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怒りが生きる力になる(南アフリカでHIVの彼女から学んだこと)

18年前になる。
南アフリカでHIVのスタディツアーに参加した。
当時22歳の私は全てが新鮮だった。

3秒に一人がレイプされているという事が地球の歩き方に書いてあって
オーバーだなぁ。人口足りなくなるやん。と
楽観的に考えていたけれど、レイプに合うのは子供からおばあちゃんまで
人生で一回だけではなく、何度も被害に遭ういうことが分かった。

アパルトヘイトは歴史では習っていたけれど、白人居住区、
黒人居住区はアパルトヘイトが終わった当時でもやはりあって、
根強い差別があった。

黒人居住区に行った時、石を投げられたり、ボディガードなしでは
歩けない環境だったけど、HIVの女性たちが活動している場に行き、
一緒に寝泊まりさせてもらった。

銃声を聞いたり、外でトイレは危険ということで、バケツを渡されて、
暗くなったらバケツで用を足すように教えられ、実施した。

もちろん、一人部屋ではなく、周りに人はいた。

HIV女性の活動の場の団体を立ち上げたのは、14歳の時に3人の男性にレイプされ、子供を授かり、子育てしている28歳の女性だった。彼女の子どもは14歳。

親子というか姉妹のように仲が良かった。14歳で母親になり、HIV感染者となった彼女は世間から迫害され、味方してくれたのは「母親」だけだったと言っていた。

被害者なのに、迫害を受ける。世間体は冷たい。彼女は怒りが込み上げてきた。
こんな環境にした国や社会に対して怒り、声を上げ、同じような環境で
暮らしている女性たちを集めて団体を立ち上げた。

団体を立ち上げたら、助けてくれる人たちが現れた。日本人男性と知り合い、
彼は後に彼女と結婚し、スタディツアーとして私のような日本人の学びの場を提供してくれるようになった。そこで収益も出て、自分達の活動の場や生きる力を持つことができるようになっていった。


怒りはマイナスのイメージが強かったけれど、
彼女のように怒りを生きる力に変えて人生をプラスに働きかけ
生きていくということを教えてもらった。

自分が不幸だと思っていた子供時代を恥じた。
雨風凌げて、銃声のない家で布団で眠れ、トイレ、風呂付きの
家に住んでいただけで十分だったんだ。


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