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私のマトリョーシカ

昔、とある問題を抱え、とにかく徹底的に分析したことがある。その原因を知れば立ち直れると思ったからだ。この問題は、ロシアの人形に似ていた。あ、これがその原因だなと思って答えが中に入ってると思ってパカっと開けるとそこにまた似たような形の開けなければならない人形が入っている。開けても開けてもその状態で、最後が空っぽだった。

だから、いまだにこれについてだけは私はお手上げなのです。私のミステリー、私のマトリョーシカ。問題とは何か?とある失恋です。

人生の中で私がいちばん引きずった恋。どうして自分がそんなにこだわるのかを解析して過去にしてしまおうと思っても、長く自分を苦しめた。

いつ、これをやめたのか忘れてしまったけど、とある時まで私は彼と最後に会ってから何年といった時の数え方をしていました。その例にならって数えてみるとあれはたしか、彼と最後に会ってから11年だったのかな?

日本がこれでもかと揺れて、世界中に日本の様子が報道された時があったではないですか。あの時自分はちょうど息子をお腹に抱えて日本に帰っていたのです。一時的に無職でした。実家が東北なのですが、家は内陸だったので、揺れたし、家の基礎には若干の問題が出たし、停電なったし、ガソリンや灯油をはじめ物資が一時的に滞りましたが、家族も私もお腹の中の息子も生きてピンピンしてた。

すると、ちょっと落ち着いた頃かな?まだお腹にうちの子を抱えていたから、地震が起きてから2ヶ月内の頃の話だ。私は地震の2ヶ月後にうちの子を産んでますので。友達の女の子から連絡が来た。

「久しぶり、大丈夫?」
「うん、うちは内陸だし、揺れたは揺れたし凄かったけど」

電信柱が、見たことのないくらい揺れて、そんな話を一通りした後に、ちょっと言いにくそうに友達がいう。

「⚪︎⚪︎が心配して連絡を取りたいからあなたのメルアドを知りたがっているんだけど……、教えちゃっていい?」

彼でした。共通の友人だったから、私の友達と彼は私たちが別れた後も細々と連絡を取り合っていた。しかし、それはおそらく約10年ぶりのコンタクトだった。会ってないし、電話とかで話してないし、メールとかでやり取りしていないし、今どうしているかとか噂も聞いていなかった。

自分はいいよと答えました。マトリョーシカを解決していなかったけど、流石に古い過去ですし、さらっとした返事を書けるような気がしてたのです。

しばらくすると懐かしい人からメールが来た。
友人が教えたのでしょう。私が中国人と結婚して、今妊娠してて、もう少しで子供を産むのだと彼は知っていておめでとうと述べてあった。それから日本が大変なことになってその時私が大丈夫なのかが気になって、だから連絡をしたのだという。

詳しいことは忘れてしまいました。私はそのメールを削除してしまいましたから。彼のアドレスが残っていたら、気が弱くなった時に返信をしてしまうかもしれないと思ったからです。その後こう思った。

私が無事かどうかは友人に聞けばわかったはずです。彼は私に直接連絡をしてくるべきではなかった。

一緒にいられないのなら、彼がまだ私を覚えているという事実は、私にとって幸せになる邪魔なのだから。祝福をしてくれるのならその最大の贈り物は連絡をしてこないことだとわからなかったのかな?自分でアドレスを教えたことは棚上げにしてそんなことを考えた。

その後、どのぐらい経ってからだろう?これは忘れちゃったな。でも、数年だったと思うのですが、彼は結婚してそのハネムーンの先をあろうことか日本にしたのです。そして、私不在の日本で共通の友人たちと会った。写真が送られてきた。大人になった彼を見てしまいました。

私の友達のことだもの、渡すなと言っていても私の今の写真を渡しちゃったかもなと思いながら、しばらく大人になった彼を眺めていました。横にちょこんと奥さんが映っていた。アジア系なのに白人の人と結婚して大丈夫かな?ちょっと心配しながら歳下の女の子の顔を眺める。

素敵な大人になってました。もともと顔立ちの綺麗な人でした。身長はそんなに高くなかったけど。たっぷり眺めた後でその写真を削除しました。

歌の歌詞に、ユーミンだったかな?泣きながらちぎった写真をという歌詞があったと思うのですが、その歌を聴きながらまだ恋に憧れるような年齢だった頃、自分が大人になった頃に本当に写真を泣きながらちぎって捨てるような恋をするとは思ってなかったな。

私が彼から欲しかったのはゼロか百、私を迎えにきてくれないのなら、連絡してこないでほしい。私は男と女の友情なんて信じていない。

私たちは分かり合えなかった。詩的な意味でこんなことを書いているのではなくて。分かり合えないなんて常套句。これは物理的な意味で書いているのです。文化と言葉の壁があって、相手が何を考えているのかよくわからなかった。それに距離もあった。飛行機に乗ってエコノミー症候群にならないか気にしないと、辿り着けないようなところに住んでいたから。

そうそう。もう一個思い出した。彼は津波の時に初めて私が中国人と結婚して深圳に住んでいると知ったのだと。そして、彼は仕事で深圳にきたことがあると書いてあった。もし、お互い知っていたら会えたのにねと。彼は書いていた。

人の運命というのは不思議です。結ばれはしなかったけど、縁がある人というのはいる。運命が少し違えば、私と彼は再会していたかもしれない。縁が深い人というのは全く切れることがなく偶然を介してニアミスすることがあるんです。

私の主人が中国人だと聞いた時、彼はきっと驚いただろうなと思う。別の国で生まれたから彼の国籍は中国人ではありませんが、お父さんは中国人、というか華僑なのかな?彼がどんな気持ちで私を遠ざけたのか、具体的なところは今もわかりません。しかし、自分とは結ばれなかったけど、やっぱり私は海外の人と結婚した。自分は海外との縁が深い星の下に生まれているのかもしれません。

何かが少し違えば今彼の横にいたのは私だったかもしれない。

言葉を使って伝え合わなければ、相手の気持ちの重さは測ることができない。お互いにとって外国語である英語で話し合い、相手の言葉がよくわからなくて、一緒にいられる時間も少なくて、彼が何をどう思っていたのか今でもさっぱりわかりません。

あれはまだ主人と結婚する前、私が長く尾を引くマトリョーシカの謎にお手上げになり、これもやはり彼を含めての共通の友人で、心理学に詳しい人に相談してみたことがある。過去の人も外国人、今の人も外国人。今の外国人と結婚してもいいですかと。

「⚪︎⚪︎(昔の彼)のことは何考えているかわかんないんでしょ?」
「わかりません」
「今の彼は何考えているかわかるんでしょ?」
「わかります」
「じゃ、今の彼でいいじゃない」

昔の彼はアジア系だったけどヨーロッパの人だったので、文化が西欧と東洋でかなり違う。そんな自分にとって日本と中国の違いはかわいいものでした。まぁ、文化の違いだけでなく個人としての違いもあるのだろうけど。

昔の彼は言葉の問題だけでなく本人自身があまり自分の気持ちを打ち明けない人で、それは傷ついてしまう出来事を経験したからなのだけど。だから、何を考えているのかわからなくて。若かった自分は、後先考えずにとにかく彼のそばへ行こうとしていた。その行為を踏みとどまらせるために距離を置こうと言ったのだとしたら?

そんなのだって、わかりません。ただ単純に、私がブスに見えたからかもしれないし。言葉が足りない人だったな。

自分なんかよりもっと傷ついた経験を持った人で、そこにきっと自分は昔の自分を投影した。だから、自分と彼を救いたくて、こだわってしまったのかな?あるいはこれがマトリョーシカの答えです。

自分の言動の結果、相手がどう出るか、相手の行動を予測するという側面で考えると、私と彼はテンポや考え方が違う。おそらくね。惹かれあってはいても、私には彼の考えていることが分からず、彼にしてみたら怒らせるつもりで言ったわけじゃないのに、私が激怒してしまったり。

だから、合わないんですよ。合わないってことでいいんだけど、ただ、もう少しだけわかりあう努力をしてから別れたかったなぁ。それが今の正直な気持ちですね。

とても子供だった自分を懐かしく思い出します。

ここでまた最後に心理学に詳しい友人を再登場させましょうか。この人は日本人。

「でも、それは向こう(昔の彼)も相当引きずっていると思うよ」
「ほんと?そうなの?どこらへんが?」
「自分で考えて分からないんでしょ?」
「はい」
「今の彼のことは別に俺に聞かないでもわかるんでしょ?」
「はい」
「じゃ、知らないでもいいじゃない」
「なにー」

知りたかった。ブスだから捨てられたんじゃないという証拠が欲しかった。本人からもらえないので。

「別に聞いてどうするってわけじゃないから教えてよ」
「それを知って仮に、仮にだよ、よりを戻したとする」
「うん」
「一緒にいたらまた次のわからないが出てきて、俺に聞きに来るでしょ?」
「うん」
「今の彼なら別に俺に聞かないでも分かり合えるんでしょ?」
「はい」
「だから今の彼でいいんだよ」
「……」

そうなのかもしれない。そう言われるとそうかもしれない。自分にとってふさわしい人というのは空気のように違和感がないので、ある意味、存在感がなく激情や感動を振り回されることもなく、淡々としている。相手が外国人だということを忘れることもある。

「それでいいのか?」
「それでいいんだよ」

人生の一番最初に、自分とうまくいく人と出会って結ばれるのなら、人は無駄な失恋などしなくて済むのですが、ただ、自分にとって最高の相手としか恋愛しておらず結婚している人というのは、自分の人生なにか足りないのじゃないかと悩む人も全員ではないですがいるのでして、だから、たくさん泣きましたがこのマトリョーシカの課題は無駄ではなかったのかなと思う。

そして、彼は私をほっておくという贈り物はしてくれなかったのだが、贈り物を残していた。本人の意図としたところでは別になかったのだろうが……。人として自立しようという原動力は、この失恋から得た教訓である。

(乙女著)
2024.04.27

ミュシャの絵、お借りしました。ありがとうございます。
<(_ _)>

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