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ミステリー小説『そして、天使は舞い降りた』第6話 事件の結末

 4月24日月曜日の夜8時半。卯原は赤羽にある赤羽大学の女子寮の前に来ていた。今夜は彼が夜勤の当番だ。今朝24時間勤務明けで警察の取調べも受け疲れていたが、他に替われる者もいないのでしかたない。

 インターホンのボタンを押すと、部下の谷の声が出た。ドアが開錠され、中に入る。卯原は警備室に向かった。

「谷さん、今日は俺が帰った後、何かあった?」

 卯原は尋ねる。

 谷がそう回答した。

「いや、特には。磯山君が顔出したけど、すぐ帰りました」

「へえ。何であいつが?」

 卯原は、疑問を口に出す。

「なんか、犯人が西俣だってのが割り切れないとかで、自分で雑木林を調べたりしてました」

 谷が卯原に説明する。

「気持ちはわかるけど、すでに警察が調べてるから、新たな証拠は出てこないだろ。俺もまさか西俣が人殺しをしただなんて信じたくねえさ。だが、消去法で他にできる奴がいないからね」

 その後卯原は通常通りの勤務ルーチンをこなしていく。深夜零時に卯原は休憩に入り、それが終わると午前1時からは谷が4時間の仮眠に入る。

「では、お休みなさい」

 谷がそう挨拶すると仮眠室に引っ込んだ。やがて中から谷のいびきが聞こえてくる。彼はわりとすぐ眠り、仮眠時間が終わるまで、そのまま熟睡する方だ。警備室の時計を見ると、午前1時半だった。

 卯原はポケットからロッカーの鍵を取り出すと、現在誰も使ってないロッカーを開錠する。中には彼の制服があった。制服は、血で汚れているのが、一目でわかる。

「やっぱり鍵をなくしたというのは嘘だったんですね」

 背後から声がして振り向くと、冷泉智香の姿がある。意外な人物の登場に、幽霊でも見るような気持ちであった。

「その中にあるのは、あなたの着ていた制服ですね。それも血がついてます。ここから見ても、血が見えます」

 智香がそう話しながら、自分のスマホで血のついた制服を撮影する。咄嗟に卯原はやめさせようとしたが、間に合わなかった。心臓の鼓動が高鳴る。冷汗が出た。

「聖良は、自分に対するストーカー行為を大学に相談しようとしていましたが、その直前に殺されました」

「ストーカーをしてたのは西俣だろ?」

 卯原は、声を荒げた。

「違うと聖良は話してました。ストーカーをしていたのはあなただったと、谷さんが磯山さんに話したのを、聞きました」

 冷静な口調で智香が回答する。まるで人工の音声のようだ。生身の人間というよりも、人造人間を見ているようだと彼は感じた。

「そんな事言うけどさ。俺がモニターで雑木林を観ていた時懐中電灯の灯りが映ったんだけど。あの灯りは何だったの? 警察も防犯モニターの画像を再生して確認してるけど」

「卯原さんがおっしゃるのは、あれの話ですね」

 智香が、防犯モニターを指さした。そこには一見懐中電灯で照らしたような灯りが映っている。

「あれは一見懐中電灯の灯りに見えますが、実際は蜘蛛の糸が張られているだけです。あなたはそれを利用して、応援で来た磯山さんをだましたのです。あなたは実際には23時の外周巡回のため外に出た時プレハブの外にいつも置いてあるバットを持って、猫にエサをやっていた聖良を背後からなぐり殺しました。聖良を殺す前にあなたは着ていたコートを脱ぎました。そのため制服に聖良の血がつきましたが、上から再びコートを着て隠しました」

 智香は推理を続ける。

「一体どこに証拠があるんだ?」

「そのロッカーに入ってる制服とコートを調べればわかります。月島さんの血液が付着しているはずですから」

 智香は、録音された音声のようによどみなく話を続けた。

「あなたは巡回から戻るとコートは脱がないで、突然防犯カメラの撮影位置を移動して、雑木林に向けました。そして懐中電灯の灯りが見えるから見に行くよう磯山さんを向かわせ、その間に制服を新しいものと着替え、血のついた制服とコートはロッカーに入れたのです」

「でも変な話じゃないか」

 卯原がそう口をはさんだ。

「もし仮にそうなら、俺は月曜日の朝に警察の取調べが終わった後一旦帰宅したのだから、その時制服とコートを持ち帰ればいい話じゃないか」

「あなたは多分、最初はそうしようとしたのでしょう。ところがだんだん疑心暗鬼になってしまった。帰宅途中で知らないうちに警察に尾行され、バッグに入れた制服を調べられたらどうしよう? とか、間違ってバッグをどこかに置き忘れたらとか色々考えているうちに不安になり、騒ぎが落ち着くまでロッカーにしまっておこうと思ったのでしょう」

「じゃあなぜ警察は、モニターの画像が蜘蛛の糸だとわからなかったのかね? 確かにパッと見ただけでは蜘蛛の糸に見えないが、きちんと調べればわかったはずだ」

 卯原は、強い語調で指摘した。

「だから、きちんと調べなかったのです。警察は凶器のバットの持ち主が西俣さんなのと、彼が普段から寮生に嫌われていたのと、アリバイがないために逮捕した。全てはあなたの狙い通りです。しかもあなたは普段から近所の交番に行って気軽に挨拶したりして、警官の信頼を得ていました。聖良がチンピラにからまれてた時あなたがそれを救ったのもお巡りさん達は知っていて、あなたを疑わなかったのです」

 卯原は、頭が真っ白になる。なんで自分の発案や行いが、こんな小娘に手にとるようにわかったのだ。次の瞬間、脳より先に彼の体が動いていた。智香に襲いかかり、彼女の首をしめたのだ。

(この小娘を殺せば、事件の真相は葬られる。この小娘を殺せば!)

 その時だった。突然仮眠室のドアが開いて、谷が踊り出してくる。そして、智香の首をしめようとした卯原の両腕を引き剥がした。

「卯原さん、やめてください! 素直に自首してください」

 谷が叫んだ。若い谷の方が腕力があり、卯原を羽交締めにして、動きを封じる。卯原の眼前で、智香がスマホで電話している。彼女の発する言葉を聞くと、電話の相手は警察のようだ。大至急、この寮まで来るようにと知らせていた。

 やがて近くの交番から来たらしい制服の警官達がやってきたのが防犯モニターに映る。 警官がインターホンで呼び出したのに智香が応答し、谷にやり方を聞いてボタンを押してドアを開錠。走ってきた警官達が、警備室になだれこむ。

「そこにいる卯原さんが先日の、月山聖良さん殺しの犯人です。それを指摘したあたしを今、殺そうとまでしました」

 智香が、そう警官達に説明する。

「残念ですが、彼女の話は本当です」

 谷が、泣きそうな声で肯定した。

「あのロッカーに血のついた制服とコートが入ってます。調べれば血液が聖良の物だとわかるはずです」

 智香が、ロッカー室の方を指さしながら解説する。

「俺じゃない。俺はやってない。俺じゃないんだ!」

 卯原は何度も叫んだが、誰もその言い分に耳を傾ける者はいないようだった。絶望と怒りのために、全身が熱くなる。ついに体から力が抜け、彼は床に座りこんだ。
  警官達が、憐れみや憤りや驚愕の混ざった目で、卯原を見ている。




 馬淵警部補は、赤羽署の取調べ室にいる。眼前には椅子に座った卯原がいた。すでに犯行を自白している。ロッカーにあった卯原の制服とコートの内側に付着した血液はDNA鑑定の結果、被害者の月島聖良の物とわかった。

 制服のポケットには軍手も入っており、それを手にはめて犯行に及んだのである。だから指紋が残らなかった。

 卯原がトリックを考えついたのは、彼の話によればたまたま防犯モニターで木と木の間に張られた蜘蛛の糸を、懐中電灯の光と見間違えたのが発端である。

 だが同じ現場に常駐している警備員だとそれを知ってる可能性があるので、わざわざ他の現場から応援で磯山を呼んだのだ。

 蜘蛛の糸を懐中電灯の灯りだと誤認したふりをした卯原は磯山を雑木林に行かせてその間にコートを脱いで血のついた制服を着替え、コートと脱いだ制服はロッカーにしまったのだ。

そして自分もその後現地に行って磯山に気づかれないよう蜘蛛の糸を排除したのである。

排除してから、何食わぬ顔で磯山に声をかけたのだ。

取調べが概ね終わり、後は赤羽署の刑事達に任せて、馬淵は部屋を出た。そして、別の部屋に行く。そこには冷泉智香が待っていたのだ。

「卯原は、自白しました。起訴に必要な証拠も揃いました。西俣さんは無罪放免になります」

 馬淵は、智香に報告する。

「良かったです」

 智香は椅子から立ち上がった。その顔に笑みが浮かんだ。

「繰り返しますが、2度とあんな危ない真似はしないでください。仮眠していた谷さんが騒ぎに気づいてあなたを助けたから良かったけど。まあ、こんなケースはそうそうないでしょうが」

「申し訳ありませんでした。ご迷惑をおかけしました」

 智香は、深々と頭を下げる。彼女はやがてここへ来た時と同じようにスキップしながら部屋を出て、警察署から出ていった。スキップといっても、彼女の場合そんな華麗なものでもなく、ドタドタと走るような感覚だ。

 馬淵はふと思う。もしかしたら智香は天使なのかもしれない。冤罪になりそうだった西俣を救った天使。

 今日は多分、羽をどこかに忘れてきたのだろう。普段は空を飛んでいるから、走るのが下手なのかもと馬淵は思った。


                                                       【完】



#創作大賞2023

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