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読書記録 「ライ麦畑でつかまえて」

インチキ。インチキ野郎。
作中で主人公のホールデンがよく呟いている言葉だ。ここでいうインチキとは何か。大人の世界のことだと私は考える。心にも思っていないくせに形式的で儀礼的な優しい言葉で溢れている世の中のことを彼は指しているんだと思う。
 青春小説の古典ときたら、堅苦しく難しい小説に違いないと思っていたが、ホールデンが2ページに1回のペースで事件を引き寄せてくれるので、スラスラとページをめくることができた。通っていた学校であるペンシーを辞めることから、同じ寮生のストラドレイダーに喧嘩を吹っ掛けたり、列車の隣席のマダム(しかも彼女は同級生の母親)をナンパしたり、ホテルに売春婦を呼んだり、勢いに任せて女の子を駆け落ちに誘ったり、やりきれなくなると泣き出したり、彼の心と身体はとてつもなく不安定で、酒とタバコを片手に休まずニューヨークの街を駆け抜けていく。
 相思相愛で最愛の妹フィービーには、兄さんは何もかも嫌いなんだと指摘され、彼の混沌の唯一の理解者ともいえる大人、アントリー二先生からは、堕落の淵にいると言われる。ホールデンはこれらの指摘に対して、そういうことでもあり、そういうことでもないと言葉を連ねる。

 かつて私は働き始めて2~3年目くらいまでは、ホールデンの持つインチキ野郎という感性をなかなか強く持っていたと思う。形式的なこと(例えば、偉い人には礼儀を尽くしたり、お辞儀の角度や、お客様に出すお茶の濃さなど)は、生きる上で真から大事なことではないと捉えていたもした。形式的なことを重要視する会社の総務にいたこともあり、私の態度や仕事の仕方で随分と周りの上司達を怒らせてもいた。今思い返すとだたのモンスター社員である。トホホ・・・・。この世の中で生きるためには、インチキにならなければいけないということに絶望した時期もあったけれど、無事、堕落せずに(今のところは)OL生活を過ごせており、心からではない言葉が何故必要なのか分かってきたし、そういったことに呑まれずに面白がる感性も自分の中に生まれてきたと思う。ひと昔前の自分の痛さに今も心の中で悲鳴を上げることはあるけれど、「ライ麦畑でつかまえて」を読むと、そんな時期も無駄ではなかったと思えた。恐らく誰にでもあるあの時期をこんな豊かな言葉でユーモラスに孤独な心情を描き出したサリンジャーに感服である。だから読書はやめられない。

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