反出生主義だけど 母が好きだし 推しが子持ち。どうして許せるのか考えてみた。

私は反出生主義者だ。

この思想に至ったきっかけとしては、大嫌いな父の存在が大きい。
私の父は小学生の頃から高校卒業あたりまで、しつけと称して何度も私を殴り、蹴り、馬乗りになって首を締めた。

「私のこと愛してないの…?」泣きながらそう言うと「お前なんか愛してるわけないだろ、調子乗んな」と返ってきたこともある。
口癖は「俺の家だ、嫌なら出ていけ」「俺の躾くらいで心折れてたら社会でやってけねぇぞ」だ。

他にも頭脳や体型への罵倒など日常茶飯事で、心と体を傷つけられた思春期を過ごした。

そんな中、自然とたどり着いた思想が「反出生主義」だ。どんな主義かはこのnoteを見てくれた方なら恐らくご存知だろうから割愛する。

そんな私だが、自分の中に矛盾めいた感情があることに気付いた。それは「母が好きだし推しに子持ちがいるし、色んな作品の親子愛で感動する」こと。
反出生主義者の中には、これに全く共感できないという方もいるだろう。勿論それはそれで尊重する。あくまで個人的な話だ。

それに気付いたあとは、「子供は生んではいけないと思っているのになぜ許せるのだろう」と考えていたのだが、私のなかでふわっとこんな考えがあることを思い出した。

それは「子供の頃から教え込まれたらどうしようもない」だ。

私は勿論、悪いことだと知りながら行った悪事や、それが悪いことだと知る機会が十分にあるのによく知ろうともせず悪事を働くのは良くないと思っている。
しかし、子供のうちから親や周囲に何かの概念を教え込まされ続けた場合だけは、その子供がその概念を持つのはどうしようもないと思う。

進撃の巨人のガビやライナーを思い浮かべて欲しい。あの環境にいてパラディ島に来る前から"悪魔なんていないんじゃないか?"と果たして気付けるか?


現実で例えると、極端かもしれないが「親からも周りからも万引きは素晴らしいこと」と教わった子供が万引きしたとき、その子供は"悪人"か?という話だ。
(法的にではなく概念として)その子が罪になるのはあくまで「こういう理由があるから万引きはいけないことだよ」としっかり説明を受けてもなお万引きを続けた場合か、そもそも最初から周りはそんな風に教えてもないのに万引きした場合か、なんじゃないかと私は考えている。

現在の日本は依然として出生賛美社会だ。社会全体からも、身近な人からも、出産は良いことと刷り込まれる機会は往々にしてある。
そんな社会で更に、ただ人生を幸福に幸福に生きてきた場合、誰にも教わらずに自然と反出生主義の発想に至ることができるのか?恐らく思い付きもしないだろう。

ここで社会の刷り込みがいかに強いか挙げてみる。


・街中の選挙や朝のニュースでは、政治家が「若者の出生率の低下を防ぐ!もっと出産のしやすい社会へ!」と言っている。
・母親から「私が初めて妊娠したときはね、~」などと嬉々として語られる。
・会社に育児休暇がある。
・出産をすると多額のお金を貰うことができる地域もある。
・子供が真っ先に手本とする親は(養子の場合を除き)必ず出産している。
・最近では小学校のうちから学校で"子作りの仕方"を先生から習う。

出産に関する世の現象を一部抜粋してみたが、どうだろう?社会の全てが「出産は素晴らしい」と刷り込み続けているではないか。
こんな社会なのに「全ては産んだ人の責任」とするのは、あまりに行きすぎた自己責任論に思えてならない。

だから、この主義を知らずに出産した人(まぁほとんどの親御さんはそうだろう)に対して私は否定も肯定も考えずただ「子供を幸せにしてあげてね」とだけ思う。
その上で、子供のために奮闘する姿は素直に尊敬する。勿論産んだならやって当たり前なのだが、その当たり前ができることの凄さを父の姿や自分の経験で知ったからだ。

なので、逆に言えば「反出生主義をよく理解した上で産みました」と言う人がいたら私はその人にだけはマイナスな感情を抱かざるを得ない。申し訳ないがそこは一生変わらないと思う。


長くなったが、まとめると
「今のこの社会で幸福に生きてきた人間は反出生思想に至らなくても仕方ないと感じる」
「産んだ以上子供を愛し子供のために奮闘するのは当たり前だが、その当たり前ができることが素敵だと思うから家族愛系に感動する」
という話です。言ってしまえば"限定的な罪を憎んで人を憎まず"という感じ。

これは反出生主義とはみたいな話ではなく、あくまで私個人の思考の整理と自己分析としてのnoteです。ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。

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