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2023年のはじめに見つけた_わたしにとっての幸せの定義



新年
明けましておめでとうございます

画家のコビトフカミです

母が作ってくれた干し芋と
持たせてくれた蜜柑を食べながら
今自宅です

手作り干し芋は
何度もひっくり返して三日くらい
かかるそうです。美味しい。

☺︎

年末年始は3年ぶりに
娘と姉と実家で過ごしました。


2023年のはじまりは
わたしにとって何が幸せかわかったような始まりでした。



忘れないように
記しておこうと思います


私は母の手伝いをしようと
動くタイプ
お正月の過ごし方や意味を
娘にも
何か継ぎたいのかも

姉は絶対動かない
手伝わない
ずっとこたつにビール
眼鏡して、凄い不細工で

え。コンタクトだと美人なのです。😹

凄いオフですオーラが輝いていて
ずっと、動かないのに、布団が固いとか
どうとか
蜜柑がどうとか、ポテチが食べたいとか
アイスが食べたいとか

ポテチ買ってきてあげた。😆

ある人からみたらえ?って思うようなところも
私はとっても癒されて感動すら覚えました。

怒られちゃうかな?

ラブレターなんだけど

その人が
その人らしく
無理せずに
いてくれるだけで
幸せなんだと
バラバラな家族のなかで
感じたのでした。

豪華な食事がなくても

新年を家族で迎えられて
一緒にご飯を食べたい人と
いられるだけで幸せ

母がわたしたちを思い料理を用意してくれたこと
誰かを思うところから始まるお料理
笑いあえる幸せ

人に期待したりせずに
無理せずに
自分の幸せを味わうところから
循環する
フリーエネルギー

がんばらないというのが
とっても優しいなって

父はずっと父の世界
母はずっと母の世界
娘も姉も私も

幸せって共有するものではなく
個人でいるとき感じるもの
不幸もそうかもしれない


感じた幸せは
不思議と伝わる

その人はその人のままで生きている

わたしは2022年大きな決断をしたのだけど
より自然な方へ流れていくのだと
思います

自然なわたしを愛して
愛されるように


何が自分にとっての幸せか
定義できたはじまりでした

素の自分なんて
気づけば忘れてしまうものかもしれない

母親や妻や家族や仕事や娘
アーティストコビトフカミの顔のなかで

素の自分がどれだけいるか
いくつもペルソナを持ち
どれも素で
どれも素じゃないのかもしれない

心が満たされているとき
すべての顔が繋がっているようにも
感じます

安心してないと仮面はとれないですから

姉を見てとってもいいなって
思ったのでした。

自分が何も無理していない状態から
見つめてみる幸せは
生温かい海にくるぶしまで浸かっているようで
心地いい

なんとなく
その状態から
今年は歩みます

頑張ることは誰でもできる

昔ある人から聞いたこと


2023年もゆるゆると綴っていきます



何かきっかけや気づきの分かち合いになれば
幸いです

佳き新春をお過ごしください

コビトフカミ





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