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竜とそばかすの姫のラストシーンはこう考えれば納得する

竜とそばかすの姫のアマゾンプライムでの配信が始まりました。

うわさに聞いていた評判はあまり良くなかったのですが、思っていた以上に素晴らしい作品でした。

良曲と美しい映像の相まったライブシーン、そして細田作品が得意とする丁寧な演技描写により登場人物を思わず好きになっていきます。

一つ一つのシーンのクオリティがすごく高いので楽しいのです。
しかし続けてみるとリアルな世界観であるのにリアリティに欠ける部分があり、終盤の展開に違和感を覚える人が多いようです。

特に言及されているのはクライマックスのすずと竜の父が対峙する場面でしょう。
私も最初はその辺りもう少しなんとかならないのかな?と思いました。

ですがそこに込められた意図をよくよく考えてみるとこれでよかったのでは? いや、むしろこれしかない! と思えるようになりました。まずはラストライブのシーン、そこから対峙のシーンについて考えていきます。



すずの悩み

すずの母親は見ず知らずの溺れた子を助けたために命を落としていました。

母親がとった行動は手放しに褒められるものではないでしょう。
事件はニュースになりインターネットの人々に叩かれてしまいます。

すずは母親を失って以来、容姿についてのコンプレックスも重なり塞ぎこんでいました。大好きな歌も歌えなくなり、父親とも上手くいっていません。

ここまでが冒頭で示されたすずの悩みです。
お話を読み解く上ではまずキャラクターや世界が抱える問題を整理するのがいいです。

ただこの作品の場合は、途中で竜が乱入しそれ以降は竜の正体探しと救助が目的に加わります。単純な成長物語になっていません。この辺りが分かりにくいと言われる要因でしょう。
(成長過程で竜助けになるのは千と千尋に似ていますね。)


正体を明かす

上の事を踏まえライブのシーンを見ていきます。
Uによってベルに変身したすずは、歌が歌えるようになり、フォロワーが爆増します。

ひとまずは自分のやりたかった事で認められていくわけです。お話って中盤までは順調に行くことが多い。でもそれだけでめでたしにはなりません。

すずは竜の信頼を得るためライブでベルの正体を明かすことになります。

ここはネットで身元を明かすのは危険では?という意見が多く
実際その通りなのです。
ですが、すずが自分のコンプレックスと向き合うために必要な場面でもあるんです。

ライブを見ている観客には事情は分からずとも、すずが自分自身と闘っているのだという事は伝わったでしょう。
素の自分をさらけ出すのがいかに難しいか。
これは匿名の人達ならば誰しも分かるはずですから。


そして、容姿にコンプレックスがあると言ってもアニメだと
「いや、普通の萌えキャラじゃん」となってしまうものなのですが、
このライブシーンではすずの目が小さく描かれているのがすごく良いです。
写実に近づくことにより、すずがもし現実いたらどんな子か…朧気に見えてくるんです。最初は下を見ていたが徐々に顔を上げ目を開いていきます。
すずの闘いを自分事として捉えることができ、説得力が増しています。


竜のことを助けたいと願うすずの歌が多くの人々の心に共鳴し
すずは再びベルの姿になります。試練を乗り越え、成長してベルを自分のものとしたのです。もう自分自身のままでも歌を歌うことができるでしょう。


以上の流れでは、すずの歌が認められ冒頭のコンプレックスと元の姿で歌えない事が解決されます。
同様の悩みを持つネットの人々(世界の問題)も救われました。
物語の上では必要な展開であることが分かります。
ライブシーンのすずの描き方も丁寧で最後にベルに戻る意味合いなども筋が通っています。

現実のネットリテラシーに照らすと違和感はあるのですが
意図を読み取り、自分の素の姿に向き合うというテーマに極振りしてる場面だと分かればその丁寧な描写を評価することが出来るのではと思います。


四角関係
現実パートが話の本筋上手く絡められてないのでは?という指摘もあります。現実とUのパートが目まぐるしく入れ替わるためチグハグになっているのですが、友人たちはすずの背中を押してくれます。

すずはしのぶに告白しようとするも結局勇気を出せずにいました。
すずはルカと話し、しのぶを好きだろうと思い込んでいたルカがカミシンのことが好きだと知ります。

完璧だと思っていたルカが実は自分と同じ悩みを持っていた、ルカはスクールカーストの頂点ではなく、しのぶすずカミシンルカの四すくみの関係の中にいました。

心が軽くなり、ルカとカミシンが距離を縮めたことに後押しされ再び勇気を出そうとしますが、すず=ベルであるという核心に迫られ逃走。前述のライブシーンの場面に入っていきます。

クライマックスへの自然な流れと、本筋では触れずらい等身大の悩みを描いています。誰しもインターネット以前に一人の人なのです。


ここまでは主に冒頭のコンプレックスの部分についてでした。
ライブの途中ですずは母親の姿を見ます。
無謀だと分かっていても誰かを助けに向かった母親の想いに気付きます。
そして、見ず知らずの竜の子のために歌いました。
これを踏まえ物語はもう一つのクライマックス、竜とクリオネの正体、ケイとトモの救出へと向かいます。


竜の父と対峙

ここは特に巷で取り沙汰されている場面です。
ライブよりもさらに視聴者の許容できるラインを超えているからでしょう。

ですが、これまで見てきたようにシーンの意図と冒頭の問題の為に必要な展開を考えてみると、もうこれしかなかったのだと思えるまでになります。
ライブシーン以上に練られている場面なのです。

それを知るためにはすずと対峙した時のケイとトモの父親の心境を考えてみるのがいいと思います。そこまでの流れを辿ります。


ライブ後、ケイの一応の信用を得て連絡先を聞こうとしますがケイとトモも虐待している父親に見つかり通話を切られてしまう。

どうにか住所を割り出し相談所に連絡するもすぐには動けず、2人を守るためにすずが単身東京に行くことになります。
なぜすず一人で東京に向かわせたのか?危険だと思わないか?と批判が集中している部分です。


もっともな話なのですが、やはり物語的には最後はすず一人で立ち向かう必要があると考えます。

主人公に見せ場をという訳ではないです。
土砂降りの雨に見ず知らずの子供を助けにいく
これは冒頭で母親が置かれた状況の再現であり、
ライブを経て母の境地に達したすずは同じ行動を取らずにはいられなかったのでしょう。

同じ状況を再現すれば物語を通してのすずの変化が分かります。
そうする事で作品としての答えを出す必要がある。


東京に着き雨の中2人の家を探しているとトモが外で待っていました。
ケイも一緒です。
ようやくすずと竜はリアルで出会えました。

しかしケイとトモの親父が現れます。

親父は2人を家に連れ戻そうとしますがすずは2人を庇い、
ケガを負わせられても親父の前に立ちはだかります。

親父は拳を掲げ大声を上げ脅します。
しかしそれに怯まないすずにおびえ逃げ出してしまいました。
なぜでしょうか?


上に書いたようにこれは再現です。
物語を通して母の気持ちを理解したすずは
母と同じように子供を助けます。

親父はすずにかつて子供を守ろうとした自分の妻の姿をみたのでしょう。

過去になにがあったかは想像するしかありませんが、
何度脅されても毅然と立ち向かう人だったのではと思います。
それが堪らなく恐ろしかったのでしょう。
子供たちを殴ろうとしない様子から、DVが間接的な原因となって妻が死にトラウマになったのでは?など色々想像が出来ます。


女子高生一人で大人相手にどうにか出来るはずがない、ご都合主義であると言われている場面ですが、背景を考えれば物語上の理由だけでなく、現実に則して見てもある程度納得できると考えます。
虚勢を張っている人は実は心の中では常に怯えていて、拒絶に対して案外脆かったりする場合もあるのではと思います。


母の不在

そう、すずと竜には母親がいませんでした。

すずも竜も取り残されてしまった。

そして、なぜ自分を置いて行ったのかと母親に不信感を抱いていました。

2人は似た者同士だったのです。

ケイとトモの母親は直接は描かれていませんが、竜の城に顔の部分が割れた貴婦人の肖像画があります。これがおそらく母親で顔の部分はケイが割ったのでしょう。

助ける…助ける…助ける…
耳障りのいい事を言っても結局誰も助けてくれないと恨んだんだと思います。
ただ、母親が2人を助けようとしていたことはトモの行動から想像できます。

肖像画の胸元には赤いバラが付いています。
トモのUのすがたであるクリオネはベルを竜の城まで案内し、秘密のバラ園をベルに見せます。
そしてベルと竜が心を通わせると、2人にバラを授け舞踏会が始まります。


バラはトモにとって母の象徴なのです。
ベルの竜を想う気持ちにふれ彼女にはその資格があるとバラを託した。
そして黒いバラを授けられた竜もまたトモにとってヒーローだった。
2人は辛い境遇にありながらも誰かを守ろうとしていた同士です。


バラは配信に写っていたトモの部屋にもあります。親父によって花瓶は倒されましたが母の事を想い内緒で活けていたのでしょう。

ケイは母を恨んだがトモは母を信じていた。

だからベルの歌にまっさきに気付き最初のファンになった。クリオネ=流氷の天使、キューピットがベルと竜を引き合わせたのです。


物語を解決させるためには大人達の協力による救出劇では不十分でした。
よく言われるライブに感動したネットのみんなで救助する代替案でも同じです。
母への不信感で一杯だったケイを救うには、バラを得たすずによる助けが不可欠なんです。

すずが母親のように強くなった事を証明するためにはケイとトモの親父と対決させる必要がありました。
(これはちょっとどうかとは思いますが、すずの流した血は子供たちを守った証でもありトモの赤いバラと重なります。)


そしてそれが証明された時、
いなくなった母親が「子供たち」の元に還ってくる奇跡

母親の喪失とその克服という作品のテーマを表現するのにこれ以上ない場面になっているのです。


すずが立ち向かう姿をみて、ケイは「ぼくも闘うよ」といいます。
子供に戦わせるなんて…という意見もありますが、この闘うは父親と直接対決をするという意味とは限りません。
ケイは結局は助けてくれない大人達に不信感があり、その根本は母親に取り残された事です。裏切られる度に母を憎む気持ちも増していったでしょう。
ですが中には本当に2人を助けようとした人がいたかもしれません。
すずやその周りの人達もいます。優しさに触れて母とのわだかまりが解け、新しい環境に一歩踏み出せるようになると思います。
そしてすずと同じように、母がいなくなってしまった事に向き合えるようになるのではないでしょうか。


作品のメッセージ

ここまで見てきたように、竜とそばかすの姫は現実的でない非合理的な展開に思えても、物語上の必然を考えるとこれ以上ないほど緻密に作られている稀有な作品です。
前者は間違いではありません。違和感がある部分が多いのも確かです。

ですが、合理的じゃない非常識だからと言ってそれをそのまま否定していいものでしょうか?

私はそれがアンバランスな二つの次元が共存している
この作品の構造によって問われている気がするのです。
違和感も込みで一つの作品なのだと思う。


ラストのライブシーンによって解決された問題はもう一つあります。
すずの母親はインターネットの人々による沢山の批判に晒されました。
ですが、すずはそのネットの世界で認められます。途中自警団に襲われながらも最終的にはすずの想いがUの人々に伝わります。
2曲目を歌う前に回想があり、すずは母と出会います。
この時のすずの誰かを助けたいという想いは母がかつて抱いた想いでもある
つまりインターネットの人々がすずの母親と同じ想いを理解したのです。
理屈ではない、誰かを思う気持ち。


父親とメッセージをやりとりするシーンでは、すずの父親もまた子供を助けた妻の気持ちを理解していました。そしてすずと前を向いて生きようとしていた。
過ちを繰り返さない!とすずを引き留めればその決意がぼやけてしまう。

ケイとトモを保護し、おばさん達からもらったお金で相談所が動くまでの間を過ごし、職員のもとに送る。このようなシーンを挿入することが出来たかもしれませんが、合理的な解決は母親の行動を否定することにもなります。映画を通して結局母親は間違っていたという結論で済ませてしまってよいのか。ネットの批判的な意見ではなくすずのまっすぐな気持ちがケイには必要だったこともまた事実なのです。


この作品には他の作品にはある受け手を納得させるための理由付けがされません。その為現実的でない部分が目立ちます。
そして、キャラクター達の剥きだしの気持ちが響いています。
批判はいくらでも可能だが、それでも登場人物たちの気持ちに寄り添うことが出来るか
そこにこそ、この作品のメッセージがあるのだと思います。


ネットを否定的に描いているという意見も誤解だと思います。
でなければ最後にすずはベルの姿にはならないでしょう。ネットにより広がった可能性を肯定的に描いていると言えます。Uがあったからベルと竜は出会えたのですから。
細田監督はサマーウォーズでインターネットで世界中の人々が協力する様を描きました。
そこから一歩踏み込みネットにより人と人が繋がるために大切なものを伝えようとしているのではないでしょうか。

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