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子どもたちの変化を考える その9

2020~2021年にかけてのコロナ禍前期において子どもたちの様子はそれほど変わらなかった。2020年の中3世代はむしろコロナ禍の前の時期に手を焼いた学年だった。話題は彼らが中学に入学する頃に遡る。スマートフォンを生徒の半数くらいが持っていた。4月の半ば頃だった。マナーモードにするのを忘れた生徒のスマホが常に鳴り続けている。

「音が鳴らない様にするのは当然だけど、そもそも何でずっと鳴っているんだい?」
「グループLINEですよ」
「えっ?」
「小学校の卒業後くらいにできたグループです。○○中1年グループ」
「あっという間に通知が999+になります」
画面を見せてもらうと驚くはやさでメッセージやスタンプが並んでいく。文章の平均文字数は10文字にも満たない。一度計ってみると10分弱で999+の数字になった。
「これが楽しいの?」
「楽しいか楽しくないかっていえば楽しいです。親は嫌がっていますけど、後は10日前くらいと比べると発信する人が固定されてきた気がします」
更に詳しく聞くとこの通知は夜中の2時3時までひっきりなしに続くらしい。そしてその様子を羨むスマホを持っていない子が、親に頼んで持ち始めているとのことだった。

結果としてこのLINEグループの盛況は1学期が終わるくらいまで続いた。多くのメンバーが飽きたことと、一部の生徒があまりに過激な発言や画像を載せるようになったこと、そしてこの問題が学校や親に広く周知されたことで収まっていった。このLINEグループの影響か真偽不明の噂がよく話題になった。後は塾生ではない同級生の話題が頻繁に出た。中1生の他愛のない行動を一瞬で多くの同級生が知ることとなり、その噂が離れた場所で語られる様子を恐ろしいと感じた。

こういう環境下であった為か分からないが、この世代は初めて「男女交際や恋愛の話を一切聞かない世代」だった。中学を卒業するまでそれは続いた。高2の冬に一人の男子生徒から「学校に好きな人がいます」と相談されたのが初めてだった。2005年~19年までの15の世代は必ず中学生期に恋愛の相談をされた。寧ろその話題しかなかったと言っても過言ではない学年もあった。その後22,23,24年の中3世代も同様にその話題を聞いていない。一過性のモノではなく明らかに中学生は恋愛をしなくなった。代替行為として推し活があるかもしれないが、それはまた別の機会とする。スマホのやり取りが盛んになりいつやり取りが他人に撮られたりスクショで拡散されたりするか分からない時代に恋愛云々は具合の悪い行為なのであろう。

次に「その7」でも触れた「一度も叱られたことのない生徒」が何人か在籍したのもこの時期だ。19年世代は女子に偏っていたが、20,21年世代は男子に多かった。正直「叱られたことがない」と言われて疑問に感じる生徒が多かった。忘れ物はするしだらしない所もある。時間にルーズな子もいた。ある一人の生徒が言った言葉が気になった。「この間、宿題を忘れただけで担任から『ふざけるな』って言われたんですよ。もうこれで僕よりも絶対あいつが悪いですよね。ただの暴言ですから。教育委員会に電話してやろうと思います。パパにもママにも叱られたことがないのに」ここまでのテンプレ言葉を恥ずかしげもなく言うことにビックリした。またこれを同級生が軽蔑しない。ただ流すか軽く同調するかである。私らの頃だったら「パパ、ママ」と皆の前で言っただけで中学3年間の人権が失われただろう。

結局この生徒と私は合わなかったのだ。「本当は僕は偏差値70の実力がある。だけど先生の指導が悪いから50にしかならないんだ」と言われて、さすがに親御さんと話し合った結果退塾となった。その後は地域で最大手塾に行ったらしいが結局偏差値45くらいの高校に進学したと聞いた。しかし彼が私服で会った時には「○○高校に通っています」と偏差値60の高校の名前を挙げた。またしばらくして高校の制服を着て自転車に乗っている生徒とすれ違ったが「マズい」という顔をして信じられないスピードで立ち去った。この子の事例は極端ではあるが、他の「叱られた経験が無い子」にも同じような傾向が感じられた。現在公示されている都知事選の炎上系候補者に似ている特性であろうか。「叱らない教育」はこの子たちとのやり取りから良くないものだと捉えている。

ネガティブなことを書いたが、総じて20年~22年世代は「言われたことはきちんとやる」「課題を出さない選択肢は無い」という誇るべき点もあった。私たちの頃はクラスの3分の1が中学の宿題を出さなかった。忘れていたとかではなくやらなかったのだ。「意味が無いから」「時間の無駄だから」「遊びたいから」といった調子で。これが10年代中盤の中学生からはどんどん消えていった。どれだけ不真面目な子でも「出さない生徒」はいない。クラスにほんの1,2人なので出さないと内申1のような状況だった。これは立派でもあるが私がよく言う「幼さ」とも通底する。小学校低学年の子たちは宿題をきちんとする。思春期の反抗期に入るまでは大人の言うことを聞くのが当然だからだ。かつては小5くらいから反抗して宿題等もやらなくなる子が出るものだった。しかし最近の中学生はその時期が来ない。言われたことはとにかくどんなクオリティでさえやるのだ。それが最も顕著だったのが20~22年の中3世代だった。

それが最も顕著に現れたのが以下のグラフである。2022年の中3世代。塾生が多く通う中学の1学期の期末テストの点数分布である。

この国語のグラフの形は長年見たことが無いものだった。特に教育関係者の方には驚きを抱くデータだと思う。確かに易しめに作られたテストではあった。しかし公立中学の3年生ともなるとどんな簡単なテストであっても空欄や意味不明な回答で埋める生徒が数パーセント存在する。230人以上の生徒がいながら30点に満たない生徒が3人というのは驚異的な数字である。しかもこちらの中学は外国人の生徒の比率が1割に迫る。小学校の卒業式がコロナ禍に直撃し、入学後も2カ月近く自宅待機だった学年としては立派すぎる成果と言える。他の教科も国語ほどでは無いが綺麗な山型になっており近年よく指摘される二極化やすべての階層が同じくらいいるような形にもなっていない。トップ層の薄さは気になるが、それ以外は申し分ない。「学びから零れ落ちる子を0にする」という公教育の目的が達成されている素晴らしい結果と感じた。

2022年の夏前に「今の中学生の学力は素晴らしい」とある程度考えていた。コロナ禍による学力への影響は軽微なものになりそうだと捉えかけていた。しかし22年の後半から「あれ、おかしいぞ」と感じるようになった。小学生の生徒に以前には見られない異変を感じるようになったのだ。

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