「らしさ」「多様化」、本当か?

女の子らしくしなさい。男の子らしくいなさい。人間らしくいなさい。

私たちはいろんな「らしさ」に囲まれて生きています。

ほんと、マジで、終わってる思想だな。
と感じる瞬間と、
あぁ、らしくないなと思ってしまう瞬間があります。

私という人間はどこまでも二面性を持っているんだなと自覚しなければならない。自戒にもなります。

「らしさ」、みなさん、どう思いますか?

多様化が謳われる世の中ですが、それってほんとうに多様化ですか?と思う瞬間がたくさんあります。



小学生の時、プリキュアも好きでしたが、仮面ライダーも好きでした。だって、かっこよかったんだもん。全然、変身グッズほしかったです。
でも、たぶんそれは「女の子らしく」無いんでしょうね。

私の両親は、私の好きなものに対して何か言うことはありませんでした。
強いて言えば、趣味ばっかり楽しむんじゃない!勉強もしなさい!くらいでしょうか、、
まぁ、これは私が悪いのであれですが、、、

ともかく、趣味自体について何か言われることはありませんでした。
今思うと、非常にありがたいことでした。


そんな中、私が一番嫌だったのが、中学の制服。
毎日スカートを履くなんて、そんな嫌なことはありませんでした。スカート履くくらいなら学ラン着たい。本気でそう思っていました。

もともと、いわゆる「女の子らしい」恰好が似合わないと思っていましたし、それのせいで、小学校の卒業式の格好も駄々をこねた記憶があります。結局スカート履かされましたが。

なんでスカート?冬は寒いし、毎日自分の足と対峙したくないが???
スカート履かせておいて、体育座り?????見えるやん。物理知らんの?????
別に、女子がズボン履いてもよくない???何がダメなの??????

反骨精神ゴリゴリでした。より理不尽だったのは、私の中学校は、私が中3になるまで、女子の黒タイツが禁止でした。ガチで意味が分かりません。
当時もわかりませんでしたが、今もわかりません。どうせ、何も知らない偉めの爺さんたちが決めたんでしょう。


話がそれました。
ともかく、スカートじゃなきゃいけない意味が分かりませんでした。これは、私が女の子らしいのが似合わないと思っているのもありましたが、女性の先生たちがズボンを履いていらっしゃったのもあると思います。
大人は良くて、子供はダメ。幼いながらにそう言われているようでした。

最近はユニセックス制服増えたみたいで、学校によってはユニクロなど、大きい洋服屋さんと提携して、その会社の一部の商品の中から選ぶみたいなこともできるみたいですね。
本当に良い時代になりました。くだらないことで悩まなくていい、いい時代です。そもそも選べればいいんだから。
選択肢を増やせばいいだけの、実に簡単で単純明快な問題です。

今回、私が話したい核心でもあります。


もともと「多様性」というのは、もともとある「らしさ」を否定するために作られた概念ではないはずです。

最近、「らしさ」、否定してませんか??

女の子らしいと言われるのが嫌だ!!男の子に見られたくない!!!

そういう人たちが声を上げやすい環境作り。それが本来あるべき「多様性」のあり方だと思います。

女の子らしい、男の子っぽいという発言をする=NG、であってはいけません。
そういうことを言われて嬉しく感じる人もいるはずです。
実際私がそうですから。私は、今まであまり女の子っぽい自覚がなかったからこそ、最近は言われたら嬉しく感じます。

「多様化」は、女、男、中性、無性など、その人の本質とは関係のない表面的な部分を切りとって、相手を差別したり、本人が嫌な思いをしないでいいように作られた概念であるべきです。

ジェンダーレストイレは、ジェンダーレスの人が使う用のものであって、女性用トイレの削減をする理由にはなりません。

女性用トイレをジェンダーレストイレに変更??????
もともと存在する女性という存在は、無下に扱っていいんですか?????
それって、本当に「多様性」ですか????

こんな、少し考えれば小学生だってわかることを複雑に考えるから、事件が起こるんです。

「多様化」は「選択肢」を増やす行為であるべきであって、既存の存在を抹消するではありません。

もともとある「らしさ」が嫌な人もいれば、それが良い人もいます。

男女参画社会だって、家で家事をしている方が楽だ、という女性には嫌な概念です。
それを、「すべての」男女が~、みたいな言い方するから、まるで全国民がそうであるべきだと思っているように感じてしまいます。

別に、働きたい人は働けばいいし、家庭に入りたい人がいてもいいじゃないですか。
問題はそこに性別の壁を作るな。なのであって、別に難しい話ではありません。

性別は、もともと身体的な区別に必要なものであって、それ以上は選択肢の一環でしかありません。

少なくとも、私はそう考えます。


専攻柄、こういうことを考えるんですねぇ。
私は楽しいですが、同世代には、こういう話がだるい子もいるようです。それもまた多様性、かな?笑

こういうことを考える人が増えて、個々人の考えが生まれる世界であることを願うばかりです。
人間を信じすぎでしょうか。

まぁ、いいです。願いはただなので。


ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
では、またどこかで。

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