くなった。
異例なのは彼女が死ぬ間際に残した1本のビデオレターによって、一部を除いて犯人のバッシングがほとんど起こらなかった事だ。

犯人は彼女の高校の同級生であり『さゆちゃん』の愛称で知られた元マネージャー木野 小百合。木野は幼い頃、児童養護施設の前に捨てられ以後身寄りはない。高校から大学卒業まで彼女と木野 小百合は同じ学校で学び仲が良かったという。
彼女は小学生からエスカレーター式に、木野は特待生として高校からその女子校に通っていた。
高校を卒業しアイドルを始めた際には彼女の強い要望により木野がマネージャーとなり事件の直前まで勤め上げた。
木野がマネージャーを辞める前、木野と彼女が口論をしている様子が運営スタッフに目撃されその後すぐ木野は辞表を提出した。

逮捕後殆ど黙秘をしているため殺害理由は分かっていないが、世間は木野の一方的な強い恋愛感情ではないかと言われている。
殺害方法は自動車の排気ガスによる一酸化炭素中毒死である。事前に睡眠薬を飲まされていた。
監禁は木野が今宮 翠が所有していた東京の人里離れた場所にある物件の出入り口を全て自らの手で改造し開閉は木野以外出来ないようにし行われた。
殺害方法や監禁の手立ては話すものの、殺害理由については一貫して黙秘をしている。
記者の、そしてファンの端くれとしてこの一年間、私は縋る思いで何度も木野との面会を試みた。

そして、明日…初めて木野と面会する事となった。


【1日目】

職業柄、何度もこういった面会には通った事があるはずなのに私は妙に緊張していた。
何を聞こうか?眠れず夜通し考えたものの決まりきらずに来てしまった。

すっとドアが空き、木野が入ってきた。
「こんにちは。お久しぶりですね」
落ち着いた声だ。見慣れた元マネージャーさゆちゃんがそこに居た。
「さゆちゃん…」
つい、そう呼んでしまった。
木野は逮捕前、黒い髪にシンプルな服装、いつも化粧っ気はなく、目立たないが目鼻立ちの整った顔立ちだった。
少し伸びた髪以外はほぼ変わらないままだ。
「その呼び方、懐かしい」
屈託なく笑う。まだたった25歳だ。私と二回りも違う女性なのに目の前にいるのは殺人を犯した犯罪者なのだ。軽く眩暈がした。
「寝不足ですか?ちゃんと眠ってくださいね」
まるで彼女のようなことを言う。
「さゆちゃん…なんで殺したんだ。仲が、良かったじゃないか。殺さなくてもきっとすくいとは話し合えたはずだよ…」
木野はその言葉に少しの間沈黙した。私には永遠にも感じたが、それは一瞬だったのだろう。

「私、翠とはそういう関係じゃなかったんですよ。一度も。恋なんてものじゃなかった。ただ…翠をもう解放してあげたかったんです」
これは、と思った。初めて殺人理由を聞けるんじゃないか、と私の記者としての欲求とファンとしての切実な思いが絡まり合う。身を乗り出すように、小さく、じゃあどうして、と呟いた。
木野はどこか私の先の先、遥か遠くを見つめて囁いた。
「翠は…とても頭が良かった。所謂、天才です。だからこそ可哀想だった…」

翠は目立っていて少し浮いた存在でした。生徒会長を務め、勉強もトップクラスでした。運動難なくこなしていました。でも出会ったばかりの頃これといって仲の良い子はいないみたいでした。
優しく、喧嘩があれば仲裁し、時間があれば勉強を教え、いつも人を助けていました。
学校には運転手付きの車が迎えに来ていましたが習い事ばかりで忙しそうでした。

私と翠が出会ったのは学校の中庭でした。私は特待生という立場で学費を免除されていたので、成績を落とさないために昼休みも勉強していました。そこに翠がやって来たのです。
翠は気軽く私の名前を呼びました。木野さん、いつも頑張ってるね、と。
私は驚きました。同じクラスとはいえ名前を知られているとは思いませんでした。私も友達がいなかったので。

それから翠と昼休みに話すようになりました。木野さんと話してみたかったの、と翠は言いました。
ある日気付いたのですが翠は古傷がたくさんありました。たまたまめくれたスカートで隠れた太ももに大きな火傷が見えたからです。
ほら、あの子アイドルの時もあんまり露出しなかったでしょ。お腹にも火傷があるの、と言いました。

彼女は実の両親に虐待を受けていたのです。どちらの親かは最後まで教えてくれませんでした。
翠は両親は裕福ではあるが政略結婚で結婚したから不仲でそれぞれに愛する人がいること、上の兄が優秀なこと、どちらかの親の愛する人の存在を幼い頃の翠が口にしてしまったため火傷をするような虐待を受けたこと…そんな話をしてくれました。
今も、気分次第で食事を抜かれたり鍵付きの部屋に閉じ込められたり殴られているようでした。

こんな話初めてした、と無邪気に笑いました。
私は翠に翠の両親のことが許せないよ、と言いましたが、翠はわたしは全然気にしてないの、と朗らかでした。

不思議がる私に、あのひとたちは可哀想なの、愛するひとと引き裂かれたし自由はなかっただろうし、同じように厳しくされてきたのかもしれないから、とにこやかに言いました。
そしてすぐ、でもね私学校を卒業してやりたいことがあるから絶対家を出て行ってあげないの!と悪戯っぽく笑いました。
彼女の世間のイメージって、天使のようで儚そうで優しそう、でしょうけど強かな所もあったんですよ。
アイドルになるために作曲も極めたいし学費払えないから、って。

そんな彼女に私は…惹かれました。この子が輝くように、私が影になろう。
何もない私に夢を見せてくれたんです。

木野は至って落ち着いた様子で語った。
すくい、いや、今宮 翠の輪郭が少しずつ彼女のおかげで見えてくる。天使の心の中を覗くようで少しぞくっとした。
しかし、そこで木野は席を立った。
「続きは、また。」

【2日目】

次の面会の時、私はアイドルすくいのファンTシャツを着て行った。
木野は少し驚いた顔をしたが、すぐ屈託なく笑った。
「懐かしい。翠はそのTシャツのデザインに3日も悩んだんですよ。おかしいでしょう。歌詞はあんなにすぐリリースするのにね。ファンの人が着る服だからって」
ファンへの愛。それはアイドルすくいの事を語る上では避けて通れないものだ。
彼女は…ファンを心から愛していたがそれは異常なまでの愛だった。

「さて…と。今日は、アイドルになった翠の話をしましょ」
木野はまるですくいのように微笑んだ。

翠は高校卒業後、すぐにアイドルになりました。成績は優秀でしたが、高校の間中すごく熱心にピアノで作曲を練習し、歌を作っては私に聴かせてくれました。
ご存知の通り、私が録音して事務所に送りました。多くの事務所がソロアイドルではなくグループで、といいましたが翠はのみませんでした。
私がマネージャーをすること、そしてソロアイドルで行うこと、セルフプロデュースであること。これが、翠が絶対条件にしたものです。
それでも翠の作詞作曲と類稀な美しい顔はどの事務所も欲しかったのでしょう。どこも条件をのむと。
所属していた事務所は翠が選びました。中堅どころだな、と思ったのですが、翠はライブチケットの料金が安い所がいいのと笑っていました。
既に天使の使徒、ファンたちが知っている彼女はもう高校卒業前に完成していたんです。

翠はすぐに地下アイドルの中では目立った存在になりました。
でも私はその時期から既に不安でした。ご存知の通り彼女のファンサは行き過ぎていましたから。

事務所から公式に発表されていませんが、有名な話なのでご存知かと思います。彼女は病気になったファンの病院まで行き歌いました。
ファンの方は…残念ながら、亡くなりましたが。
彼がSNSに最期に投稿した言葉は翠を一気に地下アイドルの中でもトップにしました。

『すくいは、最後まで僕の天使だった。もうなにも怖くない。』
最後の天使、というフレーズはずっと彼女のキャッチフレーズでしたね。

そういえば、その時知り合ったのがAさんです。仮名にさせて下さい、ご遺族の方にご迷惑をかけてしまったら翠が悲しむでしょうから。
Aさんはご高齢の方でたまたま翠がその病院に通っている時に知り合ったようです。
翠の歌を聴いて声をかけてくれた、と翠は嬉しそうでした。
Aさんのために少ない休みや練習の合間を縫ってその後も翠は病院に通っていました。
…はい。そうです。翠を監禁したのはAさんから遺産として遺されたAさんの別荘でした。
Aさんはわざわざ翠のために内装を白一色に統一していました。彼女が心穏やかに過ごせる場所を、と。なので時折私も伴って滞在していました。

何故、そんな思い出のある所に監禁したかって?だって翠の自宅は…とてもじゃないけど人が住む場所じゃなかったから。

そうですね、私しか知らないと思いますが彼女の自宅はあまりにも狭かったし、薄暗くて、安いアパートでした。
頼み込んで2階を選ばせましたけど。殆ど寝に帰るだけの場所でした。
冷蔵庫にはいつもお水とファンからの頂き物だけでしたよ。食事は私が作ってお弁当を渡していました。
彼女はファンが知るよりずっと…ストイックでした。私が何度も止めるくらいに。
彼女はもう身体中ボロボロになってて。見ていて痛々しいくらいに。
でも彼女は凄く楽しそうでした。ずっと。

木野の話は、私を暗く重い気持ちにさせた。私たちファンが彼女の死を作ったのではないか?
木野はもしかしてボロボロの彼女を止めようとして殺してしまったのではないか。私はそれから次の面会の日まで、記事も書けずに眠れない日々が続いた。

【3日目】

重たい足を引きずって木野との面会に向かう。
SNSでは1年も経っているのに時折アイドルすくいの言葉が引用されている。

『わたしは誰も憎んではいません。わたしは傷付いていません。皆さんが、誰かを憎むことも望んではいません。わたしは幸せでした。皆さんを愛しているからです。わたしの愛はすべてのひとに捧げます。どうか誰も憎まないで傷付けないでください。隣のひとも、貴方も、全てのひとがわたしの愛するひとだから。天使の使徒、ファンの皆さんは、どうか人を愛してね。その度にきっとわたしはそこに生きているから』

最期のビデオメッセージ。アイドルすくいが、ステージ衣装で遺したものだ。このメッセージは各国で翻訳され国外のファンにも広がった。
例え争いがなくならなくても、少なくともこの事件の誹謗中傷は誰にも向かなかった。
ただ皆、深い悲しみとすくいの深い愛に触れた。
しかしアイドルすくいではなく、今宮 翠は幸せだったのだろうか…。

木野は相変わらず無邪気に私を迎えた。
「ごめんなさい、この前の話、ちょっと辛かったですよね…」
殺人なんて出来なさそうなただの女の子みたいに。やるせない。
「なんでだよ…!さゆちゃん、すくいのこと、なんで…!」
私は記者としては二流だ。それでもこれまで取材対象に声を荒げてしまうことなんてなかったのに。寝不足のせいなんだろうか。それともあまりにすくいの存在が大きいのか。

「…はい。全部話そうと、思ってます。私。貴方がファンのひとだからこそ」

その言葉にはっとして椅子に座り直す。
「すまない…続きを教えて欲しい」
木野は小さく頷いた。

翠は本当に幸せだったんだと思います。アイドルであることが。お金も全部寄付していました。私服も撮影用以外ではありません。
たまに、私が連れ出す以外、外食や遊ぶ事もしませんでした。
それでも翠は無理をしているような感じではなかったんです。天才だったんだと思います…。
彼女はライブの前によく言っていました。
救える人は少ないかもしれないけれど、わたしはわたしの手の届くひとみんな、救いたいって。

まあ、分かりきっているんですけど、すくい、は救いからです。翠をすい、と読むことも理由ではありますが。

本気でアイドルとしてみんなを救いたがっていたんです。
あの事件、覚えていますか。
アンチが翠のSNSにずっと粘着していた事件。殺害予告まで届きましたが、翠は…。事務所が警察に言うと言っても全く聞きませんでした。
それどころかライブも決行しました。
ほんと、頑固なんです。笑っちゃうでしょ。
もう事務所と揉めて揉めて…。私なんか板挟みですよ。
でも結果的にアンチはいなくなったんですよね。
すくいが送ったメッセージで。
『離れていっても愛してるから!』
って、ライブ会場の外に聞こえるくらい叫んで、それを動画で撮っていたファンの人が拡散して。
元々ファンだったけど有名になった翠をよく思ってなかった人の行動だったみたいです。
私は翠って、すごいなって思いました。
人の心をよく分かってるんだなって。
でも、か弱くなんかぜんっぜんないでしょ?
すごい芯が強くて、やんわり事務所の圧なんかスルーですよ。そんな子だったんです!


【4日目】

今日は…そうですね。彼女の弱さについて話します。彼女には前に言った通りお兄さんがいました。ご両親とは疎遠でしたがお兄さんとは仲良しでした。

ある日ご両親が事務所に来た事がありました。彼女は成人してすぐ戸籍を抜いて絶縁をしていましたが…関係ないんでしょうね。
有名になりすぎた翠の親ということで迷惑しているからアイドルを辞めないとお兄さんの学費を打ち切ると。お兄さんはその頃たしか院生だったはずです。
翠が泣いているのを見たのはその時初めてでした。ご両親が帰って、階段の踊り場で声を立てずに涙を拭わずに泣いていたのを私は上の階から見ていました。
…きっと、涙を拭いたら目が腫れてしまうから。アイドルだから。

でも翠の方が上手でしたね。すぐにお兄さんに送金をして学費以上のお金を。
ただ、しばらくプライベートでは少し沈んでいました。いつも笑っているのに、笑ってないみたいな。
結局、いつのまにかご両親は来なくなりました。翠の親というのを利用する方が利益があるくらい翠がアイドルとして有名になったからです…。

私は翠になんて声をかけていいか、分かりませんでした。だって私は…家族がいたことがないので。家族がいるからこその苦しみに、何も言えない自分にすごく…腹が立ちました。

【5日目】

木野の元に通い始めて5回目。
木野から急に告げられた。
「次で最後にしましょう。動機の全てをお話するので」

5日目の話は、とても優しいものだった。
今宮 翠が何を好きだったか。苦手だったか。

実はほうれん草が苦手で、克服のためによくリクエストをしてきたけど悪戦苦闘していたとか。それを隠しているつもりで隠せていなかったとか。
犬や猫が大好きでSNSでたまに写真を眺めていたとか。
好きなアイスクリームは抹茶で意外と渋いとか。
写メが苦手で練習していたとか。
木野と共によく行ったのは公園で、ジャングルジムが大好きで。
行ったことがないというから遊園地や水族館に行ったこと。
結局アイドルはお酒もタバコもしないと言って飲んだ事も吸った事もなかったとか。

本当に2人ともただの女の子だ。
まだ、若い。しかし異常なほどプライベートのない2人だ。ずっと2人でいたみたいなそんな話だった。それが歪んだ愛に繋がったのだろうか?

「さゆちゃん…きみは、すくいを好きだったかい?」

木野は屈託なく声をあげて笑った。
「好きじゃなかったらこんなについていってませんよ!」

まるで現実味のない日だった。

【6日目】

最後と言われた日だ。心臓の高鳴りを無視して、面会室に入る。
木野は…黒髪が伸びて幼くなったように見えた。相変わらず質素だが、今日は白のTシャツだった。それがまるですくいのファンのようで少し眩暈を覚える。

「さあ…話しましょ」
やはり木野は少女のように無邪気に笑った。

覚えていますか?あの、アイドルすくいの一番大きな事件を。
…そうです。アイドルすくいが刺された日の…。
彼女のファンでは珍しいんですけど、あの過剰なファンサに所謂ガチ恋する人もいるんです。すくいを刺したのはそういった人でした。でも、翠は彼に刺された時、そのまま抱き締めたんです。そして、抱き締めて…頭を撫でました。
幸いすぐに救急車も警察も来て、犯人は取り押さえられ、すくいの怪我も深いものじゃなかった。けど…もうダメだと…翠はあまりにも優し過ぎて。いつか死んでしまうと…。
結局翠は、犯人の罪を軽減して欲しいという嘆願書まで出しました。あの子は自分より他者が大切なんです。ずっと。

それから1年ほど私たちは話し合いを続けていました。というか、どちらかというと私が一方的に説得していただけなんですけど。
ファンサをもう少し控えて欲しい。ファンとの距離を考えて欲しいって。
でも、翠は聞き入れてくれませんでした。私の声でさえ。
死んでほしくない!って言っても、それで死ねるなら本望ね、なんて笑って。
毎日私は不安で泣いていました。翠が、死んでしまうと。

そして…そうです、週刊誌なんかで報道されてる通り、私が辞める直前、私と翠は初めて声を荒げて口論しました。
二度目の殺害予告が届いたんです。
これは私と翠しか知りません。だって、翠の家に送られてきたんですから…。
翠の家は、マネージャーと事務所の社長しか本当は知らないはずなんです…。
私は翠に言いました。このことを、公表して次のライブはもう出ないでと。
翠は初めて私に怒りました。

「ファンの前から逃げたらアイドルじゃなくなっちゃうでしょう?」

そこからは、皆さんが知っての通りです。
私は辞表を叩きつけ、マネージャーも事務所も辞めました。

そして…翠を監禁する準備を始めました。
監禁してでも、死なせないために。

翠は私があの別荘で話がしたいと言ったら来てくれました。遠いのに歩いて来たみたいで…そんなところまでアイドルですよね…。
誰も足取りが掴めなかったのはそのせいです。

そして、あっさり私に監禁されました。

でも翠は日々衰弱していきました。
枯れてしまう花のように…。
笑っているのに…全く笑っていない。
もう私は彼女を救うことはできない、と感じ始めました。

知らない人に殺されてしまうならば。彼女をアイドルとして、私が伝説にしよう、と。マネージャーの最後の仕事だと、私は思いました。

「小百合、分かってるわ。私あなたのこと大好きだもの」
翠はそのとき大輪の薔薇のように微笑みました。

翠は全部分かっていて全く抵抗しませんでした。
ただ、ステージ衣装を着て動画を最期に撮って欲しいこと。それだけが彼女の願いでした。
撮っている間は見ないで欲しいと言われたので、あの動画を見たのは翠を殺してからです…。
SNSの予約投稿をしていたみたいでした。

そのあとは、睡眠薬を…自ら飲んで。
記事の通りです。

最期まで翠は私を…私を大切にしてくれていました。私の愛とはきっと違ったけど、愛してくれていたと思います。
その動画を見て、私は捕まる前に彼女をベッドに横たわらせ、ありったけの庭の白い花を飾りその写真をSNSにあげました。彼女は本物の、天使になったと。

これが、事件の全てです。

アイドルすくい、の物語はこれで終わりです。

【エピローグ】

前代未聞のこの殺人事件は、本人が協力している痕跡があることで自殺幇助になるか否かで今揺れている。
木野 小百合の告白を私は記事にした。全てを。
それはアイドルすくいの作詞と合わせ書籍になり、ベストセラーとなった。

アイドルすくいのアイドルすくいの生きた証は今も残っている。
SNSや社会は相変わらずだが、少しだけ世界は変わった。1人の少女の殉教によって。

それは争いがあると必ず、彼女の言葉を引用する人がいることだ。今この瞬間も。

私たちはアイドルすくいが居なくなっても日々、彼女の光に触れているのだ。




【?終章?7日目】

翠は天才だった。
私は凡才だった。
だから、私は翠の話の一部しかわからない。
けれども私は翠の物語を抱えて生きていく。

翠はいつ決めたのだろう。
一度目の殺人予告か。
それとも…ファンの死からか。
私が知る限り、翠はずっと願っていた。

『少しでも世界を変えたい』

彼女がどうしてそう思ったのかは今となってはもうわからない。
優しい世界はそうそうつくれないことは、聡い彼女ならとっくに分かっていたんだろう。

翠はアイドルとして伝説にして欲しいと私に願った。そして私はマネージャーとして、影として、彼女を光り輝かせるために必要なことをした。
享年25歳。
アイドルとしての寿命ならそこまで早くもない。

きっと翠は分かっていたんだろう。
私がこの真実をけして外に漏らさないと。
翠のことを愛している私が翠が目指したものを穢すことはないと。

そして、この2人だけの秘密を糧に、愛する人を失っても私が決して死ぬことはないと。

結果的に翠は私のことも幸せにしてしまったのだ。

もしかしたら…、そう、私という身寄りのない目標もない人間に声をかけたとき。
その時点で翠は決めていたのかもしれない。
或いは…遥か遠く幼い頃からなのか。
彼女は一体、いつからこの物語を描いていたのか…それはもう私には計り知れないことだ。

これから私は翠の少しだけ変えた世界を観測していく。
翠がいた軌跡を刻み続け、愛を体現した彼女の幻影を追い続けようと思う。

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