ボヤきと怒り

前置きですが、当投稿では強い言葉を使っております。



 何とはあまり明言しないものの、とある本屋さんの悲痛なnoteの投稿とそれに対する心ないコメントを見ていて大変に暗い気持ちになった。

 まず個人書店が今大変な苦境に立たされていること。そしてそれは業界特有の問題として少数の意思決定によって商売が脅かされるのはなんとも腹立たしく、やるせない。この状態が続き、正常化しないのであればきっと個人書店は消えてなくなる未来はそう遠くないだろう。ただそんな未来は決してあってはならない。

 そして次に心ないコメントについて。
 そもそも否定的、心ないようなコメントを寄せるものの中で、記事を読めているものは一つとしてないことを断言する。
 ひょっとしたら建設的なコメントを寄せているつもりなのかもしれないが、中傷している自覚がないだけであり、何一つとしてnoteの投稿に寄り添っていない。

 そんな"中傷コメント"をはらわた煮え繰り返る思いで眺めているとある不思議な共通点があることに気づいた。
 乱暴に要約していくと、中傷コメントを「商売なんだから」「費用対効果に見合っていない」「そんな小さいことに構っていられない」「いずれは自然淘汰されていく」など。
 どこで仕入れたか知らない、彼らなりの"ビジネス"観のものがこれらのコメントには通底している。
 あくまで彼らの"ビジネス"の文脈は、誤った資本主義的発想に基づいた稚拙な"ビジネス"観だと私は確信を持って断言する。
 そもそも今現時点で発生している問題は、なんとしてでも解決しなければならない問題であり、「ビジネス上仕方ない」なんて雑な言葉では済まされないのである。

 そして自分が攻撃したがために利用しているだけに過ぎない、これらの稚拙な言葉の付け焼き刃は何にもためにもならないし、問題に対して思考を放棄していることと同義である。

 いま悲痛な叫びに対して投げかけるべきは"建設的な意見"の皮を被った中傷ではなくて、心のそこから寄り添った想いと問題に対し思考し続ける真摯な姿勢だと考えている。





 最後に。
 なぜこのような”ビジネス”の皮を被った何かで語りたがるかは別で投稿しようと思います。

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