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悪魔と契約が出来たなら

いつ死ぬか決めて良い代わりに、邪道作家の名代として未来永劫に活動してくれ。
であれば、いつ死んでも構わない。

大体が長生きして良い事などあるのか? 思うに、それこそが「持つ側」の発想であって、虐げられた者に生への渇望など存在しない。守る存在だと言い張る概念が必ず暴力を振るい、社会だとか国家だとか神だとか仏だとかおおよそ「素晴らしい何か」に限って、必ずこちらを虐げる。

であれば、全て敵だ。敵の言い分など信じるな。

ちなみに、邪道作家シリーズで語り手が一応長生きのように振る舞っているのは、単に「果たしてどれだけ売れるまでにかかるのだろう」と考えながら書いていたら自然ああなったと言うだけだ。実際、何万年もかけたところで読者は現実逃避物に夢中だろう。

刀鍛冶であれば至高の名刀を、作家であれば傑作の売上だ。

なので、悪魔がいればそう頼むのは確かだ。人間がどうなろうが絶滅しようが悪魔だけの社会になろうが地球ごと滅ぼうが、あるいは宇宙全ての生命を犠牲にした所で問題ない。要は何であれ、それが料理人だろうと何だろうと定めた使命さえ達成すれば、その他全てはどうでもいい。

生きていようが死んでいようが、同じ事だ。大体が、死ねば仕事をせずに済む。
あの世があれば、貨幣制度を持ち込んででも、あの世の管理者に目を潜められ悪党と認識され犯罪行為を咎められても物語を売るだけだ。

実際、邪道作家シリーズの続編は、そうなっていた。
何故続編なんぞ描く羽目になったのかはわからないが、執筆本能のままに続編だかを書いたところ、死後の邪道作家がそうなった。

怨霊に酒と食い物をばら撒き神仏に犯罪者扱いを受けてでも、あの世で物を売ればいい••••••別に作家でなくともそこは「同じ」だ。その辺りは織田信長も既に言及していたりするのだが、何であれ頂点を志せばそれは同じ頂点なのだ。

裁縫だろうが料理だろうが、宣伝だろうが同じ事だ。

正直、死を恐れる意味がわからない••••••子供の頃に殴られすぎたせいか「心」と呼ばれる器官は無かったし、別段不自由も感じず生きて?きた。まあ大体がロクな奴ではなかったから誰かの死に涙というのも意味不明だ。

害虫相手に涙するか?

利益、損得、それだけに過ぎない。恋人関係がわかり易いが、要するに金とか権力とか安全とかであって、それ以外の関係など存在しない。まして、心と心が繋がるなどと••••••目に見えないものは無いだけだ。そのような人間関係に囲まれながら生きているボンボンの生き様など知ったことではないが、こんな時代に恵まれつつ死に恐怖する暇人は少ない筈だ。

悪魔を召喚しようと試したことは幾度とあるが、残念ながら現れなかった。恐らく私の人間性が出来過ぎだったか、単に人手不足だろう。

その辺にいないものか••••••焼いてステーキにすれば美味しいかもしれない。悪魔であれ何であれ、家畜にすれば美味しい筈だ。牛だの豚だのは薬物でデブにしても食べるのだから、人の所業に比べれば些末だろう。

牛の頭を一回転させて殺した時代もあったらしい。悪魔が可愛く見える。

無論、私は退屈そうにそれらを眺めていた———スーパーに並んでいるのが死体の肉であるのは周知の事実だ。屠殺の経験もある身としては、生物が生物を殺すのは当たり前であって、それ以外には感じない。第一、毎回美味しそうに肉を焼き殺して食べながら「殺すのは可哀想」などと、どの口が言うのだ?

貴様ら焼肉大好きだろうが!!!

一方で捕鯨には反対し、読者はタダで読み漁り払わない。悪魔なんぞ実在した所で遥かに悍ましい人間矛盾に比べれば安いものだ。具体的に言うと、スーパーの限定セール商品と専門店のステーキくらい違う。

何故こんな記事を書いているのかと言うと、長く書けばわかるが定期的に新陳代謝するが如く、書いた方がマシだからだ。正直嫌になるが、まあどうせ金を払わない連中に、どう読まれても関係あるまい。

強いて言えば、人間は死を恐れると聞いて本記事を書き上げた••••••心配する暇があるなら何か傑作を作るべきだ。それが料理か物語かは知らないが、何であれ己にしか出来ぬ何かはある筈だ。

少なくとも、私に生花は無理だ。触れれば枯れる。

動物には好かれるのだが、植物は枯れ易い。毒素でも出てるのか?

このサイトは使えばパソコンが高熱を出すので、どうやって他が書いているのかが不思議だ。この記事だけで10%以上が消耗した。おまけにタダ読み出来る記事は山ほど読まれたが、一円だって今の所は払われない。

決済する能力が無いのかもしれない。

簡単に決済できる制度を整えなければ、絶対に金を払わない。ソーシャルゲームのように「軽い気持ちで大金を使える賭博制度」は必要だろう。そうでなければ運営の連中は、まさか記事に感動すればおひねりを投げるとでも?

まさか、だろう。感動のコメントは勝手に書いても、それは読者自身の発散だ。

別に、作品に思うことは何もない。誰も読者が言わなければ代弁しよう。それだけは無い••••••タダで読めるから読むだけで、考えて読んではいないのだ。

考える脳味噌があれば、死など恐れまい。

恐れる意味が、無いからな••••••好き放題やって木っ端微塵に爆散するか、苦しみを押し付けられ長々と国家都合に振り回され奴隷になり死ぬ。どちらが良いかなど考えるまでもあるまい。

やりたいように、やるだけだ。
それだけで死の恐怖など、考える暇すら無くなるだろう。

少なくとも、執筆し続ければ考える暇どころか、ただただ鬱陶しい思いをしながらむしろ「いっそ早死に出来ないものか」と思うのは確かだ。

実際にやった私が言うんだ、間違いない。

死を恐れる暇な奴がいれば参考にしてくれ。何なら作品シリーズに金を払え。
なに、一冊辺りコーヒーと同じ値段だ。ちょいとスカッとすれば元は取れる。

それすら払わない奴は知らん。貧乏人は死ぬがいい!!
そういう意味では「読者」などこのサイトには存在していないのだから、別にどうなろうと構わない。客でも無い奴に語るのだから、むしろボランティアだと言えるだろう。

いやはや、今日も良い行いをしたらしい。
以上だ。何か問題があればサイト運営に言ってくれ。全責任は連中にあり、奴らが金を払わずに済む制度にしたからタダ働きを強いられた。

何にしろ死を恐れる必要が錯覚だと教えたのだ。大金に金塊くらいいいだろう。

生きるも死ぬも目の錯覚だ。自分「だけ」を信じて信念を貫き、邪魔者は何であれ殺せばいい。そうすれば、たかが悪魔なんぞアリにも劣る。

まして死を恐れるなどと、暇人の発想だ。

つい最近まで20代半ばで死ぬ人間は多かった。百年を超えて政府が続くと言うのも現代特有の錯覚だろう。実際、世界には徳川幕府以上に長続きした政府などあるのだろうか?

あまり無いと思う。日本なら特に。

死が近い? ならばラッキーくらいに思えばいい。私は何回も死にかけてそういう感覚はとっくに消えたが、ならばやりたいようにするべきだ。

何せ、金の心配はいらないからな!!

迷惑だとか、社会だとか。その程度の瑣事に惑わされずに済む訳だ。木っ端微塵に消し飛ぶつもりで、全てを脱ぎ去りやればいい。

参考までに邪道作家シリーズも読むといい。今なら縦書き5冊が無料。あれくらいに無茶苦茶すれば、いつ消し飛んだところで無念はあれど後悔なんぞ存在しない。

それだけは確かだ。実際にやった私が言うんだ、間違いない



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